今月の音遊人
今月の音遊人: 上野耕平さん「アクセルを踏み続けることが“音で遊ぶ”へとつながる」
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楽器に目覚めたのは比較的、年がいってからだった。入った大学(短期大学だが)が音楽教育を重視していた。そんなことで、同級生にはすでに入学前からバンド活動をしていたり、ピアノや声楽のレッスンを受けていたりするひとも多かった。そして20歳前後から同級生や友人、知人がやっていたロックバンドに関わるようになる。つまりエレキギターを中心としたロックンロールやハードロックのコピーバンドなどなど。
ご多分に洩れず、それぞれのバンド活動は長続きせず、ビートルズではないが、惜しまれつつ解散、ということの繰り返しだった。それがつい最近まで続いただろうか。関わったバンドは片手ではきかず、改めて数えると、驚くべき数ではないか。
それはともかくとして、その間に気がついたことがある。バンドのメンバーは自分よりも上手いひととやりたがる、というしごく当然な結論だ。一緒にやっていると、ひしひしとそれを感じる。つまり、僕はどんなバンドでも、一番下手くそだった。それが解散の理由になったわけではないが、いつも申し訳ないという思いを持っていた。
ヤマハのレッスンに通うようになって、もっとも気が楽だったのは、誰しもが、技量についてふれないことだった。当然のことながら、各個人には、そのひとごとのレベルがある。学習の習熟度合いが違うということだ。
子供のころから音楽に親しんできた方、中高時代に吹奏楽部にいた方、などさまざまだが、僕のように50歳をすぎてからアルトサクソフォンを始めた人間にも、そのレベルにそった課題が与えられる。
バンドをやっているときは、「もっと真剣にやってくれよ」とか「やる気がないなら辞めれば」などという言葉をしょっちゅう聞いた。それは、人前で演奏することを目的にしているのだから、一生懸命になる気持ちはわかる。ライブなどにはお客さんもくる。そのひとたちの手前、恥ずかしいものは聴かせられないし、演奏を楽しんでもらいたい。だから完成度は高いにこしたことはない。そのためには特訓もやる。きつい言葉も出る。
しかし、スロースターターで何をやるにも時間がかかる僕には辛いものだった。
でも、今は違う。バンドにありがちな解散や離合集散がないレッスンは、楽しいものでしかない。
レッスン生による管楽器合同クラスコンサートが目前にせまってまいりました。2016年9月4日(日)、銀座のヤマハホールで開催です。私も昨年に続いてサクソフォンで参加します。昨年は単独演奏だったのですが、今年はレッスン仲間と2人で参加。昨年とはまた違った、デュオならではの演奏ができればと思っています。
当日の演奏曲は、はじめは『素顔のままで』だったのですが、諸般の事情により『ニューヨークの想い』に変更。これもビリー・ジョエルの傑作で、いつかサクソフォンで演奏してみたいと密かに願っていた曲ではあります。クラスコンサートが記念すべき一日となるのか、あるいは消してしまいたい一日になるのか、それは「神のみぞ知る」でしょうか。
作家。映画評論家。1950年生まれ。桐朋学園芸術科演劇コース卒業。劇団の舞台演出を経て、小説、エッセイなどの文筆の分野へ。主な著書に『正太郎の粋 瞳の洒脱』『ぼくの父はこうして死んだ』『江分利満家の崩壊』など。2006年からヤマハ大人の音楽レッスンに通いはじめ、アルトサクソフォンのレッスンに励んでいる。
文/ 山口正介
photo/ 長坂芳樹
tagged: 大人の音楽レッスン, サクソフォン, ヤマハ, レッスン, パイドパイパー・ダイアリー
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