野島稔氏ピアノ・リサイタル ベートーヴェンの多様な世界をヤマハCFXで幅広く豊かに表現
2017年7月8日(木曽文化交流センター)
長野県・木曽町文化交流センターのオープン記念として、「野島稔ピアノ・リサイタル」が開催されました。世界的ピアニストであり、現在は東京音楽大学学長、桐朋学園大学院大学教授として後進の育成にも力を注いでいる野島稔氏のリサイタルは、実に2年ぶり。会場には、地元の方はもちろん、遠方からも聴衆が詰めかけました。
■プログラム
ベートーヴェン:
ピアノソナタ第19番 ト短調 op.49-1
ピアノソナタ第11番 変ロ長調 op.22
ピアノソナタ第13番 ホ長調 op.27-1
ピアノソナタ第32番 ハ短調 op.111
開演に先立ち、木曽町長・原久二男氏から「ホールのこけら落としに、本格的なリサイタルを開催できることは喜びです。野島先生の素晴らしいピアノに酔いしれていただきたい」と挨拶がありました。木曽町文化交流センターは、今年7月3日にオープン。地域の交流施設として誕生し、リサイタル会場となった多目的ホールの他に、音楽練習室や図書館なども設けられました。建物には木曽の木材がふんだんに使用され、木の香りと温もりが心地よい空間を生んでいます。
野島氏が今回のプログラムに選んだのは、ベートーヴェンのピアノソナタ4曲。リサイタルで演奏される機会が少ない≪ピアノソナタ第19番op.49-1≫からスタートしました。テクニック的に容易と思われがちな作品ですが、野島氏は一音一音じっくりと響きを確かめるような丁寧なタッチでベートーヴェンの世界を紡いでいきます。続く≪ピアノソナタ第11番op.22≫は、4楽章からなるスケールの大きな作品です。このリサイタルのために野島氏自ら選定して運び込まれたヤマハCFXは、繊細なペダル使いにもしっかりと応え、細やかな連符もすべてクリアに聴衆の耳へ届けます。優美なメロディが奏でられる第2楽章では、魅惑的なレガートに酔いしれ、優しい光に包まれるような感覚に陥りました。バッハを思い起こす対位法的な展開をみせる第4楽章では、くっきりとした明瞭な音が心地よく響き、野島氏の正確なテンポ感にベートーヴェンらしさを強く感じました。壮大な1曲が終わり、拍手に見送られた野島氏が舞台袖に消えると、客席では感嘆の声があちこちで広がりました。
再登場した野島氏がおもむろに弾き始めた3曲目≪ピアノソナタ第13番op.27-1≫には、「幻想曲風ソナタ」というタイトルがつき、通常のソナタ形式は影を潜め、全楽章を切れ目なく演奏するよう指示されています。冒頭のAndanteは強弱のダイナミクスが非常に緩やかで、激しい音は一切ありません。間を開けずに第2楽章へ移り、今度は緊張感を持った芯のあるフォルテが胸に迫ります。第3楽章のロマンティックなメロディに心が奪われるのもつかの間、休みなく終楽章へ。はつらつとしたAllegro vivaceが駆け抜けていき、野島氏の勢いある演奏に聴衆も前のめりになっていきます。これまでと全く違ったベートーヴェンの新たな世界が広がり、客席の温度が上昇したことを肌で感じました。
休憩をはさんだ後のプログラムは、ベートーヴェン最後にして最高傑作の≪ピアノソナタ第32番op.111≫。CFXの力強い低音が響き渡り、前半の和やかな雰囲気が一掃されます。それまで冷静に見えた野島氏の情熱的なパッセージを受け、会場全体に緊張感が走りました。真骨頂ともいえる厳かな佇まいに、思わず姿勢を正して座り直す聴衆も。一方、第2楽章のシンコペーションが多用された箇所では、ジャズ・スイングさながらのリズムに身体を揺らして楽しむお客さまの姿もありました。緻密な音符の組み立てがハッキリと映し出され、物憂げなメロディに心を揺さぶられながら終末へ。何とも言えない余韻が残る中、万雷の拍手とブラボーの声が鳴り渡り、野島氏もにこやかな笑顔で聴衆に応えました。
終演後、野島氏にお話を伺いました。
「久しぶりのリサイタルでしたから、現場の臨場感に緊張しました。ベートーヴェンは非常に幅が広く、多様な世界を持っています。凡人からすると、感覚の飛躍がものすごいわけですから、それに対応するだけの強さが必要です。今日演奏したプログラムは、ベートーヴェンの最後のピアノソナタ第32番op.111に至るまでのプロセスを感じていただこうと選びました。短い曲もあれば長い曲もありますが、すべて魂がぎっしり詰まっている音楽です。こうしたベートーヴェンが残した遺産が、後のロマン派以降から近現代に至る作曲家たちへ受け継がれていることも実感しました。
今日運び込んでいただいたヤマハCFXは、全体にムラがなく安定感があり、安心して音楽の世界に入り込むことができました。そして、木曽町の皆さんはとても温かく親密感があり、穏やかな佇まいの風土の中、私自身も非常に落ち着いて演奏することができたことに感謝したいと思います」
Text by 鬼木玲子