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京増修史さん 言葉で表現することは苦手。でも演奏を聴いたら、考えていることは全てわかってしまうかもしれません。 ~京増修史インタビュー この記事は2022年4月28日に掲載しております。

2021年第18回ショパン国際ピアノコンクールに出場し、注目度を急上昇させた京増修史さん。ピアノを始めた頃からこれまでの歩み、そして人生で最も緊張する舞台だったというコンクールの思い出を伺いました。

Profile

pianist 京増修史
© Miyachi Takako

pianist
京増修史
宮城県仙台市出身。4歳よりピアノを始める。東京藝術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻を首席で卒業し、安宅賞、藝大クラヴィア賞、アカンサス音楽賞、同声会賞、三菱地所賞を受賞。また同大学大学院修士課程音楽研究科修了時、藝大クラヴィーア賞、大学院アカンサス音楽賞を受賞。第18回ショパン国際ピアノコンクール本大会に出場。第18回ヤングアーチストピアノコンクールピアノ独奏部門Dグループ金賞。第65回全日本学生音楽コンクール東京大会中学校の部第3位。第60回全東北ピアノコンクール第1位及び文部科学大臣賞受賞。その他コンクールにて数多くの賞を受賞。第44回藝大室内楽定期に出演。藝大フィルハーモニア管弦楽団、プリマ・ヴィスタ弦楽四重奏団(ポーランド)と共演する他、各地で多くの演奏会に出演。ピアノを石川哲郎、田代慎之介、津田裕也の各氏に師事。
※上記は2022年4月28日に掲載した情報です。

人に聴いてもらう楽しさを実感できた

 仙台に生まれ、その後すぐ函館に移った京増さん。音楽を学び始めたのは幼稚園の頃だった。
「自分では覚えていませんが、幼稚園の先生が弾くピアノを、家の電子ピアノで真似して弾いていたらしいのです。まるで神童みたいなエピソードですよね(笑)。それを見た母がピアノをやらせようと思ったようで、僕は双子の妹と一緒にヤマハ音楽教室でエレクトーンをはじめました。妹はすぐ脱落したけれど、僕はそこからピアノを習うようになったそうです。
 そんな時、当時の先生が、ご自身の師匠である武蔵野音楽大学教授の石川先生が函館にいらっしゃるとき、僕のピアノを見てもらえるようアレンジしてくれました。そのとき僕は小学1年生。そんな小さな子に大学教授がよくレッスンしてくださったなと今は思います。その後小学2、3年で東京に移り、武蔵野音大付属音楽教室で正式に石川先生に師事しました」

 ピアノの道を意識し始めたのは、中学生のとき。
「先生の出身校である東京藝術大学に行きたいと思ったのが最初です。物心ついた頃からあらゆることを教えてくださった憧れの石川先生と同じ道に進みたいという気持ちですね。ただ、高校で藝校を目指す選択肢は頭にありませんでした。中高一貫校に通っていたこともありますが、周りに音楽をやっている人がいなくてのびのびできる環境が心地よかったのかもしれません。そして普通、藝大を受けるとなったら、あらかじめ藝大の先生に師事することが多いですが、まったくそういうこともなく受験して入学しました。
 藝大では自分の甘さや知識のなさを知り、さらに勉強するようになりました。そうしたらピアノが一層おもしろくなって、これを仕事にできたらいいなと思うようになったんです」

 ご本人は自身について“優柔不断”だというが、実際話を聞いていると、自分から突き進むというより、滲み出る才能を周囲が放っておけず、導かれて今に至る印象だ。
「確かに、ピアノを始めたところからして自分からやりたいという意志があったわけではありませんし、とにかく周りに恵まれてここまでこられたと思います。がんばっても報われないときはとても辛いですが、今ではそれも楽しいと思えることが増えました。一つの正解がないからこそ、可能性も大きいですよね。
 さらにショパンコンクール以後は演奏会が増えて、人に聴いてもらう歓びをようやく実感しています。これまで、本当に演奏会の機会がなかったんですよ。このきっかけを大切に、また聴きにきていただける演奏をし続けたいと思います」

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京増修史さんへ “5”つの質問

※上記は2022年4月28日に掲載した情報です。