今月の音遊人
今月の音遊人:葉加瀬太郎さん「音楽は自分にとって《究極のひまつぶし》。それは、この世の中でいちばん面白いことだから」
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3大テノールを受け継ぐ情熱的な歌声を聴かせたサルヴァトーレ・リチートラを偲ぶ Vol.3
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2018.12.20
tagged: サルヴァトーレ・リチートラ, 3大テノール, サルヴァトーレ・リチートラを偲ぶ
終演後、メトロポリタン歌劇場を埋め尽くした観客は総立ちとなり、拍手喝采で熱唱を称えた。翌日の新聞は「輝かしく力強い高音」「弱音の繊細なフレーズの美しさ」「筋肉質で敏捷性に富む声」と、こぞって高い評価を与えている。
「私はブーイングが起きるかもしれないと恐れはしましたが、自分を信じ、全身全霊を傾けてうたい、演じました。私はいまでもそうですが、ちょっと手を抜くということができない性格で、どんなに疲れていても目一杯声を張り上げてしまうのです」
シャイな子どもだったというリチートラをそこまで大胆かつ前向きな性格にしたのは、オペラの力だろうか。
「そうです。オペラの作曲家、作品、内容、表現、演技、解釈などについて自分で一から勉強しましたから、それが自信になっているのでしょう。いまではかつてのような内気な人間ではなく、かなりの野心家です(笑)。夢は歴史に名を残すような歌手になること。そのためには勉強、勉強、努力、努力、これしかありません。私は政治的なバックもありませんし、コネもありません。音楽大学を出たエリートではなく、アウトロー的な歌手ですから、自分であらゆるところにアピールしなくてはなりません。ただ待っているだけではチャンスは巡ってこないのです。前進あるのみ、挑戦し続けるだけです」
リチートラはこうした話題になると、一気に口調が熱気を帯び、雄弁になる。
「勉強と努力、これしか道を拓くすべはありませんでした。でも、ひたすら努力を続ければ、きっと夢はかないます。私がいいお手本です。いま悩みを抱えている人も、人生が思い通りにいかない人も、けっしてあきらめないでください」
彼はすばらしいことばを残してくれた。しかし、こういう野心をもった若者を部下にもつと、上に立つ人間のほとんどは脅威に感じて、いつのまにか部下を疎ましく扱いがちだ。それに関しては……。
「そうかもしれませんね。人の上に立つ人間はそれだけの才能があって地位を得たのですから、若い人の能力もいち早く見抜いて伸ばしてくれると考えがちですが、現実はなかなか難しいでしょうね。才能を伸ばしてあげたい気持ちはあるけど、自分が追い越されると心配する気持ちが先行してしまう。でも、考えてみてください。世界は劇的なスピードで変化しているのです。目の前にいる才能ある部下を押さえつけても、世界中にいる才能のある人が、知らぬ間に出てきて、あっというまに飛び越えていってしまうのが現在の競争社会なのです。それは何もオペラの世界に限ったことではなく、事業でも同じことです。目の前の才能を育てなければ、別の競争相手に負けてしまうのです。会社の社長でも、次なる新たな才能をもった人が継いでいかなければ、会社は成り立たなくなってしまいます。自分が置いていかれないためには努力し、心を広くもち、柔軟性を保つことが必要でしょうね。これはベルゴンツィやムーティ、ドミンゴから学んだ姿勢です。上に立つ人は、そうしたさまざまな心配をうまく抑えて賢明な判断ができる器を要求されます。そういう上司にはいい部下がきっとついてくると思います。いま、世界は非常に速いテンポで進化し、常に動いています。上に立つ人ももちろんですが、若者も広い視野に立って物を見ることが必要不可欠だと思います」
最後に、オペラやクラシックにあまりなじみのない人に、リチートラの歌をどのように聴いてほしいと思うかと聞いてみた。
「オペラとは普遍的な美を備えています。喜びについてうたわれる箇所も多く、私は常にそれを伝えたいと思って全力投球でうたっています。ぜひ、ナマの歌を聴きにきてください。そしてオペラを愛してください」
こう笑顔で答えてくれたリチートラ。もうその情熱的で一途な歌声を聴くことはできないが、彼はいくつかすばらしい録音を残してくれた。それを聴きながら、熱き歌声とひたむきに人生を歩んでいたリチートラを偲びたい。
(終わり)
▶「3大テノールを受け継ぐ情熱的な歌声を聴かせたサルヴァトーレ・リチートラを偲ぶ」全編
伊熊 よし子〔いくま・よしこ〕
音楽ジャーナリスト、音楽評論家。東京音楽大学卒業。レコード会社、ピアノ専門誌「ショパン」編集長を経て、フリーに。クラシック音楽をより幅広い人々に聴いてほしいとの考えから、音楽専門誌だけでなく、新聞、一般誌、情報誌、WEBなどにも記事を執筆。著書に「クラシック貴人変人」(エー・ジー出版)、「ヴェンゲーロフの奇跡 百年にひとりのヴァイオリニスト」(共同通信社)、「ショパンに愛されたピアニスト ダン・タイ・ソン物語」(ヤマハミュージックメディア)、「魂のチェリスト ミッシャ・マイスキー《わが真実》」(小学館)、「イラストオペラブック トゥーランドット」(ショパン)、「北欧の音の詩人 グリーグを愛す」(ショパン)など。2010年のショパン生誕200年を記念し、2月に「図説 ショパン」(河出書房新社)を出版。近著「伊熊よし子のおいしい音楽案内 パリに魅せられ、グラナダに酔う」(PHP新書 電子書籍有り)、「リトル・ピアニスト 牛田智大」(扶桑社)、「クラシックはおいしい アーティスト・レシピ」(芸術新聞社)、「たどりつく力 フジコ・ヘミング」(幻冬舎)。共著多数。
伊熊よし子の ークラシックはおいしいー
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価格:1,800円(税抜)
『禁断の恋』
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発売日:2006年8月23日
価格:2,400円(税抜)