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山本貴志 ピアノダイアリー Kraj kwitnących wiśni ~桜の花咲く国~

2005年第15回ショパン国際ピアノコンクールで第4位に輝いた山本貴志が、再びポーランドにも拠点を置きながら新たな活動を開始。日本とポーランド、両国から生の声をお届けします。
※Kraj kwitnących wiśni(クライ・クフィットノンツィフ・ヴィシニ)=「桜の花咲く国」:ポーランドでは日本の事をこのように表現します。

(毎月1日、15日頃更新。※更新日は、都合により前後する場合がございます。)
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pianist 山本 貴志

pianist 山本 貴志
1983年長野県生まれ。5歳でピアノを始め、97年第12回長野県ピアノコンクールでグランプリ受賞。98年第52回全日本学生音楽コンクール東京大会中学校の部で第3位入賞。2001年には第70回日本音楽コンクール第3位。02年、桐朋女子高等学校音楽科を首席で卒業後、ソリストディプロマコースに在籍。03年より5年間、ワルシャワ・ショパン音楽アカデミーに在学。 04年第56回プラハの春国際音楽コンクール第3位入賞及び最年少ファイナリストに贈られる“ヴァレンティーナ・カメニコヴァー”特別賞を受賞。第6回パデレフスキ国際ピアノコンクール第5位。04年度文化庁新進芸術家海外留学研修員。05年、第4回ザイラー国際ピアノコンクールにおいて満場一致で優勝およびショパン作品最優秀演奏賞受賞。同年、第15回ショパン国際ピアノコンクール第4位入賞。アメリカ・ソルトレークシティでの第14回ジーナ・バッカウアー国際ピアノ・コンクール第2位入賞。第33回日本ショパン協会賞を受賞。08年、ショパン音楽アカデミーを首席で卒業し、代表としてワルシャワ・フィルと共演。これまでに大島正泰、玉置善己、ピオトル・パレチニの各氏に師事。現在はリサイタル、室内楽、コンチェルトなどを精力的に行っている。avex-CLASSICS よりショパン:ワルツ集とノクターン集をリリースするなど、今もっとも期待される若手ピアニストのひとりである。今秋よりポーランドに在住。

No.3日本人とショパン

2014.09.01更新

さて、そろそろ「ピアノ」ダイアリーらしい(!?)話題をお届けしたいと思います。
私がポーランドの方から最もよく受けた質問が

「何故日本人はこんなにもショパンが好きなのか」

というものでした。実は私ははじめこの質問自体に驚いていて、ショパンは世界中で愛奏、愛聴されていると信じて疑わなかったのです。もちろんピアノに携わっているならばショパンを知らない人はまずいないだろうと思いますが、他の国ではどうやらこんなに熱心ではないようなのです・・・。
2010年は生誕200年ということで日本は大変な盛り上がりでしたが、あるアメリカの知人に聞いたところ、「そういえばそうだったかな」くらいの認識しかないという答えでびっくりしたのを覚えています。
そのくらい日本での愛され方は本家本元のポーランドからみても特殊だったのですね!

私はこの質問を受ける度にどのように答えたら良いか悩みました。 確かに幾つかの作品には東洋音楽のような響きを持つ旋律が出てきたりしますが、ドビュッシーの「塔」のように意図的に具現化したとは考えられませんし、まずショパンの存在自体が謎だらけなのです。突然変異と言っても良いかもしれません。
ポーランドという当時の音楽の中心地とは離れた国に生まれ、既に学生時代に師エルスネルから「驚くべき才能、音楽の天才」と評されたショパン。作風を刻々と変化させる作曲家が多い中、基本的な音楽語法は既に10代で確立、亡くなるまで変わることがないどころか最晩年の作品では逆に若い頃を思い出しているかのよう。そして何よりオペラや交響曲が書けないと一流とはみなされなかった当時の風潮などどこ吹く風でここまでピアノ曲ばかりを作った作曲家は他に例がなく、きっともの凄い信念の持ち主(言い換えれば頑固!?)だったに違いありません。「別れの曲」も「雨だれ」も「革命」も、付けようと思えばいくらでもタイトルが付けられるほどのキャッチーな作品を書きながら、自身は練習曲、前奏曲といったある意味では無機質な題しか残していないことも、殊に同時代のシューマンとは正反対です。

そのシューマンはショパンの音楽を「花に包み隠された大砲」と評しましたが、まさに本質を言い当てていると感じます。とにかく自分をさらけ出しているようで隠しているのですよね・・・。ちょっとした和音の濁りや旋律の違いに色々な心情を散りばめていますがよく注意しないと見落としてしまうものばかりで、何だか「分かってくれる人にだけ気付いてもらえれば良いです」と言われているようで背筋が凍るようです・・・。

リストもショパンを尊敬している一人でした。 幻想ポロネーズについて「この痛ましい幻影は芸術の域を超えている」と言ったそうですが、私はとかく否定的な意味に捉えられやすいこのリストの発言こそ、本当にショパンの音楽を理解していた彼ならではの言葉だと感じています。葬送ソナタの終楽章もそうなのですが、これら得体の知れない音楽は実態のない魂まで表現してしまっているのでは、と・・・。やはり大作曲家同士通じ合うものがあるのかもしれませんね・・・。

このように当時から議論を巻き起こしてきたショパンの作品ですが、最近どうして日本人がショパン好きなのか何となく見えてきた気がします。こう言ってしまうと身も蓋もないのですが、やはり「感覚が合う」という漠然としたものではないでしょうか・・・。ショパンの音楽に全く違和感がなく、なぜ好きなのか疑問を感じたこともない・・・これこそが答えなのかもしれません。ポーランドでは当然のことながらショパンを誇りに思っている方が多く、そんな彼の作品を愛している日本という国を私たちが思うよりもっと大切に捉えています。ショパンも自分の音楽が両国の架け橋になるなんて当時は思いもしなかったでしょう。もしショパンがまだ生きていて来日することがあったなら、ぜひ感想を聞いてみたいものです・・・!

ワルシャワの王宮広場。こちらも大戦後復元されたとは信じられません。

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1983年長野県生まれ。5歳でピアノを始め、97年第12回長野県ピアノコンクールでグランプリ受賞。98年第52回全日本学生音楽コンクール東京大会中学校の部で第3位入賞。2001年には第70回日本音楽コンクール第3位。02年、桐朋女子高等学校音楽科を首席で卒業後、ソリストディプロマコースに在籍。03年より5年間、ワルシャワ・ショパン音楽アカデミーに在学。 04年第56回プラハの春国際音楽コンクール第3位入賞及び最年少ファイナリストに贈られる“ヴァレンティーナ・カメニコヴァー”特別賞を受賞。第6回パデレフスキ国際ピアノコンクール第5位。04年度文化庁新進芸術家海外留学研修員。05年、第4回ザイラー国際ピアノコンクールにおいて満場一致で優勝およびショパン作品最優秀演奏賞受賞。同年、第15回ショパン国際ピアノコンクール第4位入賞。アメリカ・ソルトレークシティでの第14回ジーナ・バッカウアー国際ピアノ・コンクール第2位入賞。第33回日本ショパン協会賞を受賞。08年、ショパン音楽アカデミーを首席で卒業し、代表としてワルシャワ・フィルと共演。これまでに大島正泰、玉置善己、ピオトル・パレチニの各氏に師事。現在はリサイタル、室内楽、コンチェルトなどを精力的に行っている。avex-CLASSICS よりショパン:ワルツ集とノクターン集をリリースするなど、今もっとも期待される若手ピアニストのひとりである。今秋よりポーランドに在住。
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