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リード希亜奈の「マンマ・ミーア日記!~in 南イタリア~」

カルロヴィドゥッソ国際ピアノコンクール第2位、第3回高松国際ピアノコンクール第5位など様々なコンクールでの活躍で注目を集めるリード希亜奈が、単身イタリア留学を決意!
何もかもが初めての、刺激的なイタリアでの留学生活の様子をお届けします。

(毎月1日、15日頃更新。※更新日は、都合により前後する場合がございます。)
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pianist リード希亜奈

pianist リード希亜奈
1995年滋賀県生まれ。
東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て、東京藝術大学音楽学部ピアノ科を首席で卒業。在学中にアリアドネ・ムジカ賞受賞。卒業時に大賀典雄賞、三菱地所賞、アカンサス音楽賞、安宅賞、同声会賞を受賞。皇居東御苑・桃華楽堂にて行われた御前演奏会に出演。
第46回パルマ・ドーロ国際ピアノコンクール、第2回アミグダラ国際ピアノコンクール、第30回アルベンガ国際ピアノコンクールにて第1位。第15回アントニオ・ナポリターノ国際ピアノコンクール第3位。第14回カルロ・ヴィドゥッソ国際ピアノコンクール第2位。第3回高松国際ピアノコンクール第5位。
2012年にはザルツブルク音楽祭にて演奏するなど、日本国内はもとよりオーストリア、ロシア、香港、イタリア、ドイツ、韓国、台湾等でコンサートに出演、リサイタルを行うほか、山下一史、藤岡幸夫、梅田俊明、高関健、田中一嘉、大浦智弘、ジョヴァンニ・ポンペーオの各氏指揮のもと、瀬戸フィルハーモニー交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、藝大フィルハーモニア管弦楽団、高松交響楽団、栃木フィルハーモニー交響楽団、バーリメトロポリタン交響楽団と共演。
Sir Andràs Schiffプロデュースの “Building Bridges for the Next Generation of Pianists” 2021年アーティストに選抜される。
伴奏や室内楽にも積極的に取り組んでおり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や東京オペラシティリサイタルシリーズ「B→C」、CHANEL Pygmalion Days等に共演者として出演。
2015年度ヤマハ音楽奨学生。 宗次德ニ奨学基金奨学生。2020年度ロームミュージックファンデーション奨学生。平成29年度滋賀県次世代文化賞、平成31年度平和堂財団芸術奨励賞受賞。
これまでに、ピアノを故汐巻公子、甲斐環、野山真希、 岡原慎也、黒田亜樹、有森博、パスクァーレ・イアンノーネの各氏に、ソルフェージュを故藤花優子氏に、室内楽を江口玲、河野文昭、伊藤恵、川本嘉子の各氏に師事。
ペスカーラ音楽院を経て現在、バーリ “ニッコロ・ピッチンニ” 国立音楽院修士課程2年に在籍中。


※上記は2020年10月20日に掲載した情報です。

No.26自分の行動を振り返る

2020.04.21更新

 皆さま大変ご無沙汰しております...!
 新型コロナウイルスの件で大変な日々が続いておりますが、如何お過ごしでしょうか?(;_;)

 私は幸運なことに、元気です。現在は日本にいます。大まかな流れはこうです。

 3月1日〜7日まで日本でとあるオーディションがあったため帰国しており、その後一旦イタリアに戻る。しかし3月9日に日本に戻ることを決意し3月10日に再び飛行機に飛び乗り3月11日に帰国。


 自分の行動と当時の状況を振り返ってみます。

 イタリアのヴェネト州、ロンバルディア州にて新型コロナウイルスによる死者が出たのが2月も下旬にさしかかった頃でした。Bariでは授業もありましたし、Puglia州含め南イタリアではまだ感染者も確認されておらず、いつもと至って変わらない日常でした。

 しかし北部はその後ものの1週間ほどで感染者数も地域も拡大していく。とはいえバルレッタやバーリでは人々はまだ普段通りの生活。しかしハンドサニタイザーやアルコール消毒シート等は完売で既に手に入らない状態。2月29日にローマから日本へ向けて発ったのですが、先生や事情を知っていた仲の良い友達からは、「日本に行くの、大丈夫?どうか気をつけてね...」と心配されていました。

 クルーズ船のニュースが飛び交い始めたのが2月の初め頃からだったと思うので、クルーズ船内での感染者数も既にかなりの数になっていましたし、南イタリアに住んでいる人にとってはまだまだ日本の方が危険地域という認識だったのだと思います。

 日本に滞在していた3月5日に、イタリア全土の学校が15日まで休校に(ロンバルディア州や他の州も、その前から既に休校になっていたところはいくつもありました)なるという発表が。

 3月7日、翌日からミラノが移動制限区域になるとの発表。私自身不安を抱えながらも、9日にレッスンはあるし、15日以降まだどうなるか分からないし(プーリア州ではまだ感染は広まっていませんでした)、チケットは格安サイトだったので変更も出来ないし...ということでイタリアへ(この考えは甘かったと大反省)。イタリア時間の7日夜にフィウミチーノ空港着。ロンバルディア州とその周辺11の県が封鎖されるとのニュースが。

 8日、既にイタリアのニュースに貼り付いていた毎日でしたが、7日夜にミラノからたくさんの人々が電車で移動する姿をTwitterでみて、南にも来るな、と。先生に、万が一のことがあったら怖いので明日のレッスンはお休みします、と連絡。夕方やっと自宅着(ただ単に電車の本数が少なかっただけで、コロナの影響ではないです)。

 9日は日本でのスケジュールに疲れていたこともあって一日ぐったり。食糧を買い足しに行かなきゃと思いながらも昼寝から起きたら21時頃。スーパーに行きそびれ、焦る。夜遅くに母からイタリア全土移動制限になるよ!との連絡。青ざめる。母に電話で相談。夜中(10日1:00AM)、イタリア在住の友人に電話。一緒に1からリスクを冷静に整理する。帰国を決意。電話で話しながらすぐさま飛行機を予約。

 10日20時フィウミチーノ空港発の飛行機だったけれど、そもそもローマまでの電車がいつ止まるか分からなかったため一刻も早くローマ入りしておきたく、朝6時台の電車を予約。徹夜で荷造り。そのまま10日早朝急いで家を出て無事乗車、ローマテルミニ駅へ。電車にほとんど人がいない。車両には自分一人だけ。朝10時頃無事に到着。いつも大混雑のテルミニ駅が閑散としている上、マスクを着用している人が目立つ存在では無くなっていることに心拍数が上がる。私ももちろん着用。

 イタリアの家に常備していた百均のアルコール除菌シートで手やらなんやら拭きまくりながらテルミニ駅内の、人が少ないお店で昼食。飛行機が飛ぶかどうか心配だったので早めに空港に行き、人混みを避けながらひたすら待つ。続々と欠航になる便が発表されていくなか不安で押しつぶされそうに。しかしひたすら待つ。17時頃無事チェックイン。少しホッとするがここはヨーロッパ。油断は禁物(`´)!だったけど、無事に搭乗。第2のホッ。経由地のパリへ。ここからの便は、席は違えど友人と同じだったので、ゲートで落ち合う。次々と状況が変わる中緊迫しっぱなしだったので、本当に大変な事態の中凄い経験をしている自分達に動揺しつつもお互いまずは無事で良かった、、と再会をしんみり喜びました。人が多く飛行機も満席だったので、機内でも除菌シート等をフル活用しながら最大限の緊張感をもって過ごす。急いで国を離れた人も多くいたのかな、、と思いました(とくにイタリアから)。無事に日本に到着。

 入国の前、イタリアからお越しの方はこちらへ、のボードを持った係員の方が。どちらからいらっしゃいましたか?とのことだったので、プーリア州と(ローマがある)ラツィオ州も通りました。と説明すると、感染拡大地域ではないので検査無しでそのまま入国してください、とのことでした。実際私が帰国した時点ではプーリア州全体で感染者はまだ殆どいませんでした。ですが北部は深刻な状況でしたし、もしものことがあってはいけないと思ったので、2週間自主的に隔離して過ごしました。


 イタリアでは皆様もご存知の通りその後さらに状況が悪化し、今ではプーリア州でも感染者数3500人超、死者数は300人をこえています。日本の現在の死者数よりも多いです...
 あのまま外国人としてバルレッタに残り続けていたらと考えると怖くなる気持ちもあります。

 自分は10日からイタリアが全土封鎖になったので、当時のプーリア州の感染者数、イタリアでの保険のこと、私が住んでいる街の医療体制、病院へのアクセス、周りに日本人もおらずあまり頼れる人がいないこと、食糧の買い占めが深刻であったこと等(他にもたくさんあります)から考慮した上で、今帰らなければ、と早めに決断に至ったかたちとなりましたが、後々帰国者が検疫通過後に発症したり、検疫で感染が発覚していたり、、大きな問題となっています。日本に帰国するという当時の自分の判断に対して反省することはたくさんあります。

 正直、3月7日イタリアへ戻った後のたった2日間であんなにも状況が劇的に変わるだなんて、想像し切れていませんでした。非常に大切な経験になりました。でも実際、7日の夜中にミラノから多くの人の移動があった約一週間後の3月15日あたりから南でも感染が拡大してきたのです。

 今現在は自宅で元気に過ごしている毎日ですが、今後も引き続き一人の人間として、微力ながらも感染を拡大させないよう、そして出回る情報をただ妄信するのではなく自分でしっかりと考えながら行動していきたいと思います。


 本当大変な状況ではありますが、まずは健康第一ですよね...(;_;) 皆様もどうかどうか、御自愛くださいませ。

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pianist リード希亜奈

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1995年滋賀県生まれ。
東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て、東京藝術大学音楽学部ピアノ科を首席で卒業。在学中にアリアドネ・ムジカ賞受賞。卒業時に大賀典雄賞、三菱地所賞、アカンサス音楽賞、安宅賞、同声会賞を受賞。皇居東御苑・桃華楽堂にて行われた御前演奏会に出演。
第46回パルマ・ドーロ国際ピアノコンクール、第2回アミグダラ国際ピアノコンクール、第30回アルベンガ国際ピアノコンクールにて第1位。第15回アントニオ・ナポリターノ国際ピアノコンクール第3位。第14回カルロ・ヴィドゥッソ国際ピアノコンクール第2位。第3回高松国際ピアノコンクール第5位。
2012年にはザルツブルク音楽祭にて演奏するなど、日本国内はもとよりオーストリア、ロシア、香港、イタリア、ドイツ、韓国、台湾等でコンサートに出演、リサイタルを行うほか、山下一史、藤岡幸夫、梅田俊明、高関健、田中一嘉、大浦智弘、ジョヴァンニ・ポンペーオの各氏指揮のもと、瀬戸フィルハーモニー交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、藝大フィルハーモニア管弦楽団、高松交響楽団、栃木フィルハーモニー交響楽団、バーリメトロポリタン交響楽団と共演。
Sir Andràs Schiffプロデュースの “Building Bridges for the Next Generation of Pianists” 2021年アーティストに選抜される。
伴奏や室内楽にも積極的に取り組んでおり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や東京オペラシティリサイタルシリーズ「B→C」、CHANEL Pygmalion Days等に共演者として出演。
2015年度ヤマハ音楽奨学生。 宗次德ニ奨学基金奨学生。2020年度ロームミュージックファンデーション奨学生。平成29年度滋賀県次世代文化賞、平成31年度平和堂財団芸術奨励賞受賞。
これまでに、ピアノを故汐巻公子、甲斐環、野山真希、 岡原慎也、黒田亜樹、有森博、パスクァーレ・イアンノーネの各氏に、ソルフェージュを故藤花優子氏に、室内楽を江口玲、河野文昭、伊藤恵、川本嘉子の各氏に師事。
ペスカーラ音楽院を経て現在、バーリ “ニッコロ・ピッチンニ” 国立音楽院修士課程2年に在籍中。
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※上記は2020年10月20日に掲載した情報です。