皆さん、今日も楽しい演奏をたくさん聴かせていただきありがとうございました。
このコンクールでは“基礎”のところをきちんと勉強してほしいということで古典の課題曲と、自由に自分の気持ちを外に出せる曲を、という自選曲があったと思います。
実のところは、課題曲の古典のものでももっと自由に弾いてほしいと思いましたし、自選曲のほうでもどこか大事にしなきゃいけないことは守ってほしいなと感じました。
種類は二つあるのですけれど、演奏としてはやはりどちらも大切ですので、あまり古典のほうだからと言ってすごく真面目な演奏になってしまったりしないように心がけていただければと思いました。
後で入賞者の発表があると思いますが、入られた方もそうでない方も、これから先まだまだ音楽と向き合って長い間勉強していただきたい、頑張っていただきたいと思います。今日はありがとうございました。
審査員コメント
第7回 ヤマハ ジュニア ピアノコンクール
審査員コメント
A部門
迫 昭嘉氏(ピアニスト、指揮者、東京藝術大学 教授)
岡田 博美氏(ピアニスト、桐朋学園大学院大学 教授)
本日、私は今までこういった若いひとたちのコンクールの審査は初めてでしたので非常にフレッシュな気持ちで楽しんで聴かせていただきました。
まだ当然若いということで、これからいろんな可能性を秘めていると思いますが、先ほど迫先生の言葉にもありましたように、失敗を恐れないでもっと自由に、はみ出すくらいに、今のうちに色々とそういった経験積んでいただければいいなと思います。これからも勉強をしっかり頑張って、頑張るだけでなくて“楽しむ“という要素を忘れないように前に進んでください。どうもありがとうございました。
B部門
岡田 敦子氏(ピアニスト、東京音楽大学 教授)
今日は朝からお疲れ様でした。この時期は小学校の中学年に当たると思いますけれども、皆様とても素晴らしい演奏だったと思います。また古典派の曲、例えばディアベリについて。実は曲の最初のフォルテのところはフランス序曲の様式で、そのあと「allegro ma non troppo」なのですが、ちょっと早すぎるのではないかなあという感じを受けたものの、おおむねよく弾いていらっしゃったと思います。近現代の曲は特に皆さん自分のものにしていたという風に感心して聴いていました。
問題はこれからです。小学校3、4年生くらいまではおそらく先生から習って素直に練習して消化していける範囲なのです。また、子どもの時というのは自分で考えるというよりは真似て、貰って、それを一つ一つ消化していくということで出来てきます。「学ぶ」というのは「真似(まね)ぶ」からきているそうなんです。
これからみなさんは思春期になり、自己主張も強くなってきて、それから社会のこともだんだん見えてくるような方向になっていきます。
そこで一つご提案したいのですけれども、今、変革の時代、イノベーションの時代であります。イノベーションというのは何か一つのことを突き詰めて選択と集中、ということだけではなくて、何かと何かを組み合わせることからしばしば生まれてくるそうなんですね。なので、みなさんの音楽を豊かにするために、音楽ともう一つ何か考えてみてはどうでしょうか。それはみなさんの好きなことがいいと思います。たとえば絵を見るとか、描いてみる。もしくは勉強が好きだったら、歴史をちょっと紐解いてみる。「バロックの時代と古典派の時代はどういう風に違うのかな?古典派とロマン派は違うのかな?」それから、もしかするとお料理なんかもよいかもしれませんね。「バロック時代は、レストランなんかはあったのかしら。」とかですね。それから、お洋服も、絵などを見ると、バロック時代のお洋服と古典派時代のお洋服はちょっと流行が違うみたいだ、とわかるんですね。
音楽をやっているということはみなさんの中に“音"はあるわけですから、他のことにももう一つチャンネルを開くことでさらに人生が豊かになると思います。また、人生が豊かになるということはそのまま音楽も豊かになるということなのです。
そして、ご家庭の方にとって、これからお子さんは小学校の上学年になっていくと思いますが、子どもとともに何かをするということにはとても良い時代ではないでしょうか。だんだん大人になってくると、子どもは親よりも友達が大事になり、子どもは自分の世界を作っていかなければなりません。ですから、これからの数年というのが家族として一緒に物事をできるとても良い時間ではないかと思います。そういう意味で、音楽としても人間としてもこれからの数年間を大事にしてそして成長していっていただければと心から願っております。どうぞよろしくお願いいたします。
若林 顕氏(ピアニスト)
皆さま朝からお疲れ様でした。いろんな曲を聴かせていただきまして、とても楽しかったです。私からは一点だけ、要約してご提案させていただきたいと思います。
私が考えているのは、ピアノを弾くのは本当に楽しいですけれども、一番ピアノ演奏で必要かなと思っているのはやっぱり“イメージ“だと思うのです。要するにピアノはどの音を叩いてもみなピアノの音、もちろんそうですけれど、ただピアノはやっぱりオーケストラのサウンド・イメージが非常に大事です。オーケストラにはいろんなタイプの音、かなりすべての要素が具体的に含まれているということもあって、この皆さんの年代からオーケストラのサウンドや雰囲気に慣れ親しんでおいていただくと、とても、より豊かに楽しくピアノに自然に還元していけるような気がします。技術的にも、音楽的にもいろんな解決に結びつくことにもなりますし、遠近感とか。たとえばすごく遠くから聞こえてくる音、目前に迫った音、または同じラの音でも少し高めの音、低めの暗い音とか、いろんなイメージがあると思うのです。
オーケストラにはいろんな曲がありますが、なにも勉強のために2時間じっくり聴かなければならないとかそういうことではありません。車の中でも、またはなんとなく慣れ親しんでおくということがとても大事だと思います。ピアノだけをやっているとちょっと息詰まるところがあると思いますし、特に具体的にはべートーヴェンのソナタなんかをどんどんやっていくと思うのですけれど、ピアノニスティックなことだけで楽譜をみていくと必ず限界が来ると思っています。これは全くオーケストラのイメージなくしてはあり得ない世界なのです。そういうような観点からまたピアノに向かわれたらより楽しく豊かになるのではないかなと思っています。
今日はとても楽しく過ごさせていただきました。ありがとうございました。
C部門
菊池 裕介氏 (ピアニスト、東京音楽大学 専任講師)
皆さん、なにはともあれこのヤマハホールの素晴らしいステージに立てたということは本当におめでとうございます。私事ではございますが、このような仕事をしている年月も長くなり、後輩と一緒になる機会も増える中で今日は久しぶりに自分が一番若造でございました。ほかの審査員の先生方は本当に素晴らしい人格者の方々で、皆さんに愛のあるコメントをいつもしてくださっていると思うのですが、まだまだ途上の身であります私からは、あえて少しエネルギーを必要とするコメントをさせていただきます。
コンクールという場で演奏を聴かせていただき、もちろん全部まとめて後から振り返れば、ああいい経験だったと思うのですけれど、聴いている瞬間は結構辛い瞬間がたくさん、たくさんあります。やっぱりそれは“この音楽はこうあるべきだ"という風に、私たちが大切に勉強をして経験を積んできたこととは違うことがたくさん起こるからなのです。このC部門はとても難しい時期ではあるのです。今までは子供のレパートリーを、いっぱい練習して先生の言う通り器用に弾く、ということである程度いい演奏になっていたと思うのですけれど、皆さんが今差し掛かっている時期というのは、大人のレパートリー、我々やほかの先生方のような素晴らしいピアニストが日ごろプロフェッショナルとして演奏しているレパートリーにいよいよ取り組まれている段階にあるわけです。
やはり、そこではかなり考え方を変えなければならない部分もあります。特に、今回課題曲として古典の曲と、そのほか課題編曲と自選曲があったわけですが、やはり古典の作品の演奏であまり満足のいくものが正直ほとんどなかったという風に私は感じました。それは当然で、すごく難しいんですね。何がほかと違うのかというと、ロマン派以降の作品というのは、その音楽のそのものだけでなくその外側にラッピングのようなものがふんだんになされているので、音楽の核心の部分が多少不十分であってもまあまあ聴ける。ですが、古典ないしバロックというものは、音が裸同然で存在し、楽譜に書いてある情報もずっと少ないのです。だから自分たちも暗黙の了解として、その音楽を言葉として語るうえでの“文法"のような基礎の部分がものすごく求められるから難しいのです。そういったことは練習だけでどうにかなるものではありません。また、それは私たちのような音楽大学で指導する者の教育がまだ十分行き届いていないということでもあるのですが、まだまだそのことを深く自分のものとして専門的に習得されている指導者の方も決して多くはないということも現実としてはっきりと申し上げておきたいのです。
でも、それでだめなのかというとそうではありません。初心者の方を熱心にこのレベルまで引き上げてきていらっしゃる先生方を本当に尊敬しております。指導者としての役割の違いや、被る部分と被らない部分もあると思っています。私たちは芸術として音楽を続けていくということを真剣にやっているのです。講評でいろいろと難しいことも書きましたが、それはそういうものなのだと理解していただきたいと思います。それは今、まさに違う世界に差し掛かっているということなのです。いつでも力になれますのでぜひ頼ってください。
そして最後にもう一言申し上げておきたいです。
そういったことは“センス“という言葉で片づけてはいけないと思っています。特に我々日本人にとっては外国の音楽ですよね。「私たちは外人だから弾けないんだ」という話をよく聞きますが、そうではなく勉強が足りていないだけなのです。だからそんなところで変に謙遜する必要はないのです。本場の人に負けちゃうなんて思わなくていいのです。とにかく基礎を全部勉強してください。そうすれば必ず、私たちの目の前にも同じように音楽の素晴らしさが開けてくると思います。ありがとうございました。
パスカル・ドゥヴァイヨン氏(ピアニスト、英国王立音楽院 客員教授)
皆さんこんばんは。今日聴かせていただきながら、ずいぶん昔のことを思い出していました。僕がすごく小さかった頃、それは4歳の頃なのですが、猫のぬいぐるみを持っていました。僕はそのぬいぐるみに“子ネズミちゃん“と名付けました。猫なのに変な名前ですよね。毎晩"子ネズミちゃん“に自分が今日したことや、ちょっとしたお話を聞かせていました。お話、といっても言葉ではなく、家にあったピアノで、お話になるようなものをちょんちょんと作って弾いて聴かせていました。
それがちょうどみなさんにアドバイスとしてお話したいところなのですが、その時以来、ピアノの前に座ると「何かを語り掛けたい」「何かを伝えたい」と感じるようになりました。よく考えてみれば、音楽もお話のようなものですよね。前置きがあったり、本題の部分があったり、締めくくりの部分があったり、音楽にも同じようにあります。文章と同じように、フレーズもあります。お話と一緒で主人公だっています。テーマ、主題、がそうですよね。
ですから、みなさんがピアノの前に座るときには、練習をするという風ではなく、“お話をいかに上手に語れるか“というように探っていくわけです。そして、自分が語りたいお話が聞いている人みんなにはっきりとわかるように伝えてあげなければなりません。そのためにすごく練習が必要だし、すごく聴かなければならないし、「僕が言おうとしている話がきちんと伝わっているかな?」と考えなければならないのです。そうやって一度やってみていただくと、練習するということがすごく楽しく感じられますよ。お話を一生かけて語り続ける、というすごく楽しいことだと思いますよ。ありがとうございました。
D部門
岡田 博美氏(ピアニスト、桐朋学園大学院大学 教授)
皆さまお疲れ様でした。D部門は、A部門よりもだんだん年齢が上になり人間的な成長とともに人格もしっかりして、その人柄というものが演奏に反映されていると感じてとても興味深く聴かせていただきました。
私が考えていること、それは私が心がけていることといってもよいでしょうけれど、演奏家の使命というのは、作曲家が書いた言葉を演奏家の言葉に翻訳することだと思っています。つまり、ただ印刷された楽譜に忠実に弾くだけでなく、楽譜の裏側を読み取って、作曲家が考えていることにただ忠実ではなく、作曲家が考えている以上のことを表現することができたら良いと私は常に思っています。
これから年齢を重ねて、いろいろなことを経験して、それがまた演奏に反映されていければいいと思っています。ありがとうございました。
迫 昭嘉氏(ピアニスト、指揮者、東京藝術大学 教授)
皆さんお疲れ様でした。ちょうど中学生から高校生にかけてという年齢的にも難しいところ、身体の変わり目、そして皆さんこれから先、進路として音楽を専門にやっていくのかどうするのか、などいろいろと悩ましい時期ではあると思うのです。
ただやっぱりひとつはとにかくどういう形であれ、音楽を好きでいてほしい。ピアノを大好きでいてほしい。これはなんといってもそれぞれ自分の財産になりますから、大切にしてほしいと思います。
そして今までは先生の言うことをしっかりと聞いてその中でいろんなことをやってきたと思うのです。今は音源もたくさんありますから、いろんな人の演奏を聴いて、コピーとは言いませんけれど、そこからいろんなことを盗んだりもしていたと思います。ですがここから先、自分の中からいろんなものが醸成されて、変わっていかなければなりませんよね。いかに演奏の質をあげるかということ、これは技術的にも音楽的にもここから先は質の勝負になっていくと思います。質を上げるためにはピアノを弾いているだけではだめで、いろいろなものを世の中から吸収しなくてはならなりません。良いもの、綺麗なもの、そうでないものも含めてです。それによって人間の幅をどんどん広げていって、それが演奏の中に反映されてくるという風です。
今が一番大切な時期だと思います。これから先も長いのですが、引き続き高いところを目指して、それは有名になるとかそういったことではなくて、音楽の質の高いところを目指して努力を続けていただきたいと思います。ありがとうございました。
【撮影:武藤 章】
ユース部門
ラルフ・ナットケンパー氏(ピアニスト、ハンブルク音楽大学 教授)
まず初めに、このような大きなコンクールを組織し、開催してくださった主催者の皆様に感謝いたします。次に、参加者の皆様のご両親と先生の甚大なご努力に、「おめでとう」と言いたいと思います。ご両親は忍耐強く参加者を見守り、先生は素晴らしい指導をされました。そのことに心から敬意を表します。
1か月前のセミファイナルのステージで完成度の高いプログラムを披露した参加者の皆さんですが、今日という日を迎えるにあたって、少し時間が足りなかったかなと思われる瞬間が何度もありました。16歳、17歳、18歳という若い音楽家の皆さんにとって、45分間のプログラムを弾き通すというのは、とても大変なことだと思います。今日の45分間のプログラムで、皆さんは古典派やロマン派など様々なスタイルの作品を弾きました。でも、スタイルの弾き分けという意味で、どうだったでしょうか。あるスタイルに偏って演奏されているかなという印象を受けました。
これは、ほかの審査員の先生方とも共通した考え方だと思いますが、コンクールのステージで、必ずしも長く、重く、難しい作品を弾く必要はないと思うのです。小さな曲でも、音楽を深く追求すれば、おもしろく聴かせることができます。また、音符をただ追うのではなく、その作品が書かれた当時の作曲家が置かれていた状況、作曲家の個人的な生活についても想いを馳せてください。作品は、作曲家の心情の表れでもあるからです。その作品が、どのように生み出されたかを考えることはとても大切です。
もうひとつ、ぜひ申し上げておきたいことは、音色についてです。今日は、あまりたくさんの音色を聴くことができなかったなと思いました。ピアノというのは、素晴らしい楽器ですから、オーケストラのような音色を作り出すことができます。とくにこのヤマハの最高峰のピアノだったら、どのような音色でも、出そうと思えば出せたはずです。今日、どんな色の音が聴こえたでしょうか。茶色かな? 黄色かもしれない。黄色はよく聴こえたけれど、その中間に様々な音色があるので、それがもう少し出るといいなという印象を持ちました。
楽譜に書いてあるひとつひとつの音符の裏には、作曲家の様々な感情があります。それが音色の変化になって表れるべきだと思います。作曲家はひとつひとつの音符に感情を書き込むことはできないので、私たちは楽譜からそれを読み解き、作曲家が何を意図したかを探求しなければなりません。
今日の皆さんの演奏は、音色の追求、音符の裏を読み解くという意味で、少し欠けていたと思います。音色の追求ということについて、ひとつアドヴァイスしましょう。音色の変化は、メロディとバスだけでは生まれません。実は、その中間にある内声を意識することが重要なのです。内声をどのように出すか、そのバランスによって、音色が豊かに変化します。和音を弾くとき、それぞれの音をどのようなバランスで弾いたらよいか、いつも考えてください。それはとても時間がかかる難しい道のりだと思いますが、ぜひ追求し続けていただきたいと思います。
【取材:森岡 葉】
【撮影:武藤 章】