今月の音遊人
今月の音遊人:藤田真央さん「底辺にある和音の上に内声が乗り、そこにポーンとひとつの音を出す。その響きの融合が理想の音です」
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泣いているのはどっちだ!?サクソフォン、それとも自分?
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2017.2.3
12月最後のレッスン日は、クラスだけの発表会とそのあとに続く生徒有志による忘年会というのが定番になっている。クラスでの発表会というのは、文字通り、普段使っているレッスン室にその曜日にレッスンを受けている生徒が集合して、交互に1年間の成果を発表するものである。
成果といっても、ヤマハホールを使用する合同クラスコンサートのような大規模なものではなく、このところ練習している曲をソロやトリオなどで演奏するというものだ。伴奏も、レッスンで使用している音源を備え付けのプレーヤーなどで再生する。生演奏がバックアップしてくれるヤマハホールでの発表会にくらべると、いたってシンプルなものだ。
10余名が肩と肩を寄せ合って椅子に座り、レッスン室の半分ばかり空いた場所がステージということになる。そこに譜面台をたてると、背中は壁にぶつかりそうだ。しかし、その分、演奏者と観客(?)の距離が近く、演奏者の熱気も伝わってくるというものだ。
僕が選んだ曲は、前回(2016年9月)のヤマハホールでの合同クラスコンサートで演奏したビリー・ジョエルの『ニューヨークの想い』。音源がないので、既成のCDを利用した。つまりカラオケではない。
ほかの生徒たちはリズムとコードカッティングだけのカラオケで自在な演奏を披露するというのに、歌も入っている音源をバックに演奏する僕の肩身は狭い。ビリー・ジョエルの歌をなぞっているだけの演奏となってしまった。おまけに教えてもらった変え指(通常とは違う指遣い)を間違えてしまい、その部分だけ音がでない。
講師の先生には「泣きのサクソフォンでした」と過分な評価をいただいたが、僕の気持としては「泣いているのは楽器です」という程度のできだった。
2017年の課題は、リズムとコードだけのカラオケをバックにしても、きちんと演奏できるようになる、だろうか。これができるくらいならば、なんだって怖くないのだが、どうも自信がない。
サクソフォンにかぎらず、楽器の演奏は自転車に乗ったり泳いだりするように、ある日突然、自由にできるようになるものなのだと教えられてはいるのだが、いったい何時のことになるやら。
映画評論も仕事のひとつなので、ふだんから映画はよく観るのですが、最近、邦画、洋画にかぎらず演奏やミュージシャンを素材にした映画が多くなりました。ジャズ関係の映画もあって、昨年暮れに公開された『ブルーに生まれついて』はおすすめ。伝説のトランペット奏者、チェット・ベイカーの波乱万丈の物語ですが、演奏シーンにすっかり目を奪われてしまいました。
チェット・ベイカー役のイーサン・ホークは撮影にあたって、相当に楽器の練習をしたといいます。わたしも楽器を始めていなければ、おそらくこの演奏シーンなどはさらっと流していたでしょう。
ところが今回は、演奏シーンでもスクリーンに集中できて、これがまた、あれこれ理解できるわけですね。自分の演奏はまだまだなのですが、レッスンのおかげで音楽を楽しめる幅が広がったことだけは間違いないみたいです。
作家。映画評論家。1950年生まれ。桐朋学園芸術科演劇コース卒業。劇団の舞台演出を経て、小説、エッセイなどの文筆の分野へ。主な著書に『正太郎の粋 瞳の洒脱』『ぼくの父はこうして死んだ』『江分利満家の崩壊』など。現在、『山口瞳 電子全集』(小学館)の解説を執筆中。2006年からヤマハ大人の音楽レッスンに通いはじめ、アルトサクソフォンのレッスンに励んでいる。
文/ 山口正介
photo/ 長坂芳樹
tagged: 大人の音楽レッスン, サクソフォン, ヤマハ, 山口正介, レッスン, パイドパイパー・ダイアリー
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