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ドミトリー・シシキン 氏 目指すのは、人に喜びや明るい感情をもたらすことができるピアニスト。 この記事は2017年12月27日に掲載しております。

2015年のショパン国際ピアノコンクールで第6位に入賞し、注目を集めたドミトリー・シシキンさん。2017年にはノルウェーのトップ・オブ・ザ・ワールド国際ピアノコンクール優勝でまた一つ輝かしいキャリア重ね、演奏活動もより充実してきたという。そんな彼に、ピアノへの想いを聞いた。

Profile

pianist ドミトリー・シシキン

pianist
ドミトリー・シシキン
1992年2月12日、シベリア、ウラン・ウデ生まれ。
3歳の頃よりピアノを始め、その後チェリャビンスクのチャイコフスキー記念音楽専門学校初等科、
グネーシン記念モスクワ音楽専門学校中等科へと進む。
2010年チャイコフスキー記念モスクワ国立音楽院に入学、エリソ・ヴィルサラーゼ教授の下で研鑽を積む。
幼いころから、多くのコンクールに出場、入賞し、2006年には『第5回若いピアニストのためのショパン国際コンクールin北京』で優勝。同年『第8回マリア・ユーディナ記念国際ピアノコンクール』優勝。[その他の経歴]
2009年『第7回国際アルトゥール・ルービンシュタイン記念若いピアニストのためのコンクール』第2位
2013年『第59回ブゾーニ国際ピアノコンクール』1位なし第3位
2014年『第4回BNDES国際ピアノコンクールin リオ・デ・ジャネイロ』第2位
2015年『第17回ショパン国際ピアノコンクール』第6位
2017年『第5回Top of the World 国際ピアノコンクール』優勝
※上記は2017年12月27日に掲載した情報です。

音楽における時間の流れの考え方を教えてくれたヴィルサラーゼ

 ドミトリー・シシキンは、東シベリアのウラン・ウデに生まれた。ピアノを始めたのは、わずか2歳半のこと。母親がピアノ教師だったので、彼もごく自然にピアノを弾くようになった。
「母は僕の音の出し方を見て、音楽が好きなようだと気が付き、ちゃんと教えることにしたそうです。彼女はピアノ教師として、今も特別な教育法をもって生徒たちを育てています。僕は3歳で初めてソロコンサートを開き、その時には自分で作った曲も弾きました」
 4歳から故郷の町の特別音楽学校で学び、9歳でモスクワに移って、グネーシン音楽院でミハイル・ホフロフに師事。その後2010年からはモスクワ音楽院で、エリソ・ヴィルサラーゼのもと学び、2015年10月にショパン国際ピアノコンクールで入賞した。
「今も、重要なコンサートやコンクールの前には、母に演奏を聴いてもらいます。母はいい意味でとても厳しいです。もしかしたらヴィルサラーゼ先生より厳しいかもしれません(笑)。でも、僕をコントロールするようなことはなく、常に傍で支えてくれました」
 8歳年上の兄も音楽の道に進み、現在はドイツを拠点にパーカッショニストとして活動しているという。
「兄と共演したいと思っているのですが、パーカッションとピアノのための作品はあまりないので、僕か兄が作曲して演奏しようかと考えているんです。とにかくそんな音楽一家で育ったので、音楽家になるということは、僕にとって当たり前の選択でした。今思えば、ピアノを始めたときから、自分はピアニストになると思っていました。母が音楽という驚くべき世界に目を向けさせてくれて以来、これに関わらない理由などないという、ごく自然な感覚でピアノの道を進んできたのです」
 そんな家族に加え、やはり音楽的に多くの影響を与えてくれたのは、名教師として知られるヴィルサラーゼだ。
「先生は、曲のスタイルの理解の大切さ、そして、室内楽的な響きを求めることの重要性を教えてくれました。特に印象に残るのは、音楽における時間の流れの考え方、タイミングの取り方を学んだこと。どのように休符を感じ、時間を引き延ばすかは、印象深い演奏のためにとても大切です。彼女の助言はひとつひとつが豊かで価値があり、大きな意味を持っていました。先生には、感謝してもしきれません」

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ドミトリー・シシキンさんへ “5”つの質問

※上記は2017年12月27日に掲載した情報です。