八條美奈子

札幌フルート協会の副会長を務め、PMFへの参加経験も生かして札幌の文化的成長に貢献する八條美奈子さん。その基本姿勢は「いいと思ったら何でもやる」‼

八條 美奈子(はちじょう みなこ) Minako Hachijo

札幌市出身。北海道教育大学札幌校芸術文化課程音楽コース卒業、同大学院修士課程修了。大学院在学中にパリ・エコールノルマル音楽院に留学。1998年、1999年PMFアカデミーオーケストラに参加。1999年パリ・ガストン・クリュネルコンクールで満場一致の一等賞を受賞。2002年度札幌市民芸術祭奨励賞、2015年度北の聲アート奨励賞を受賞。現在は札幌を拠点に、北海道内各地でソロや室内楽演奏、後進の指導を行う他、各種コンクールの審査員も務める。また、2012年より多久潤一朗氏プロデュースによる「フルートレボリューションfrom札幌」メンバーとして活動し、革命的なフルートの音楽づくりやコンサート企画を模索しつつ、毎年定期公演を行っている(コロナ禍により2020年以降の定期公演は休演中だが、アウトリーチやイベント演奏活動は継続中)。
これまでにフルートを森圭吾氏、工藤重典氏、フランソワ-グザビエ・ロト氏、阿部博光氏に師事、室内楽を内田輝氏、ジュヌヴィエーヴ・マルティニ―女史に師事。現在、札幌大谷大学非常勤講師、北翔大学非常勤講師、ヤマハミュージックリテイリング札幌店フルート講師を務める。札幌フルート協会副会長、日本フルート協会会員、北海道国際音楽交流協会(ハイメス)アーティスト会員。

2021年4月よりYouTubeに「八條美奈子フルートチャンネル」を開設、過去の演奏動画等を配信中

 

大学院在学中にパリに留学し、工藤重典氏のクラスに

フランスに留学したのは北海道教育大学の大学院2年目で、学校の先生になるかどうかなど、進路に悩んでいた時期でした。ただ、正直に言えばやはりフルート奏者として活動していきたいという気持ちが強かったです。
そんなとき、札幌出身である工藤重典先生が札幌に来られて、公開レッスンを受ける機会がありました。工藤先生のお師匠さんにあたる佐々木伸浩先生が、当時札幌フルート協会の会長であり、工藤先生に話をしてくださった結果、パリのエコールノルマル音楽院の工藤先生のクラスに入れてもらえることになり、その3か月後にはパリにいました(笑)。工藤先生以外では、今は指揮者として活躍しているフランソワ=グザヴィエ・ロト氏に、個人的にレッスンを受けたりもしました。

フランスでは、音楽の面で「やってはいけない」ということがあまりなかった気がします。「良い音楽であればいい」とか「伝わればいい」というような本質的なところを大切にする感じですね。聴き方も減点的ではなく、自分としてはあまり上手くいかなかったコンサートでも、「こういうところが良かったよ」と言ってくれる人がいましたし、コンクールの審査員の先生などもあまり否定的なコメントではなかったです。そのおかげで、自分も人の良いところを見つけようという考え方に変わりました。
もう一度留学したいという気持ちはあって、今は難しいですが60歳になったら記念に留学する、なんていうのも素敵じゃないですか?守りに入ってしまわず、いつでも攻めていたいですね。

札幌フルート協会の副会長として

2012年から副会長をやらせていただいていることもあって、今は札幌フルート協会が自分の居場所として大きな存在です。札幌のフルート文化を広めることに尽力されてきた佐々木先生や、もう亡くなられてしまった初代会長の小松昭五先生への恩返しという気持ちも大きかったです。直接の師弟関係はないのですが、先ほどのパリ留学のときを含めていろいろ応援してくださったこともありますので。
門下を超えて、地域でまとまれるというのが札幌のいいところかもしれませんね。東京の音大を出て帰ってきた人もいればこっちで勉強した人もいますが、区別はありません。この先もそうでありたいと思います。

札幌フルート協会としてメインとなる催しは、年に1度の札幌フルートフェスティバルです。現在、阿部博光先生を会長として会員が150名くらいいるのですが、プロフェッショナルも趣味でやっている人も一緒になって、ゲストを交えて演奏します。佐々木先生自身が編曲をなさるので、毎回オーケストラの曲を大合奏します。ときにはワーグナーなどもやるので、ちょっとフルートっぽくない世界観になります(笑)。

近年は小学生、中学生、高校生のための「未来塾」というプロジェクトを立ち上げて、講習会を開き、フェスティバル内で子どもたちだけのステージや、その子どもたちを交えた大編成の合奏なども行なっています。特に吹奏楽部では吹奏楽の世界しか知らない子が多いので、フルートフェスティバルにゲストとしてお呼びした日本を代表するフルーティストの演奏を聴いたり、自分のフルートの先生がゲストと一緒に吹いているのを見たりするのは貴重な体験だと思います。

今年はコロナ禍でフルートフェスティバルも中止になってしまったので、12月頃にそのリベンジコンサートをしようと企画しております。

PMFと札幌

PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌)に参加したのは、パリ留学中のことでした。当時はオーディションが世界を回っていたので、パリからロンドンまで受けにいったら合格して、札幌にタダで里帰りできることになりました(笑)。札幌出身ということもあって注目してもらえたのもよかったですね。
パリで勉強したことも刺激になりましたが、PMFに参加したこともまた別のカルチャーショックでした。世界中からすでにプロとして活動している人や、すごく勢いのある若い人たちとが集まって来るので、圧倒されるばかりではありましたが、負けないようがむしゃらにがんばりました。そのおかげか、次のときはインビテーション(招待)をもらって参加しました。
今でも、組織委員会から声を掛けていただいて、イベントやコンサートなどに修了生という立場で出させていただいています。
開催期間の7月8月だけでなく、オフシーズンにもPMFというものを札幌市民に知ってもらうということが、今大事になっているんです。市民にPMFという存在が意外と伝わりきっていないというのが実情なので、PRのためにオフシーズンのコンサートや、学校コンサートなどもやらせてもらっていて、クラシックファン以外にも、もっと広くPMFを知ってほしいと思います。

去年から私は、札幌市役所の文化部の中にある、芸術の様々な分野の人が14名集まった「札幌芸術文化未来会議」の委員になっていて、札幌の文化をよりよくするための話し合いをしています。
そういうところでいろいろな人の意見を聞くと、「いまいちPMFって何かわからない」と言われることもあり、逆に大きな美術の祭典が札幌で開かれていても私にはよくわからなかったり。私は札幌が好きなので、もっと大きな視点で、札幌が文化的な街として成長できたらいいという思いを持っています。
こういうことは私が1人で思っていてもどうしようもないのですが、PMFに参加していたことでお話をいただいたようなところもあるので、嬉しかったですね。札幌フルート協会の副会長ということもあり、いろいろなところに関われることが増えてきていて、ただ吹いて教えているだけではない感じになってきました。

ユニークな活動のフルートアンサンブル「フルートレボリューションfrom札幌」

2007年の札幌フルートフェスティバルで神田勇哉さん(東フィル首席/マグナムトリオ・メンバー)をゲストとしてお呼びしました。そのとき彼が「僕の友だちの書いた曲をやりたい」と。それが多久潤一朗さん(マグナムトリオ・メンバー)だったのですが、譜面を見ても吹き方がよくわからない(笑)。それなら本人に曲の解説をしてもらいましょうということで来てもらったら、まあ面白い人で(笑)。これまで衝撃的な出会いはいくつかありましたが、そのひとつでしたね。まず「フルートは横に構えて吹くだけではない」という発想が素晴らしいと思いました。
私も新作の初演というものに興味があって、やらせていただく機会も結構あります。あるとき北海道教育大の作曲の先生であった南聡先生のプロデュースするコンサートで現代曲ばかり吹くことになったのですが、吹き方が全然わからなくて、現代奏法を教えてもらうために多久さんのところに弟子入りしたこともありました。そうしているうちに多久さんが「書き溜めたフルートアンサンブルの曲があるから、それを札幌の人たちと一緒に演奏したい」と言ってくれるようになりました。

そういうわけでフルートレボリューションfrom札幌の演奏会を開いたのが2012年のことで、このときは多久潤一朗作品発表会でした。打ち上げの席で「次はどうする?」という話になったら、多久さんが「皆さんも曲を書いてくださいよ」と。みんな「無理」と言っていましたが、私は誰かの作品発表会ではなくみんなで持ち寄ってやりたいと思って、作曲なんて全然やったことなかったのに「やる!」と言ってしまいました。
それまで年に1回くらいは新作初演をしていたので、心の中に(作曲のための)ストックがあり、なんとか曲を書いてみました。他のメンバーも編曲したり作曲したりし始め、しかも演奏会でコントとかやるので、台本を書いたりとかもして。
それまで「クラシックのフルーティストでございます」と、目の前にある楽譜をいかに正しく演奏するか考えていたところに、「自分たちで何かをクリエイトする」という扉を開いたようなものです。第2回目の演奏会は本当の〝レボリューション″でした。
コロナ前は毎年11月くらいに演奏会をしていたのですが、多久さんには奥さんと子どもとともに、1週間くらい札幌に缶詰めになってもらって、合宿をします。その中で公演のために作り込んでいくわけです。こういう活動ができるのも札幌のよさであり、多久さんは「東京で集まってやろうというときに、ここまでの熱量は生まれない」と言っていました。

イデアルとの出会い

私にとって楽器というのは自分の心を映し出す鏡だと思いますので、そのときそのときで最高だと思う楽器を使っています。「これが最後の楽器だ」と思って買うのですが、結果的にたくさんの楽器が手元にあります。
私は長い間ヤマハのビジュー(YFL-894BJH)を愛用してきました。同時にメルヴェイユのゴールドタイプ(YFL-994MVH)も持っています。
もともとはフランス留学から帰ってきて、今後楽器をどうしようか考えていたときに、佐々木(伸浩)先生が「これを吹いてみなさい」と貸してくれたのが、ビジューの頭部管HC(現TypeH)でした。それがすごくよかったんです。この頭部管がビジューの大きな特徴でもあったので、ビジューを買うことにしました。たまたま、テクニック的なこととか感性の部分で、相性が良かったのでしょうね。
その後木管アンサンブルなどで、もう少し華やかで他の楽器とやり合える楽器が欲しいと感じてメルヴェイユのゴールドを買い、2本を並行して使っていました。自分としては音色のきらめきやその変化といったフルートの大きな魅力をビジューに感じているので、これからも大事にしていきたいと思っていて、方向性のまるで違うイデアルは吹かないだろうなと感じていました。

イデアル(YFL-897H)を買ったのは、最初は言ってみれば「研究目的」でした。札幌大谷大学に入学した生徒が持っていたので――それも私が勧めたのですが、その子と一緒にイデアルという楽器を育ててみようかなと思ったからです。
だからイデアルを最初に吹いたときに「これだ!」という感じはありませんでした。そこは他のプレーヤーさんと違うかもしれません。でも「そのときの最高を求める」という姿勢がアーティストとして大事だと思うので、イデアルも使うようになり、少しずつその良さを感じるようになってきたところです。
音色の変化はきちんとつけられるし、パワフルで大きなホールでも十分に響かせるだけのエネルギーを出せる。演奏は自分1人で成立するわけではなくて、聴く人がいて、聴衆の求める音楽やサウンドがあって初めて成り立ちます。イデアルは、自分がやりたいこととお客さんの求めることがちょうどいいバランスで出せるというか、どちらも満足させることができる楽器だと思うんです。パワーだけでなくいいppも出せるし、音色の変化もかなり繊細に付くから、吹いていて楽しいですよ。
演奏する環境というものはいろいろですから、その場にふさわしい楽器を選ぶことも重要だなと思います。イデアルはやはり大きな音楽ホールで吹くとき、それからオーケストラや吹奏楽の中で吹くときなど、パワーが必要なときに選びたいですね。ビジューは、「フレンチバロックをチェンバロとやります」というようなときにこそ吹きたいです。ただそれも決めないで、そのときベストなものを選ぶというスタンスでいたいと思います。

イデアルを使うようになって変わったこと

イデアルを使うようになって、より遠くに、より多くの人に、物理的にもっとたくさん音を届けたいと思うようになりました。
鍵盤楽器に例えると、ハンマークラヴィーアがピアノになって、スタインウェイのような楽器が現れて、何千人も入ったカーネギーホールで大ピアニストがリサイタルするように、音楽文化そのものも変化しています。自分もそういう大きいところで演奏できるようなアーティストになりたいし、より遠くによりたくさんの人に届く音をイデアルとともに出せたらいいなと思います。

《Quel est votre idéal?》――あなたの「理想」は何ですか――

 「ここが理想」と決めてしまうと、そこで止まってしまうような気もするので、そのときそのときで一番いいと思うことを求めていくこと、としておきます。

いいと思ったら何でもやる。私はたいていのことを楽しいと思えるのですが(笑)。バッハは好きだし、フレンチコンポーザーも好きだし、ポップスもラテンも好きです。だから、何でもできるフルートでよかったなと思いますし、何でもやりたい。そういう生き方ができることが理想かな。

文:今泉晃一/写真:武藤章/撮影場所:札幌コンサーホールKitara

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製品情報

【ハンドメイド】イデアル

フランス語で“理想”という名を持つフルートは新たな到達点です。ソロ演奏からオーケストラまで、プロ演奏家のシビアな要求にも応える優れた演奏性。ハンドメイドならではの優雅な風格をたたえ、美しいラインで構成された外観。匠の手腕を注ぎ込み、時間をかけて入念に作り込まれた高級感溢れるハンドメイドフルート “イデアル”です。