この記事は2016年11月28日に掲載しております。
世界各地で演奏活動を行うほか、現在はスイスのベルン芸術大学ピアノ科教授として若いピアニストの育成にも力を注ぐ、パトリシア・パニーさん。数々の名ピアニストの教えを受けながら独自の音楽を育んだこれまでのこと、現在取り組んでいる活動について、お話を伺いました。
- pianist
パトリシア・パニー - フランス生まれ、イタリア・ミラノに育つ。
名教師ヴィンチェンツォ・スカラムッツァ門下のノラ・ドアロ氏に学んだ後、ニキータ・マガロフ、マリア・ジョアン・ピレシュ、パウル・バドゥラ=スコダの諸氏に師事。
ヴェルディ音楽院、チューリッヒ音楽院を首席で卒業。1989年クララ・ハスキル国際ピアノコンクールファイナリスト、90年アレッサンドロ・カサグランデ国際ピアノコンクール優勝。バロックから現代まで多彩なレパートリーをもち、これまでに18枚のディスクをリリース。
中でもメンデルスゾーンの無言歌集は、仏独テレビ文化専門チャンネルArteの2007年ベストアルバムに選ばれている。
数多くの国際音楽祭にも招かれ、リサイタルや室内楽コンサートに出演。
確かな技術と豊かな音楽性は、彼女をシカゴ交響楽団との共演に招いた故ゲオルグ・ショルティ氏、ストラスブール音楽祭等に招いた故ユーディ・メニューイン氏の折り紙つきだが、最近では、スイスロマンド管弦楽団及びベルリン放送交響楽団首席指揮者マレク・ヤノフスキ氏に認められている。
現在、スイスの国立ベルン芸術大学ピアノ科教授として、後進の指導にも力をいれている。
パトリシア・パニー オフィシャルサイト
※上記は2016年11月28日に掲載した情報です。
日本の学生からは、学びたいという気持ちがまっすぐ伝わってくる
パニーさんがピアノに興味を持ったのは、音楽好きの両親の影響だという。父はアマチュアでピアノを弾く人だった。
「家ではいつも、ヴィルヘルム・ケンプやディヌ・リパッティ、イグナツ・フリードマンなどのレコードがかかっていました。それで5歳くらいの時には、私もピアノを弾きたいという欲求を持つようになっていましたね。家にはピアノがありませんでしたが、娘が弾きたがっているからと、両親はアップライトピアノを購入してくれました。そこで私は初めて、ピアノを弾けるようになるには練習が必要だと気がついたんです(笑)。本当にできるのだろうかと戸惑っている私を見て、戦略家の父は“じゃあピアノに鍵をかけておこう”と、鍵を閉めてどこかに隠してしまいました。それでも、その2日後には鍵を探し始めた私を見て、両親もやっと私が本当にピアノをやりたいのだと感じたようです。私もこのとき、自分はピアノを弾きたいのだと自覚し、また、そのためには練習という努力が必要なのだと理解したわけです」
自身の経験を活かしながら、大学で後進の指導にも力を注いでいるパニーさん。若いピアニストのために、彼らを支援する「タスティエラ・プロジェクト」を立ち上げた。
「レッスンやコンサート機会は大学が提供していますが、私個人として、大学のサポートの下、録音の経験を積ませるプロジェクトを行っています。現在取り組んでいるのは、18ヵ月ごとにCDをつくるというもの。プロになれば録音をする機会がきっと訪れますから、良い経験となるでしょう。録音のプログラムを準備することは、演奏会の準備をするのとは少し方法が違います。編集や予算をどのようにマネジメントするのか、そのあたりの体験もみんなでシェアします。録音の一部をYouTubeで公開する試みも行っています。
最近は、『Opus1』という、恵まれない環境にある子供たちのためのチャリティ録音プロジェクトを行いました。若い人たちが最高の力を出そうとする姿を見ていて、こうした活動は彼らにとって大きな原動力になるのだと感じましたね」
日本の学生を指導する中で感じていることもある。
「みなさん音楽に対してとても真摯で、学びたいという気持ちがまっすぐ伝わってきます。ヨーロッパの学生たちは個性が強い人も多いですが、逆にそのせいで、アドバイスを受け止めきれず、とりあえず抵抗するという行為に出てしまう人もいるのです。それに対し、日本の若い方は細やかに物事をうけとめて前向きに理解しようとする姿勢を持っていて、すばらしいと思います」
日本がとても好きで、来日のたびに規律の正しさや人との出会いからインスピレーションを受け「毎回別の自分になって帰る」というパニーさん。グローバル化する社会にはプラスとマイナス両方の側面があるが、ポジティブなものだけを取り込んで前に進んでいきたいと笑顔で語っていた。
Textby 高坂はる香
※上記は2016年11月28日に掲載した情報です。