コンサートレポート

コンサートレポート

パリのピアニスト、アレクサンドル・タローがトッパンホールで4度目のリサイタル。スカルラッティ、グリーグ、ドビュッシー、ラヴェルの多彩なプログラムで、ヤマハCFXを運び込み、自編の「ラ・ヴァルス」で華麗に結んだ。

2023年10月21日(トッパンホール)

アレクサンドル・タロー

■プログラム
スカルラッティ:ソナタ ニ短調 K64/ニ短調 K9/ホ長調 K380/ヘ短調 K481/ハ長調 K514
グリーグ:《抒情小曲集》より
アリエッタ Op.12-1/祖国の歌 Op.12-8/子守歌 Op.38-1/ワルツ Op.38-7/悲歌 Op.47-7/メロディ Op.47-3/春に寄す Op.43-6/ハリング Op.47-4/夜想曲 Op.54-4/蝶々 Op.43-1/鐘の音 Op.54-6/トロルハウゲンの婚礼の日 Op.65-6
ドビュッシー:《前奏曲集 第1集》より
デルフォイの舞姫/野を渡る風/雪の上の足あと/沈める寺/亜麻色の髪の乙女/西風の見たもの
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
ラヴェル(タロー編):ラ・ヴァルス

アレクサンドル・タロー

 こどもの頃は、マジシャンになりたいと思っていた。アレクサンドル・タローはそんなふうに言っていた。母はバレリーナ、父はバリトン歌手という家庭に生まれたパリジャンが、やがて選んだ舞台の相棒はピアノだった。
 ピアノと和解するまでには少し歳月がかかった、と言っていたとおり、アレクサンドル・タローがピアニストとして自分の個性を高らかに歌い始めたのは、21世紀をまたぐ頃からだった。その新しい地平にはまずフランスのバロック音楽があり、スカルラッティやバッハが続いた。そこから歳月を重ね、近年にいたってはドイツ音楽やラフマニノフに取り組む進境もみせてきたのである。

 タローのピアノは、今回のように小品を集めた私的な選詩集とみられるプログラムの場合はとくにそうだが、一曲一曲をお芝居のように演じていくのが得意だ。しかし、手品や魔術の肝は、種や仕掛けがわからないところにある。
 繊細な神経をうかがわせる彼にとって、コロナ・パンデミックの時節は、仲間や聴衆とも隔てられた苦難のときであったに違いない。というのも、この日のコンサート、とくに前半は緊張しているように私には見受けられたからだ。得意であるはずのスカルラッティのソナタから5曲を選んで弾きはじめたが、ふだんならもっとさりげないはずの仕掛けが、誇張されるようにいたく表に立って、全体に人工的な美観を放った。人工的であるというのは、魔術師や錬金術師にとってはもちろん誉め言葉なのだが、続くグリーグの『抒情小曲集』の演奏のように、抜粋した12篇の曲想の多彩さを打ち出すがゆえにそれぞれがショウ・ピースの色を強めると、本来の作品のもつ親密な内心が置き去りになってしまうように私には思えた。

アレクサンドル・タロー

 後半は母国フランスの誇り、ドビュッシーとラヴェルだ。タローの本懐はやはりこちらにあった、とこの日は言ってよかった。ドビュッシーの前奏曲は第1巻から6曲がひと連なりに織りなされたが、タローらしく明確にイメージをもって、和声やリズムの変化、響きの広がりや、空間のなかでの造型を、丹念に描き出そうとする様子がまざまざと伝わってきた。終盤にきて発表していた曲順を入れ替えて弾いた「沈める寺」から「西風の見たもの」への流れがとくに鮮やかだった。
 そして、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」を挿み、自ら編曲した「ラ・ヴァルス」で華麗に舞台を締めくくった。今回演奏された「ラ・ヴァルス」のピアノ独奏版は、CFXでの演奏を前提として編曲したというが、なるほどグリッサンドの多用や軽快な打鍵など、機敏な表現に即効で反応する高性能の楽器が求められよう。色彩はピアニストが描くので、ピアノはできるだけフラットな正確さで俊敏に反応するのが望ましいということだろう。たしかにタローの個性とアイディアからみて、現代性の高い敏捷なCFXを得てこそ、実現可能なチャレンジであると思えた。

アレクサンドル・タロー

 小曲を連ねたプログラムで大きな山場となるのは、最後のクライマックスに据えられた「ラ・ヴァルス」に他ならない。存分に演奏効果が発揮できる編曲を思うようなかたちで披露したいというのは、最近は自作曲の出版もしている彼だけに強い要望であったはずだ。以前からレコーディングでもヤマハのピアノを愛用してきたタローだが、このたびはヨーロッパから事前に連絡を入れ、銀座のアーティストサロンで自ら選定した新型CFXを持ち込んで当夜のリサイタルに臨むほどの気の入れようだった。
 その新しい「ラ・ヴァルス」は、ラヴェルとリストが出会って、タロー流に弾き進められた趣のゴージャスな絵巻物。華美な装飾性が煌びやかに盛り込まれたおもちゃ箱のような多様な賑わいがあった。歌もあり、踊りもあり、さらに豪華絢爛な手品を盛り込んだプログラムは、そうして華やかな幻影とともに疾く駆け去っていった。

アレクサンドル・タロー

Text by 青澤隆明
Photo By 藤本史昭
提供 トッパンホール