【第4章】ニーズの変化と原点回帰

直観的な音作りを

CS1xとSY77の取扱説明書の画像

ワークステーション型シンセサイザーを完成させ、さらに新音源システムのVA音源へとつないだ90年代前半は、ヤマハが持つ技術力を武器に多くのモデルをリリースしていきましたが、「DX7」が築いた80年代と比べ、ヤマハシンセサイザー事業は苦境に立たされていました。その一つの理由はマーケットの変化です。新しい技術、新しいモデルというものにユーザーが惹かれ、新製品が飛ぶように売れていた時代に比べ、半導体やプログラミングなどの技術革新が一般の人のニーズを超える域に進んでくると、デザインやユーザーインターフェース、コンセプトやプロモーションといったソフトウェア面が重要視されていきます。また、音楽シーンの変化やシンセサイザーを利用するユーザー層の変化もあり、非常に混沌とした状況になっていたのもこの時代の特徴と言えるでしょう。

そんな中、シンセサイザー業界にあるトレンドが生まれます。それはアナログシンセサイザーへの回帰です。とは言っても70年代のようなアナログシンセサイザーを復活させるということではなく、アナログシンセサイザー的なサウンドや音作りの手法を採り入れたいわゆる「バーチャルアナログシンセサイザー」というタイプの製品です。つまり70年代アナログシンセサイザーを最新のデジタル技術でシミュレートしたものということになります。

バーチャルアナログシンセサイザーへの流れが起きたのにはいくつかの要因があるのですが、その一つとして当時のデジタルシンセサイザーでは直感的に音作りができなかったという点が挙げられます。「DX7」をはじめとして、スイッチやツマミを極力排除したデジタルシンセサイザーでは、何層にも積み重なったメニューを切り替えてさまざまなパラメーターを設定する必要があります。もちろんコンピューター用のエディターソフトウェアなども開発されており、グラフィカルに音作りをすることも可能なのですが、ライブパフォーマンスなどで瞬時に音色をエディットするといった使い方には不向きです。特に90年代に確立したデジタルフィルターが一般的になると、シンセサイザー特有の『ミョーン』といったサウンドを作る要素である「レゾナンス」や「カットオフ」といったわかりやすいパラメータの調整が音作りの中心となり、これにエンベロープ(時間的変化)の要素である「アタック」「ディケイ」「サステイン」「リリース」を加え、まさにアナログシンセサイザー的なパラメーターを直感的に操作できることが重要視されていきます。また、ダンスミュージックの世界でもDJ用ミキサーでフィルターをリアルタイムにコントロールしてパフォーマンスする手法が流行しはじめ、「レゾナンス」と「カットオフ」を用いた強力なフィルターサウンドが求められるようになったという側面もあります。

CS1x

こういった時代の変化に合わせ、ヤマハは1996年にコントロールシンセサイザー「CS1x」を発売します。小型軽量のボディーに加えて斬新な青いカラー。さらにエディットパラメーターを瞬時に選択できるロータリーなど、それまでのヤマハのシンセサイザーには無い新たな挑戦とも言えるシンセサイザーです。もちろん「レゾナンス」や「カットオフ」などを瞬時に変更できるサウンドコントロールノブも搭載しており、まさにこの時代に求められている要素を注ぎ込んだものです。さらに、当時はまだ一般化していなかったアルペジエイターを搭載しており、鍵盤でコードを押さえるだけでもリズミカルなシーケンスフレーズを奏でることができます。それまで「シンセサイザー=キーボードプレイヤーの楽器=ピアノの演奏力が必要」という概念が非常に強かったのですが、このアルペジエイターによってピアノの演奏力が十分でないユーザーにもシンセサイザーを利用するきっかけを提供しました。さらに前述のサウンドコントロールノブを組み合わせれば、高度な演奏技術が無くてもクリエイティブなパフォーマンスを行うことができるのも特徴の一つでした。

本格的なバーチャルアナログシンセサイザー

CS1xカタログの画像

「CS1x」のように音作りがわかりやすくリアルタイムにコントロール可能なシンセサイザーが一定の評価を得られたのに加え、ダンス系、テクノ系の音楽におけるアナログシンセサイザーサウンドの重要度が増してきたため、市場はよりアナログライクなサウンドを奏でることができるシンセサイザーを求めるようになっていきます。他社からもたくさんのアナログモデリングシンセが発売され、ソフトウェアシンセサイザーの分野でもアナログシミュレートが浸透し始めます。

そこで、「CS1x」発売の翌年1997年にアナログシンセサイザーとしての役割に特化した「AN1x」を投入します。「AN1x」では「アナログフィジカルモデリング方式」と呼ばれる技術を使い、アナログシンセサイザーのオシレーターが持つ波形のクセや電気的な揺らぎなどもシミュレートしており、デジタルシンセでありながらアンサンブルの中で存在感を発揮する本格的なバーチャルアナログシンセサイザーとして非常に高い評価を受けました。また、「CS1x」では6つだったコントロールノブを8つに増やし、さらにリボンコントローラーを搭載するなどパフォーマンス性も向上させています。

90年代中盤にブームだった音楽制作用のシンセサイザーでは、ドラムやピアノなどの生楽器サウンドでアンサンブルが可能なGM(注1)をはじめとした互換音色を搭載し、1台でアンサンブルを可能にしたものがほとんどだったのですが、「AN1x」はあえてGMやXGに対応することなく、新たな試みとしてシンプルなパフォーマンス用シンセサイザーに特化したのです。

注1:GM(General MIDI)=⾳⾊の互換性を⽬的に作られた共通規格で、ピアノやギターなど128種類の楽器⾳とドラムセット1種類を搭載することが決められています。GMに対応した⾳源であれば、異なるメーカーのシンセサイザーでも制作した⾳楽データ(MIDIデータ)を再現することができます。

マーケットリサーチを商品開発にフィードバックするフェーズ

AN1x

90年代半ば以降はインターネットの普及もあいまって、顧客が世界中の情報を瞬時に取得できるようになり、またシンセサイザーの使い方の多様化が急速に進みました。このため、マーケットのニーズ、顧客の実態を適確にとらえることがシンセサイザーの業界にも重要なポイントとなっていきます。さまざまなリサーチを行って商品開発を行う必要が出てきました。それはシンセサイザーの音源システムや鍵盤などのハードウェア機構の向上にとどまらず、筐体の色やデザイン、購入してからどのように使われているかに至るまでさまざまなポイントに気をつかわなければなりません。また、初心者にもわかりやすく、かつシンセサイザーならではの専門的な要素も理解できるものが求められていきます。そういった側面で見たときに、この時代から変革が表れているのが製品マニュアルで、表紙だけを比較しても「SYシリーズ」の頃に比べて非常にポップなマニュアルになっています。

90年代後半になると、それまでにリサーチして得られた結果を製品開発にフィードバックするフェーズに移っていきます。そんな中、90年代の集大成ともいうべきフラッグシップワークステーションシンセサイザー「EX5」を1998年に投入します。

EX5, CS6x, S80

「SYシリーズ」以降は「VL1」「VP1」を除けば、比較的コストパフォーマンスに優れたモデル、低価格帯のシンセサイザーを中心にラインナップして新規顧客層の掘り起こしを行ってきており、「SY99」の後継ともいうべきプロフェッショナル向けのシンセサイザーがリリースされていませんでした。そこに満を持して「EX5」を投入したのです。

「EX5」の音源部分にはヤマハシンセ初の128ポリを実現したAWM2音源、「VL1」に搭載された物理モデルのVA音源、「AN1x」で好評を得たバーチャルアナログのAN音源、ノート情報(ピッチなど)を用いてDSPをコントロールして音作りを行う新開発のFDSP音源(Formulated Digital Sound Processing)、シンセサイザー本体で自由にサンプリングが可能なSAMPLING音源を搭載。また、ピッチベンド+2つのモジュレーションホイール搭載した3ホイール仕様に加えてリボンコントローラーを装備し、コントロール性を極限まで拡張するなど、それまでの築き上げてきた技術を集結したモンスターマシーンに仕上がっています。機能面だけでなく音質面においてもリサーチ結果が反映されており、「AN1x」リリース時に評価の高かったシンセサイザーとしての「太い音」という側面も取り入れられ、かつて無いほどの重厚なサウンドが特徴のシンセサイザーが生まれたのです。

平行して行われた新音源システムの開発

FS1R EX5カタログの画像

「VL1」、「VP1」の物理モデル音源以降、「AN1x」に搭載されたバーチャルアナログの「AN音源」、「EX5」に搭載された「FDSP音源」など、新音源の開発も平行して行われていました。そんな中エポックメイキングな音源として登場したのが「FS音源」です。「FDSP音源」も「FS音源」も既存音源のシステムの進化版といった構造なのですが、「FS音源」では「FM音源」をベースに、人間の声質を特徴付けるフォルマントの要素を加えて音作りをするという斬新な音源システムとして話題になりました。この「FS音源」を搭載した「FS1R」は8オペレータのFM音源をベースに作られており、「DX7」の音色と上位互換を持つなど、隠れた名機として定評がありました。

PLG100-SG PLG100-SG取扱説明書の画像

「FS音源」はフォルマントの要素を音色パラメーターに採用したシンセサイザーですので、当然のことながら人の声に近いサウンドも作り出すことが可能です。実は当時の日本市場で話題となっていたDTM(デスクトップミュージック)用の拡張音源で「PLG100-SG」というプラグインボード製品があり、この製品では日本語の歌詞を入力することで現在のVOCALOID™のように歌を歌わせることが可能でした(VOCALOID™とは構造が全く異なります)。VOCALOID™登場の前からすでに歌を歌わせることが可能なシンセサイザーを開発していたという事実は、マーケット至上主義の厳しい市場の中でも技術革新を忘れない開発者の職人魂の現れといっても過言ではないでしょう。

マーケットリサーチの成果

CS6x CS6x

「SYシリーズ」以降、さまざまな技術を結集させ、時代のニーズに応えるべくさまざまな機能を取り入れた製品をリリースしてきました。それでも、かつての「DX7」のようなヒット商品を生み出せずに苦悩の日々を過ごした90年代でしたが、1999年に発売した2つのモデルに突破口を見出します。

まず一つが「CS6x」です。コントロールシンセサイザー「CS1x」の流れをくむモデル名ですが、コンセプトは本格的に活用できるステージパフォーマンス用シンセサイザーを意識しています。まず、筐体の色ですが、それまでの黒またはダークブルーを中心とした渋めの色使いに対して、シルバーという斬新なカラーを採用しています。それまでにも明るい色使いのシンセサイザーはあったのですが、あくまで限定カラーやモデル名にSを付加したシルバーモデルといった扱いが多く、最初からシルバーのみの製品を発売するのは珍しいことでした。

また、音源部分は基本的にAWM2音源でPCMサウンドをメインにしてはいますが、プラグインボードという形で最大2種類の音源を増設できるように設計されているため、VL音源やAN音源、FM音源などを付加して使用できます。また、クラブシーンで即戦力となるように、ヨーロッパで活躍するクリエイターにプリセットボイスの制作を担当させるなど、ソフトウェア面においても市場のニーズを適確に反映した製品に仕上がっています。「EX5」から受け継いだ図太い音と最先端のプラグインシステムに加え、シンプルな音源構成、ステージ映えするカラーリングなどが評判となり、「CS6x」はヨーロッパを中心に高い評価を受けました。

S80

そして、この「CS6x」と同時に発売されたのが「S80」です。「CS6x」がヨーロッパ市場を意識した製品であったのに対し、「S80」は北米市場の意見を多く採り入れた製品になっています。まず、キーボーディストの原点ともいうべきピアノ音色のクオリティを格段に向上させ、ピアノと同じ88鍵仕様にしたことでそれまでのシンセサイザーラインアップとは一線を画すモデルとしました。

生ピアノのフィーリングを保ちつつもシンセやオルガンの演奏にも適したAE鍵盤(注2)を採用するなど、キーボードプレイヤーにとって基本的な機能を充実させています。バンドアンサンブルやジャズセッションではピアノ使用頻度が最も高く、さらにオルガンやストリングスサウンドなどを組み合わせて演奏するスタイルが主流となっていた当時の音楽シーンに置いて、「S80」というシンセサイザーのバランス感はとてもマッチし、プロフェッショナル層を中心に徐々に浸透していきます。

また、ポータブルタイプを除く一般的なシンセサイザーの常識として、ピッチベンドやモジュレーションのホイール類は、鍵盤左側に配置するというのが常識的でしたが、「S80」では本体左上に配置しています。これは88鍵でありながらできる限り横幅を短くするためで、当時北米で利用者の多かった車のトランクに横向きのまま積載できるようにという配慮から設計されたものでした。これはまさに北米市場でのマーケットリサーチから得られた成果でした。

「CS6x」と「S80」は、後に続く2000年代のヤマハシンセサイザー開発に大きな影響を与えました。例えば「CS6x」のシルバーカラーはこの後まもなく発売される「MOTIFシリーズ」のカラーにも影響を与え、さらにその「MOTIFシリーズ」をキーボードタッチの6と7、ピアノタッチの8というラインナップとしたのは、ピアノとして評価された「S80」の成功を活かしています。ヤマハシンセサイザーにとって90年代は非常に苦しい時代でしたが、「CS6x」と「S80」という方向性の全く異なる2つのシンセサイザーをきっかけに次の時代に進むことになります。

注2:AE鍵盤 鋭いレスポンスと繊細な表現⼒を併せ持ち、ピアノ系⾳⾊だけでなくシンセ系⾳⾊の演奏、ロック系のピアノプレイにも向いている鍵盤。アフタータッチにも対応しているのでマスターキーボードとしても最適。