今日は朝からとても新鮮な演奏を聞かせていただき、ありがとうございます。
演奏していただいた小学校低学年のみなさんに共通して言えることは、非常に素直で純粋な演奏だということ。そして、テンポも安定しています。これはとても素晴らしいことで、大事なことだと思います。中学生になると、良い意味でも悪い意味でも、いろいろと変化してきます。その前段階の純粋なテンポ感、自然な拍子感というのは素晴らしいことなので、これを忘れずにいることが、とても大事だと思います。
そして、常々思っているのは、ピアノ弾くときの姿勢や動きです。演奏中に動くのはもちろん自然なことなのですが、今回は特にいらっしゃいませんでしたが、よく不自然なくらい大きく動いてしまう人がいます。そういうスタイルも良いとは思いますけれども、ピアノを弾くときの自然な姿勢というのは非常に重要で、大きくなってからだと治りにくく困難です。みなさんの年齢の時についた習慣というのは、なかなか取れないですね。のちに大きな問題になってくることもありますので、小さい時から姿勢はストレートで、あまり動き過ぎないように。自然な動きの中で弾くということを、どこかで覚えておいてもらえたら良いと思います。いつもそれをなんとなく思い出しながら、自由に弾いていただきたいです。
それから、自分の好きな音楽、ピアノでも、ヴァイオリンでも、オーケストラでも、いろんな曲を生演奏でも録音でも、いろんな形で接していただくことで、自由に楽しく勉強を続けてもらえたら、素晴らしいと思います。本日はありがとうございました。
審査員コメント
第10回 ヤマハ ジュニア ピアノコンクール
審査員コメント
A部門
若林 顕 氏
(ピアニスト、東京音楽大学 特任教授、桐朋学園大学 特任教授、国立音楽大学 招聘教授)
迫 昭嘉 氏
(ピアニスト、東京藝術大学 名誉教授、藝大ジュニア・アカデミー 校長)
みなさん、こんにちは。
いま若林先生がおっしゃったことは、すべてその通りなのでくり返しはしませんが、私から言うことがあるとすれば、課題曲になぜソナチネが入っているか、古典の曲が入っているかということですね。音楽の基本、「音楽の三要素」と言いますけれど、メロディー・リズム・ハーモニーが基礎になって西洋音楽は成り立っているので、そこのところをまず自然に感じられるように訓練してほしい。そういう点で言うと、やっぱりそれがちょっと窮屈で、どうしていいかわからないというお子さんもいらしたかな、という風に思いました。その中で、無理やり味つけをしていくというよりは、その3つのことを自然に感じられるようになって、自由曲ではその枠をもっと外して、発散していただいてもいいかなと思いました。古典のアプローチの仕方というのは、型にはまってもいけませんし、そこのところが難しいとは思いますが、でも訓練だと思って、そこはくり返しくり返しですね。絶対に、古典以降の作品ばかりにならないようにしていただければと思います。
それから、先ほど若林先生がおっしゃっていたように、ピアノ以外の楽器の曲やオーケストラの曲を、ぜひぜひたくさん聴いていただければと思います。今日は朝から元気な演奏をたくさん聞かせていただき、ありがとうございました。
B部門
鈴木 謙一郎 氏
(ピアニスト、愛知県立芸術大学 教授)
みなさま、こんにちは。今日は若いパワーのある演奏の数々を、本当に感動して聞いておりました。本当にお疲れ様でした。
B部門の年代は、1番感性があるとてもいい年齢だと思います。かの巨匠アルトゥール・ルービンシュタインさんも、「モーツァルトを弾くのは、少年少女か老人のどちらかだ」と言っています。若い無邪気な気持ちで弾ける時と、全てを経験した人生の最後の方に弾けるモーツァルト。今日はまさしく、その若く素晴らしい演奏でした。
この今日の感性を、そのまま大人になるまで持ち続けるのは、かなり難しいことです。中学生、高校生、大学生と、人生の中でもまれていって、その感性が失われる時もある。やっぱり心が疲れる時もある。それをどうしたらいいか、僕の経験からいくつかお話させていただきたいと思います。その答えは無数にあると思うのですが、まず、やっぱり人間力を高めること。人に対する優しさだったり、もちろん技術的にもどんどん進化していかなきゃいけない。それから、謙虚さ。人に対する謙虚でもあるし、作曲家と向かい合った時に、謙虚に作曲家の意図を深く理解して、それを表現する。謙虚さがないと、難しいと思います。あともう1つは、好奇心。全てのことに好奇心がある人は、かなり成長すると思います。なぜベートーヴェンはこんな曲を作ったんだろう、なぜピアノはこんな音がするんだろうというのも、好奇心のひとつだと思います。
今日弾かれた方、ピアノをやっている若い人は、これから自分なりのピアノの理想像を作って、それを追い求めていってほしいと切に願います。今日はありがとうございます。
根津 理恵子 氏
(ピアニスト、昭和音楽大学 講師)
みなさま、こんにちは。今日は素晴らしい演奏を聴かせていただき、ありがとうございました。
小学3年生、4年生という年代は、自分でなんでもできるという風に、だんだん自我が強くなってくる時期かなと思います。私も、ちょうど小学高学年と低学年にひとりずつ息子がいまして、反抗してくる時期は大変だなと、毎日思って過ごしています。学校でも、ちょうど自習学習が始まる時期だと思います。先生に宿題を出されなくても、自分で課題を決めて「こんなことをやりたいな」「こんなことを調べて発表したいな」といったことをまとめる、という宿題。それはピアノや音楽の練習でも、やっぱり自分で課題を見つけて、自分のいいところとちょっと足りないところを見つけて、克服して。そういうことが、自分で出来る時だと思うんですね。一方で、やっぱりひとりで全部はできない。練習をしていると、どうしてもお家の方も耳が「これは何の練習だ、あれ?」といろいろ気になって、つい口出しをしてしまうと思います。子どもたちは、練習を聞かれていることも敏感に察知して、「もうこの練習早く終わらせたい!」となる。「もう練習やったよ!」と、終わろうとする。そんな状況は、多々あると思います。でも、子どもなりに考えて、ちゃんと先生の言っていることだとか、音楽はこういう風にあるべきだっていうようなことも心の中にはあって、それがうまくいかない。そういった苛立ちも、結局練習の音に出てしまって、イライラして早く弾いて、最初から最後まで通して「おしまい! 練習やったもん!」という状況。もちろん全員がそうだとは思いませんし、毎日そうだとも思いません。でも、そういった練習が重なっていくと、本番でも結局ただ早く弾いて終わってしまう。緊張の中では、どんなにいつもより良く弾こうと思っても、普段の姿が出てしまいます。今日、この大きなホールの素晴らしい響きの中で弾く時に、ぱっと緊張して、やっぱりそうした普段の荒い練習をしていたものが、うっかり出てしまうという人もいるかなと感じました。でも、これは今のこの年代には、通るべき道なのかなとも思います。成長してくると、そういった部分がもう少し大人になって、練習は自分のためであり、親のためではないということをちゃんと感じながら、練習していければいいなと思います。また、そういう余裕がない演奏というのは、休符を大事にせずに、弾いている音ばかり追っているというところに、反映されているかなと思います。休符を味わって、そして長い音も弾き始めだけではなく、弾いている、鳴っている間ずっと聞いて味わって、次の音へ渡ったそこまできちんと味わっているか。そうしたゆったりと音楽と向き合う気持ちで、練習を積み重ねていってほしいと思いました。
これから高学年になって、ますます学校も忙しくなり、習い事も大変だとは思います。みなさんは、ピアノがメインで頑張っていらっしゃると思いますが、その中でもしっかりと音楽と向き合って、そして、鈴木先生がおっしゃったように、全てのことに興味を持って、人生を深めていっていただけたらいいなと思います。ありがとうございました。
C部門
岡田 敦子 氏
(ピアニスト、東京音楽大学 客員教授)
本当に素晴らしい演奏を次々に聞かせていただき、とても楽しい時間を過ごさせてもらいました。ありがとうございます。
今日の審査結果ですけれども、よく「審査員によってバラバラでした」とか「揉めました」といったことがあるのですが、C部門については、とても一致した見解でした。1位の方、そしてその他の方たちも、先生方が全員一致というはっきりした審査になりました。では、何が私たちの心を打ったかというと、とてもその人の音楽になっている、その人の音楽と一体化している。それから、「こういう音楽を弾きたい」という強い意志が感じられて、それが弾いている姿ではなく音になって伝わってくるといった事でした。そして、そこに至らなかった方たちも、それを目指しているということが、とてもよく感じられました。
C部門のみなさんは、ちょうど思春期に入ったころかと思いますが、とてもいい時期なのだなと思って聞いていました。私の個人的な意見かもしれませんが、「どういう音楽を弾くか」は、「その人にとって音楽は何か」を弾いていると思うんですね。たとえば、喜びの人は喜ばしく弾くし、真面目に精進することが好きな人は、その真面目さが人の心を打ったりする。ですから、どういう音楽になるかということと一緒に、おそらく一人ひとりが音楽の演奏を育ててもいるし、演奏によってその人も育っているんだろうと思います。鏡で自分の姿を映しますよね。それを見て、またおしゃれを変えたりしますよね。それと同じように、演奏も自分とその鏡なんだと思います。
このC部門は、本当に素晴らしい年代だと、今日は改めて思いました。みなさまのピアノも、人間も、いろいろなことが1日1日良い成長となってくださいますことを、私たち一同心から願っています。頑張ってください。
ラルフ・ナットケンパー 氏
(ピアニスト、ハンブルク音楽演劇大学 教授)
まず最初に、お礼を申し上げたいと思います。ここに来るまでに、大変な努力をして、何時間もピアノに向き合ってこられたみなさまに、感謝の意を伝えたいと思います。そして2つ目の感謝は、ご両親のみなさま、ご家族のみなさまへ。毎日練習につきあって、時には耳にちょっと苦しいような練習を、何時間も聞いてこられたご家族のみなさまに、感謝の意を伝えたいと思います。もちろん、先生方にも感謝いたします。
「なぜここまで努力をして、音楽に向き合わなければいけないのか」という質問は、常に自分に問い続けなければいけないものです。「なぜか」を考えた時、音楽でしか表現できない何かがあるから、音楽以外のものでは決して表現できないものを表現したいから、音楽をやっているのだと思うんですね。今日のみなさんの演奏を聞いて感じたのは、楽しさや喜びを十分に感じていているかなと。学校に行って、つまらないと言ったら失礼かもしれないけれど、授業で算数の練習問題を解いているような感じで演奏している方が多いのではないか。楽しみや喜び、音楽への愛情といったものを感じているかな、と思いました。特に、古典派の音楽を聞いた時、みなさん牢屋に入っているかのような演奏だった気がするのです。でも、もちろん牢屋じゃないですよね。古典派といっても、音楽の様式が違うだけです。ロマン派や近現代に比べると、少しはっきりとした音楽の枠組みがあることは確かですが、その時代に生きていた人々も、我々後世の時代の人やその前の時代の人と同じように、人生の喜びや悲しみを持っていたわけですよね。ハイドンについても、四角い箱の中に収まった人ではなく、すごくユーモアに溢れる人だったし、とても生き生きとした人物だったわけなんですよね。ですから、その音楽への敬意、尊敬の念は必要だけれども、牢屋に入るような気持ちで弾いてはいけないということです。オペラの音楽を聞いたり、弦楽四重奏を聞いたり、ベートーヴェンの交響曲を聞いてみると、喜びが溢れています。ピアノで音楽を奏でるときも、同じということを忘れないでほしい。古典派の音楽も、バロック、ロマン派、近現代と同じように、楽しさが溢れる、喜びの溢れる音楽として捉えて、生き生きと演奏してほしい。それが、私からお伝えしたい忘れないでほしいメッセージです。頑張りましょう。
D部門
パスカル・ドゥヴァイヨン 氏
(ピアニスト、英国王立音楽院 客員教授、桐朋学園大学 特任教授、元ベルリン芸術大学 教授、元ジュネーヴ音楽院 教授、元パリ国立高等音楽院 教授)
みなさん、こんばんは。
みなさんが、すごく意志を持って、そしてやりたいことを思いっきり演奏している姿を見ながら、ふと「私たち演奏家とは、一体どういう役割なんだろうか」と考えさせられました。「音楽やピアノが好きだから、喜んで楽しく弾ける」。それだけでいいのだろうかと。いま、私が話していますけれども、話す時や、たとえば本を書く方、あるいは曲を書く方も、それぞれ何か言いたいこと、伝えたいことがあって書いているわけですよね。それを伝えてもらうために、たとえば僕は日本語が喋れないので、通訳の人が必要になるわけです。その通訳者の仕事は、僕が言ったことを忠実に訳すことであって、好きなように話しているわけではないですよね。本も同じで、みなさんが何かお話を書いたとして、世界の人に読んでもらいたかったら、誰か訳してくださる方が必要になるわけです。誰もが日本語を読めるわけではないので。本を書いた方にとっては、翻訳者の役割が非常に大切になります。たとえば、日本の有名な作家である三島由紀夫さんは、自分の本は英語のみの翻訳を望み、自分が選んだ人にしか翻訳を許していなかったそうです。その方を信頼して、自分の書いたものを忠実に訳してくれるからということで、他の言語で本が出る場合にも、「その英語をベースに訳してほしい」ということが知られているほどです。音楽も同じで、好きな曲を拾い出してきて、みなさんが自分の言いたいことを好きなように表現していいというわけではないんですよね。そういう意味で、深い勉強が必要になってきます。この作曲家は、一体何を言いたかったのかということを、理解しようとする姿勢での勉強です。そのためには、その作曲家がどういう人だったのか、どういう性格か、どういうところに生きて、どういう時代に生きてきたのか、そんなことを知る必要も出てくるわけです。当然、生きてきた時代や環境が反映されている部分もあるから、そういうこと知らなければいけないし、さらに楽譜から、一体彼がどのように伝えたくてこう書いたのかというのを、できる限り忠実であろうと願いながら、音を鳴らしていく勉強が必要になります。ですから、今後みなさんが演奏家を目指した道を続けられる場合には、そのことを忘れずに勉強していってほしいと思います。みなさんの喜びも、とても大切なことですけれども、それと同時に作曲家に対しての目線を見続けるには、集中とエネルギーが必要になってきます。それがあってこそ、あの素晴らしい音楽に繋がるんですね。大変そうな勉強に感じたかもしれませんけれども、音楽というのは私たちに与えられた何よりもの贈り物でもあるので、そのお仕事がきっと楽しく感じられるし、美しいものに感じられると思いますよ。
さて、彼女(通訳の方)は、正しく訳してくれていたかな?(笑)。ありがとうございました。
岡田 敦子 氏
(ピアニスト、東京音楽大学 客員教授)
いま、ドゥヴァイヨン先生から、本当にその通りだなと心に染めるお話をしていただきました。
D部門は、中学生ぐらいですね。日本の西洋音楽の教育の礎を築いたと言える斎藤秀雄先生がおっしゃっていたのですが、「中学生は、身体は大人。でも心はまだ大人じゃない。だからとても難しい時期だけれども、曲はもう大人のものを弾かなくちゃいけない。でも、心はまだ大人じゃない。だけれども、子どもでもない」と。そういう難しい年代なんですね。中学生はとても不安定で、難しい時期だと思いますが、私は中学生にピアノを教えるのが1番好きです。エネルギーがあって、猛獣のようで、とても変化できる。そういう時代だと思います。
そしてもうひとつ、いま、あなたたちにとってピアノが何であるかということが、おそらくこれから生きていく時の原点になる。子どもの時は、なんとなくピアノが好きだとか、親にやらされていたとか、いろいろあるかもしれませんけど、いま、「もっとやっていきたい」「限界だな」「自分はこのくらいやりたい」と思うことは、意外とこの後の出発点になるんじゃないかなと思います。これから高校生になり、大学生になり、いろんな社会のことがわかってきて、ピアノをやることに迷ったり、思い直すこともあるかもしれませんが、今の年代の時にどう思っていたかということを、その時思い出してほしいなと思います。それが絶対ということではなく、そこを出発点にして、自分の道を探していってほしいなと思うところです。
昨日、C部門でナットケンパー先生が、「古典派の曲が難しい」というお話をされました。また、今日もドゥヴァイヨン先生が、「勝手に弾けばいいものではない」というお話をされましたよね。古典派の音楽を弾くのは、難しい。だって、私たちよりも、ロマン派の音楽より、近代音楽よりも昔の音楽ですからね。でも、難しいなと思ったら、基本に戻りましょう。私がいつも思っていることは、いくつかあります。ひとつは、拍子が大事だということです。曲をアナリーゼしましょうと言うと、ついつい形式や和声のことを考えてしまいますが、音楽は時間の芸術ですから、拍子が大事です。拍子というものは、バロック時代に拍子のシステムが完成しているので、古典音楽の命のようなものです。当たり前のことのようですけど、小節線があるとかね、そういうことは譜読みのためにあるんじゃなくて、1、2、3、4というリズムがあるでしょう? たとえば、1拍目に1番大事なところが置かれているとかね。そうでない場合には、作曲家が示している。たとえば、アクセントやスラーです。そういう風に、ショパンが生徒に言っています。なので、それに即して弾いてもらいたい。アウフタクトから始まっている時に、アウフタクトの方が強いということは、古典派ではほとんどないです。ロマン派以降のものには、ある時もありますけれど。それともうひとつ、タッチ。ピアノのタッチの強さは、結局「重さ×速さ」なんですね。昨日から聞いていて、往々にして思うのですけれども、たとえばスタッカートで切ると、レガートで弾いている時よりも、思わずタッチが早くなってしまう。自分は割と弱く弾いているつもりなんだけど、音は強くなっていたり。そこも「重さ×速さ」ですから、速さが変われば音も強くなるわけですよね。それは狭い場所ではあまりわからないかもしれないけど、こういう広いホールに来ると、すごくよくわかるんですね。その辺のところを、頭の中で強弱だけで覚えているのではなくて、鍵盤とのコンタクト、耳と手先の触覚、そうすると全身になるのかな。そういうもので総合的に感じて、曲を弾いてもらいたいですね。
そして、ドゥヴァイヨン先生の話に戻ると、もう中学生の時から、「いかに弾くか」ではなく、「いま弾いているものが何か」「このフレーズ一つひとつが何か」「どう弾きたいのか」がとても大事なのだと思います。本番は緊張しますけれども、「一つひとつの音をこう弾きたい」と強く思っていれば、緊張する暇はないんじゃないかなと思いたいです。けれど、なかなかそうはいかないかもしれません。そんなことを、もしヒントにしてくれたらとても嬉しいと思います。これからもどうぞ頑張ってください。
【取材:鬼木 玲子】
【撮影:武藤 章】
ユース部門
岡田 博美 氏
(ピアニスト、桐朋学園大学院大学 教授)
今日はおめでとうございます。そして、お疲れ様でした。今日のような若い世代の演奏を聞きながら、自分が若い時はどうだったかなと思い起こしながら聞いていました。やっぱり若いだけあって、いろんな野心、「これからこうしたい」という主張が伝わってきて、とても聞き甲斐がありました。
それで、ちょっと気がついたことが2つあります。
1つは、間合いや曲のまとめ方は隙なく出来ていて、理想的な形をしていても、なぜかちょっと「こう弾きたい」という気持ちの伝わりにくい部分。部分と言ったらいいでしょうね。それがありました。考えてみると、もっともっと若いのだから、ギリギリのところまで、これから表現の上でギリギリまでやっていただきたいと思います。
あと1つはですね、メロディーはよく聞こえているんですが、それにまとわりつくハーモニーというか、伴奏オケが、もう少しそっちも主張してほしいなと思うことが度々ありました。
今日は大変だったかな。出発の日と思って、もっと頑張って勉強してください。ありがとうございました。
【取材:鬼木 玲子】
【撮影:武藤 章】