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セドリック・ティベルギアンさん 偉大な作曲家が生み出した変奏曲は、その人の創造性が表れていると思います。私はその作曲家の思いに肉薄したいと考え、変奏曲を数多く演奏しています。 この記事は2019年3月11日に掲載しております。

フランス出身のピアニスト、セドリック・ティベルギアンは、複数のコンクールに入賞した後、1988年のロン=ティボー国際コンクールで優勝の栄冠に輝いた。以来、各地で活発な演奏活動を展開。その活動は五大陸全土におよび、ソロのみならず室内楽でも高い評価を得ている。そんな彼が3月19日にヤマハホールでリサイタルを開く。今回は、そのプログラムを中心にさまざまな話を聞くことができた。

Profile

pianist セドリック・ティベルギアン
© Ben Ealovega

pianist
セドリック・ティベルギアン
輝かしい国際的なキャリアは五大陸全土にわたり、カーネギー・ホール、ケネディ・センター、ロイヤル・アルバート・ホール、クイーン・エリザベス・ホール、バービカン・センター、ザルツブルクのモーツァルテウム等、世界で最も名声の高いホールに登場している。パリ国立高等音楽院でフレデリック・アゲシーとジェラール・フレミーに師事し、1992年、わずか17歳でプルミエ・プリを受賞。その後、複数の国際コンクール(ブレーメン、ダブリン、テル・アヴィヴ、ジュネーヴ、ミラノ)で入賞し、1998年ロン=ティボー国際コンクールで優勝、合わせて5つの特別賞も受賞した。
60曲を超える協奏曲のレパートリーを持ち、一流オーケストラと共演を重ねている。これまでに、ボストン交響楽団、クリーヴランド管弦楽団、ワシントン・ナショナル交響楽団、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団、スイス・ロマンド管弦楽団、ブダペスト祝祭管弦楽団、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、BBC交響楽団、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団、フランス国立管弦楽団、シドニー交響楽団、NHK交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団等と共演。指揮者では、クリストフ・エッシェンバッハ、イルジー・ビエロフラーヴェク、ヤニック・ネゼ=セガン、シモーネ・ヤング、チョン・ミョンフン、クルト・マズア、イヴァン・フィッシャー、ジェフリー・テイト、ルイ・ラングレー、リュドヴィク・モルロー、ステファン・ドヌーヴ、エンリケ・マッツォーラ等と共演している。
室内楽にも熱心で、特に、アリーナ・イブラギモヴァ(Vn)、アントワン・タメスティ(Va)、ピーター・ウィスペルウェイ(Vc)と定期的にパートナーを組んでいる。
18/19シーズンのハイライトは、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団にデビューを果たし、またフランソワ=グザヴィエ・ロト指揮サンフランシスコ交響楽団にデビューする。最新のCDは、ハイペリオンより2019年1月「フランツ・リスト:巡礼の年&後期ピアノ作品集」がリリースされた。
※上記は2019年3月11日に掲載した情報です。

17歳で最初のリサイタル

 その性格はいまでも変わらず、新しい作品を始めるときは、とにかく通して全部弾いてみる。それから細部までじっくり楽譜を読み込み、徹底的な練習を行っていく。
「学校に通うようになると、音楽ばかりではなくどんな科目でも早く上達したくてたまらなかった。6カ月かかるような科目でも、できる限り早くこなしてしまう。でも、ひとつ危険なのは、そういうやり方では質が落ちてしまうことが往々にしてあります。それを回避するためには、早く目標に達することだけを考えず、どうやってそこに到達するかを考える。その精神を私にたたき込んでくれたのが、師事した先生たちでした」

 14歳でパリ国立高等音楽院に入学し、フレデリック・アゲシーとジェラール・フレミーに師事。3年後の17歳のときにプルミエ・プリを受賞して卒業した。
「卒業後、父親が地元でリサイタルを企画してくれました。父は医師で、自宅の近所にある教会の神父の担当医だったため、その教会でリサイタルを開くことができました。バッハの《パルティータ第4番》、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番《月光》、ショパンの《バラード全4曲》というプログラムです。友人や親戚の人たちが大勢集まってくれ、みんなが喜んでくれました。このときにピアニストになりたいと思った。それまでは家族に音楽家はだれもいないため、音楽家になるという明確なビジョンがもてなかったのです」

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セドリック・ティベルギアンさんへ “5”つの質問

※上記は2019年3月11日に掲載した情報です。