奥田裕美/山本純子
パリ留学を経て関西で活動する女性フルーティスト、奥田裕美さんと山本純子さん。まったく違うタイプにも関わらず、2人で演奏するとピタッと合うのがまさにフランス仕込みだそうだが……。
奥田 裕美 Yumi OKUDA
大阪音楽大学音楽学部器楽学科フルート専攻卒業。在学中、アンサンブルの夕べ、日韓交流演奏会、ザ・カレッジコンサート、卒業演奏会など多数演奏会に出演。ザ・カレッジオペラハウス管弦楽団と協奏曲を共演。京都・国際音楽学生フェスティバル、ヤマハ管楽器新人演奏会出演。京都フランス音楽アカデミーにてPh.ベルノルド氏、浜松国際管楽器アカデミーにてPh.ピエルロ氏の指導を受け、選抜修了コンサート出演。またマスタークラスにて、E.バイノン、E.パユ、D.ブリヤコフの各氏に指導を受ける。同大学卒業後、渡仏。リュエイユ・マルメゾン国立地方音楽院(フランス)入学、満場一致の一等賞及び審査員特別賞を受賞し、最高学年ディプロム、D.E.M. (音楽研究資格) 取得。同音楽院にて結成した木管六重奏で、U.F.A.M国際音楽コンクール(フランス)満場一致の一位。ヨーロッパ・ピカルディコンクール フルート部門(フランス)一等賞。フランス滞在中、パリ・ミュンヘンなどで演奏会出演。2015年、日本演奏連盟・文化庁主催でリサイタルを開催。2019年、青山音楽記念館バロックザールにてリサイタルを開催。これまで、フルートを西村美香、中務晴之、杉山佳代子、中川佳子、Ph.ピエルロの各氏に、ピッコロをE.サボ氏に、室内楽をM.モラゲス氏に師事。
現在、関西を中心にソロ、室内楽、オーケストラで活動している。
【HP】yumiokuda.themedia.jp
【Facebook】 https://www.facebook.com/yumi.okuda
【Instagram】 https://instagram.com/cest_yumi?utm_medium=copy_link
【YouTube】 https://youtube.com/channel/UCpSOBmbKRIo0kZJ1q4LFZfQ
山本 純子 Junko Yamamoto
3歳よりピアノを、12歳よりフルートを始める。京都大学工学部を卒業後、渡仏。 渡仏後は国立パリ地方音楽院(Conservatoire Nationale Region de Paris)、またザルツキ財団とアルベルト・ルーセル財団より奨学金を受け、パリ・エコールノルマル音楽院に入学。その後両校をそれぞれ審査員満場一致にて卒業。 パリ・エコールノルマル音楽院ではフルートの高等演奏科ディプロムを、国立パリ地方音楽院ではフルートのディプロム(DEM)の他に、高等室内楽科及び高等ピッコロ科も修了し高等ディプロム(DEMS)を取得。 フルートを故立花千春、山崎たくじ、伊藤公一、工藤雅子、工藤重典、中務晴之、ヴァンサン・リュカ、フィリップ・ピエルロの各氏に、室内楽をエリック・ルサージュ、ポール・メイエの各氏に、ピッコロをナタリー・ロザ氏に師事。 またニース国際音楽アカデミー、クールシュベール国際音楽アカデミー、アヌシー音楽アカデミーにおいて、フィリップ・ベルノルド、ジュリアン・ボーディモン、ブノワ・フロマンジェの各氏に指導を受ける。 UFAM国際音楽コンクール1位(フランス)、ピカルディ・ヨーロピアン音楽コンクール1位(フランス)、第7回パドヴァ国際音楽コンクール木管部門1位(イタリア)など様々なコンクールにて上位入賞。 2009年小澤征爾音楽塾オーケストラメンバーとして、サイトウ・キネン・フェスティバル「子供のための音楽会」に参加。 2010年に帰国後、平成22年度日演連推薦・新人演奏会に出演。 現在、大阪にて音楽スタジオSTUDIO CC'を主催。フリー奏者として関西を中心に演奏活動を行う。 これまでにソリストとして日本センチュリー交響楽団、テレマン室内オーケストラ等と共演。 また、フランス語、英語の通訳には定評があり、来日アーティストのレッスン通訳、講習会アシスタントなどを多く務め、その経験を活かし後進の指導にも力を入れている。 ユニバーサルフルートオーケストラ団員。日本フルート協会代議員。日本演奏連盟正会員。
2021年12/6(月)19:00開演、大阪市立阿倍野区民センター小ホールにて、「山本純子フルートリサイタルvol.7 Le Temps Fantastique ー幻想の時ー」開催予定。
【HP】https://junkoyamamotoflute.wixsite.com/home
【Instagram】https://www.instagram.com/junkoy_flute/
2人の関係は?
奥田 特にデュオを組んでいるとかということはないのですが、2人で仕事をすることも多く、共通のグループで一緒に演奏することも多いです。
山本 今では仕事仲間ということを通り越して、いろいろなことを相談できる、一番の友人です。
奥田 そもそも私は、今日の取材場所である京都のアンスティチュ・フランセで開催される、京都フランス音楽アカデミーを受講していました。その時の先生がフィリップ・ベルノルド先生で、彼に「(フィリップ)ピエルロのレッスンを受けなさい」と言われて、浜松国際管楽器アカデミーを受けに行きました。大学4年生のときでしたが、あまりに素晴らしくてその場で「フランスに行きたいです!」と言ってしまいました。そのとき通訳をされていたのが、もう亡くなられてしまった立花千春先生で、「私の弟子がフランスにいるから紹介するわ」と言われて。それが山本純子さんでした。
山本 「同じ関西やし、一度会いましょう」と話していて、私が一時帰国したときに演奏会に来ていただいて、初めて顔を合わせました。
奥田 でも、フランスにいる間は、学校も違ったし住む場所も遠かったので、たまたまコンサートで会うくらいで、あまり交流はありませんでした。
山本 2人とも帰国した後、ヤマハの方が大阪のアトリエで引き合わせてくださって。どうやら、もともと親しかったと勘違いされていたようなのですが、それに乗っかった(笑)。そして、2人で楽器を試奏して聴き合ったときに、お互いの演奏をすごい好きになったんです。
奥田 そうそう。でも、似ているわけでもないんですよね(笑)。
山本 音楽はすごく合うんですけれど、私たちの演奏を聴いたお客さんは、「同じ楽器を使っているとは思えない」「全然違うから面白い」と言ってくれます。2人で一緒に吹くとピ
タッと合うのですが、ソロを吹くとまるで違うんです。
奥田 お互いに自分にないものを持っていることが、きっといいんでしょうね。フランスで勉強していると、みんな個性的で違うけれど、それをぶつけ合ってアンサンブルを楽しみます。私もそういう演奏の方が、全員の足並みがそろっているというよりも聴いていて楽しいと思っています。
京都とのつながり
奥田 私は大学は大阪音楽大学ですが、先ほどお話ししたように、学生時代に京都フランス音楽アカデミーを受けに京都に来ていました。現在は同じ講座で通訳を務めています。ここで出会ったベルノルド先生は私にとって神様でした。それまで聴いてきたフルートとはまるで違っていて、最初に音を聴いたとき、本当に「神様が下りてきた」と思ったほどです。基礎練習もわかりやすく教えてくれましたし、先生が音階を吹くだけでも美しすぎて、涙が出そうでした。
山本 私は、大学がすぐそこ(アンスティチュ・フランセと道を挟んだところにある京都大学)でした。実は工学部で、地球工学科の中の土木の専攻で、最終的には川を憩いの場にするという河川のデザイン設計を研究していました。もともと水運が発達しているところに文化や芸術が育つので、そういう意味ではパリも京都も同様で、だから川が好きなんだと思います。
大学に入ってからもフルートのレッスンを継続しながらいろいろな講習会に参加していましたが、大学1年生のときに立花千春先生の演奏を聴いて彼女の音楽が大好きになり、その場で「レッスンしてください!」とお願いしました。それから東京に夜行バスでレッスンに通うようになりました。そうするうちに「もっと音楽を突き詰めたい」と思い、大学3年の時に「大学を辞めます」と立花先生に言ったのですが、「それだけはやめなさい」と。「そんなにやりたいのだったら、卒業してからフランスに行くのは応援するから」と言われました。
フランス留学の思い出
山本 生活の中に音楽や芸術があるということを感じました。そもそも、クラシックの作曲家の時代と歴史がつながっているから、日本にいるときはおとぎの国のものをやっているような感覚だったのが、向こうに行くと生活の一部として存在するんです。だから自然に音楽ができる。家で練習するときも音が漏れないように気を使うのではなく、窓全開でやっていました。「よし、できた!」と思ったら外から「ブラボー!」という声が飛んできたりとか(笑)。そういう、街全体で音楽を楽しむような感じはありましたね。
奥田 私は大学までひたすら真面目に練習していたんです。夏休みも毎日大学に行っていて、遊ぶことなど考えなかったくらいカチコチ人間でした。それで音大に入ってから周りとのギャップに悩んだこともありました。そのまま社会に出ていたら、きっともう(フルートを)やめていたと思います。
でもフランスに行って楽しいことを覚えて、人生を楽しめるようになりました。日本では家族旅行にも楽器を持って行って、家族が観光している間カラオケでフルートを吹いていたくらいだったのに、向こうで先生には「バカンスに行くのに楽器を持って行くな」と言われて。帰国する前にはフルートをパリに置きっぱなしでフランスの北の海と西の海と南の海に全部行って、真っ黒になって帰ってきて周りを驚かせました(笑)。
山本 「おいしいものを食べて、人生を楽しんでいないと良い音楽なんてできないよ」と言いますからね。
現在の主な活動は?
山本 フランスから帰ってきてすぐに日本演奏連盟のコンチェルトオーディションに合格してソリストデビューさせていただいたので、その影響もあって何度か吹奏楽やオーケストラと共演させていただく機会がありました。ソロや室内楽で演奏する機会も多いです。
帰国した翌年にイデアルを使うようになり、その2年後くらいから自主企画のソロリサイタル・シリーズを始めて、次が7回目になります。それを活動の軸として、フルートを含む室内楽でできる音楽の可能性を追求しています。
奥田 私もフルートとピアノとかフルートアンサンブルなどの室内楽を演奏する機会が多いです。自分は性格的にもオーケストラや吹奏楽などの中で吹くのは向いていないと思っていたのですが、あるときオーケストラに呼んでもらって2ndを吹いたら、改めてその難しさに直面しました。それまでわりと自分が思うがままに表現していたのですが、オーケストラでは求められたものをすぐに出せないといけない。そこがめちゃくちゃ難しくて、一時期スランプ気味になってしまいました。でも、おかげでいろいろ気づいたことがソロや室内楽に生かせるようになったように思います。
山本 室内楽などでは、「誰かが何か考えているときにその人が欲しい音を出す」という力が大事になってくるので、一緒に吹くといつも刺激をもらっています。
奥田 でもピアニストに言わせると、2人とも決して引くことがないから面白いそうです(笑)。
山本 引くのではなくて、互いに押し合った結果同じ方向に向くという合い方をしたい。そこに、今言ったようなオーケストラの2ndの視点が入ってくるのが新鮮でした。
私も、リサイタルでフルートのレパートリーだけだと単調になってしまうので、ヴァイオリンやオーボエなど他の楽器のレパートリーを取り入れ、原曲の良さは失わないようにしつつ、フルートなりの解釈をして演奏しています。そこが、奥田さんがオーケストラで感じたことと似ているかもしれません。言い換えれば、「楽器の都合で音楽づくりをしない」ということですね。
イデアルを選んだ理由
山本 私がイデアルを吹いたときに、「これや!」という感じはなかったです。前の楽器は音が好きで長いこと使っていたのですが、どうしても音色が単調で音が細く、表現の幅が狭くなってしまう傾向がありました。帰国したときにはビジューの音色がすごく気に入っていたし、メルヴェイユも大好きでした。ただ、私は体が細いこともあって、どうしても音も細身になってしまうんです。きれいだけれど、小ぢんまりとしてしまうというのが当時の悩みでした。そのことが自分でもわかっていたので、少し方向性の違う楽器を選んでみようかなと思ったのがイデアルでした。
日本に帰ってきていろいろなことに挑戦している時期だったし、まだ誰も吹いていない新しい楽器を開拓してみたいという気持ちもありました。イデアルはパワフルな楽器ですがそれに応じた息の量も必要で、そこを鍛えるきっかけにもなったとも思います。
奥田 イデアルを買ったのは9年前のことですが、それまで吹いていた楽器はかなりパワフルなタイプで、私の吹き方とも相まって暴走しがちだったんです。「そういう人がイデアルを持ったら鳴りすぎてしまうのでは」と思っていましたが、いろいろな頭部管を吹かせてもらったときに、一番鳴りにくい、よく言えばソフトに鳴る頭部管があって、「これなら」と思って選びました。
楽器を替えないといけないということはずっと思っていたので、「10年仕事」と思って一緒に成長していくつもりでイデアルに買い替えたんです。だから最初は「この楽器にして楽になった」ということはまったくありませんでした。
イデアルを吹くようになって変わったこと
山本 もともと悩みであったパワー不足も、多分この10年で克服できてると思っているのですが……。
奥田 むちゃくちゃパワフルですよ!
山本 今となっては、自分は以前からパワフルに吹きたかったんやろなと思います。前の楽器では、そういう吹き方のイメージがわかなかったから、気づかなかった。そういう自分の一面に気づけたし、「音楽的に自由になった」と言われたこともありました。
イデアルって「メーカー色が薄い」というか、音を聴いただけで「この人イデアルを使っているな」という感じがありません。楽器の色が強いと、それで満足してしまうところがあるのですが、イデアルは音色や音程、音量などすべてに自由度が高い楽器であり、いわば「真っ白なキャンバス」なので、自分がしっかりとイメージを持っていないと吹けない。「今日はこういう音を出したい」「この楽曲にはこういうアプローチをする」としっかり考える必要があるんです。そういう意味でも自分の本性が引き出されるような気がしますね。
奥田 私は9年目にしてようやく仲良くなれてきたと感じています。私と性格が似ている楽器なので、これまでは一緒に暴走してしまったりすることもあって、なかなか苦労しましたが(笑)。
山本 何年か前にリサイタルを聴いたとき、やりたいことがすごく自然に伝わってきて、楽器が本当にいいパートナーなんやなというのが感じられました。むしろ演奏はしっとりした感じがあって。
奥田 たぶん、無意識のうちにしたいことも変わってきたんだと思います。「こういうふうに表現したい」というのは、楽器と奏者がお互いに影響を与えますからね。リサイタルではフランクのヴァイオリン・ソナタなども演奏したのですが、前の楽器だったらやろうとも思わなかったかもしれません。
山本 私も、さっきお話ししたように、フルート以外の楽器のために書かれた曲もレパートリーとすることで、もっと可能性を広げたくなりました。フルートアンサンブルも、イデアルを吹き始めてから好きになりました。今、フィリップ・ベルノルドが音楽監督を務めている「ユニバーサル・フルート・オーケストラ・ジャパン(ufo)」という団体に奥田さんと一緒に所属していますが、大好きです。前の楽器やったらたぶん、そこまで好きにならなかったかもしれない。イデアルは音色のパレットが多く音程が自由なので、聴いた人からは「トゥッティでは完全に溶け込むのに、ソロになった瞬間に際立つ音になる」と言われました。
奥田 これも山本さんと一緒ですが、レザミ・ドゥ・ヴァンサンというフルート4人とピアノによるアンサンブルも行なっています。フルートの4人はみんなフランスで勉強した人で、音楽的にぶつかり合いながらやっていますので、この演奏会を聴くと「パリにいるみたい」と言ってくださる方もいます。
《Quel est votre idéal?》――あなたの「理想」は何ですか――
山本 私のバイブルとも言えるジョルジュ・サンドの『愛の妖精』という本の序文に、「不安な時代にあって芸術の役割とは、まだ美しいものがこの世の中には存在するということを、人々に思い出させることだ」というようなことが書かれています。コロナ禍にあって、ずっとそれを思っていました。音楽を聴きに来てくれる人の不安な気持ちを吸い取って、美しい音楽で返すことが私の理想ですが、楽器からも「Quel est ton idéal?(君の理想は何?)」と常に問いかけられている気がします。ジョルジュ・サンドはショパンの恋人だった人で、『愛の妖精』もとても美しい物語なので、そんなふうに音楽を奏でられたら、と思っています。
奥田 もっと気軽にクラシック音楽が聴けるよう、私は「街の音楽家」のようになりたいんです。もともと有名になりたいとか思っていないので、親近感を持ってもらえる音楽家になりたい。今、子どもを教える機会も多いし、子どもと一緒に音楽を楽しむということも好き。そしてその子たちが大きくなったときに、「明日のデートどこに行こうか?」「そうだ、コンサートに行こう」と、普通に選択肢に出てくるようになることが夢です。文:今泉晃一/写真:武藤章/
撮影場所:アンスティチュ・フランセ関西
表紙の写真は、アンスティチュ・フランセ関西にて開催されたアルメル・ケルガール写真展「NATSUKASHII / 懐かしい」の会場で撮影されました。
京都フランス音楽アカデミーは1990年より毎春、フランスよりピアノ、弦楽器、管楽器、声楽のトップクラスの教授陣を招聘し、アンスティチュ・フランセ関西内で2週間のマスタークラスを開講する日仏音楽交流事業です。
https://academie.institutfrancais.jp/
【ハンドメイド】イデアル
フランス語で“理想”という名を持つフルートは新たな到達点です。ソロ演奏からオーケストラまで、プロ演奏家のシビアな要求にも応える優れた演奏性。ハンドメイドならではの優雅な風格をたたえ、美しいラインで構成された外観。匠の手腕を注ぎ込み、時間をかけて入念に作り込まれた高級感溢れるハンドメイドフルート “イデアル”です。