Web音遊人(みゅーじん)

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase47)シューベルトはなぜグレートか、歌曲王の次元を超える大ハ長調交響曲

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase47)シューベルトはなぜグレートか、歌曲王の次元を超える大ハ長調交響曲

フランツ・シューベルト(1797~1828年)は「野ばら」「魔王」などで知られる歌曲王といわれる。先入見は捨てよう。彼は古典派とロマン派にまたがる巨人であり、歌曲王の次元を超える偉大なシンフォニストだ。200年前の1825年頃に作曲した「交響曲第8番ハ長調D944(大ハ長調交響曲、ザ・グレート)」は、ブルックナーら後期ロマン派の長大な交響曲を先取りしている。グレート・シューベルトは歌のない大交響曲時代の到来を告げる。

「未完成」含め今は全8交響曲

20年以上前、ドイツに赴任した頃、フランクフルト・アム・マインのアルテオーパーで日曜日の昼のコンサートがあり、シューベルトの大ハ長調交響曲が演奏された。フランクフルト・ムゼウム管弦楽団だったと思うが、記憶は定かではない。指揮者の名前も思い出せない。気軽に立ち寄った比較的安い公演だった。全4楽章のうち第1楽章が終わったとき、「ブラボー」の声が上がり、拍手喝采が巻き起こった。コンサート慣れしている地元の聴衆が中心だったはずだが、第1楽章だけでも感動のあまり喝采を抑えられなかったようだ。

この交響曲を何と呼ぶべきか。かつては「交響曲第9番」だったが、今は「第8番」の呼称が一般的だ。シューベルトには未完成や散逸の交響曲があるため、作曲年で順に番号を付けても新たな発見や分類の解釈で変更が生じるからだ。2楽章のみの「交響曲第7番 ロ短調D 759『未完成』」を含め、今では交響曲は全8曲(第1~8番)あることになっている。大ハ長調交響曲は最後の「第8番」である。

「大ハ長調交響曲」と呼ぶのは、同じ調性の「交響曲第6番ハ長調D 589」と区別するためだ。「第8番」は演奏時間が約60分なのに対し、「第6番」は約30分と短いので「小ハ長調交響曲」とも言われる。シューベルトはドイツ語圏のオーストリア・ウィーンの人だが、大ハ長調交響曲は「ザ・グレート」と英語のニックネームで表記されることも多い。英国の出版社が楽譜を出版する際に付けた愛称であるからだ。

詩人ではなく音楽家

シューベルトの死から11年後の1839年、ドイツの作曲家ロベルト・シューマン(1810~56年)がウィーン郊外にあるシューベルトの兄フェルディナントの家を訪ねた。その際、シューマンはこの兄所有の大ハ長調交響曲の自筆譜を発見した。シューマンは「天国のように長い」交響曲に驚き、「この交響曲を知らない人はまだシューベルトをよく知らない」(シューマン著・吉田秀和訳「音楽と音楽家」岩波文庫)と自身創刊の雑誌「音楽新報」に書いた。初演は1839年3月21日、メンデルスゾーン指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による。

生前のシューベルトは約600曲もの歌曲を書いた作曲家として知られていた。連作歌曲集「美しき水車小屋の娘」「冬の旅」は代表作として真っ先に挙がる。しかし作曲家の伊福部昭は1951年刊行の自著「音楽入門」(角川ソフィア文庫)で、シューベルトについて「文学的趣味に欠けた作家(作曲家)」と指摘した。文学的評価が高くなかったヴィルヘルム・ミュラー(1794~1827年)の詩を歌曲に使ったセンスに対する揶揄と読める。だが伊福部は、だからこそシューベルトが詩人的なソングライターではなく、「本質的に音楽家」であると称賛したのだ。

伊福部は同著でシューベルトをハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンとともに「ウィーン楽派」として括る。そしてこの4人がかつてないほど重視した分野として「声楽を伴わない器楽」を挙げる。中核に位置したのが交響曲だ。その数はハイドンが106曲、モーツァルトが番号付きだけで41番まであるのに対し、ベートーヴェンは9曲、シューベルトは8曲と次第に少なくなったが、作曲技法は巧緻さを増し、管弦楽の規模は大きくなり、長大化するなど、容易には量産できない分野に進化したことを考えれば無理もない。

純粋器楽で1時間の交響世界

シューベルトは「弦楽四重奏曲第1~15番」や「ピアノソナタ第1~21番」をはじめ膨大な数の「声楽を伴わない器楽」を作曲した。ベートーヴェンの後半生と同時代を生きたシューベルトは、ウィーン在住のこの楽聖が世に送り出す「交響曲第7番イ長調」や「同9番ニ短調(第九)」から影響を受けた。ベートーヴェンへの尊敬と憧れの念が大交響曲の作曲に向かわせたことは間違いない。

スケール感が変わるのは通称「未完成」の「第7番」から。第1~2楽章だけなので、演奏時間は約23分と短い。しかし「未完成交響曲」が全4楽章で完成されていたとしたらどうか。シューベルトがなぜ未完成のままにしたのかは謎だが、第1~2楽章の完成度の高さから、第3~4楽章は作曲が放棄されたのではなく紛失したとの見方もある。わずかなスケッチから補筆が試みられ、ニコラ・サマーレとベンヤミン=グンナー・コールスによる補筆版では全4楽章で40分を超える大作となる。

楽器編成では「第7番(未完成)」「第8番(大ハ長調)」ともに「第1~6番」にはなかったトロンボーン3本が加わる。これで低音域の厚みが増し、まず「未完成」第1楽章の展開部で行進曲風の勇壮な音響を実現する。重厚な響きはブルックナーを先取りし、マーラーやショスタコーヴィチら20世紀の大編成の交響曲も予感させる。そして「大ハ長調」ではよりポリフォニックで広大なサウンドを築く。しかもベートーヴェンの「第九」のように声楽の助けを借りることもなく、純粋器楽で約1時間の交響世界を構築する。

第4楽章は歌よりリズムが優勢

「大ハ長調」の第1楽章は序奏付きのソナタ形式で明瞭な構成感を聴き手に与える。序奏のアンダンテの主題は終結部でクライマックスを築き、その間で繰り広げられるソナタ形式(提示部―展開部―再現部)と合わせて見事なシンメトリー(左右対称性)を描く。提示部での第1主題(ハ長調)から第2主題(ホ短調)への3度転調は独特の抒情を醸す。第3主題とも思われるトロンボーンの荘厳なモティーフ、変イ長調から始まり第1主題と第2主題がスリリングに掛け合う短い展開部など、魅力あふれる音楽が息つく間もなく続く。

シューベルトについては純粋器楽に関しても「美しい歌がある」といった称賛が多い。だが音楽に歌(旋律)があるのは当たり前だ。シェーンベルクやウェーベルンの作品にも広義の歌はある。確かに第2楽章にはオーボエによる可憐な「歌」が登場するが、明瞭な形で旋律を使っているということだ。第4楽章ではむしろリズムと音型の反復が優勢で、転調の秀逸さも際立つ。「第九」の「歓喜の歌」に似た旋律がパロディー風に間歇的に出てくるが、この終楽章を「歌がある」と安直に評することはできない。


F. Schubert, große C-Dur Sinfonie, 4.Satz

2024年制作の米国映画「名もなき者」は若い頃のボブ・ディランを描いていた。フォークギターをエレキギターに持ち替えて、フォークの殻を打ち破り、ロックを演じたライブの場面がクライマックス。しかしボブ・ディランはロック化しても詩人だった。ノーベル文学賞受賞は当然だ。シューベルトは詩人ではなく音楽家であり、「大ハ長調」を機にいよいよシンフォニストとして本格的に歩み出そうとしたとき、31歳で早逝した。もっと生きたら19世紀末のブルックナーやマーラーの次元まで交響曲を進化させただろう。歌もいいが、シューベルトの交響曲にも親しみたい。
「クラシック名曲 ポップにシン・発見」全編 >

池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー兼日経広告研究所研究員。早稲田大学商学部卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。日経文化事業情報サイト「art NIKKEI」にて「聴きたくなる音楽いい話」を連載中。
日本経済新聞社記者紹介

特集

川井郁子さん

今月の音遊人

今月の音遊人:川井郁子さん「私にとっての“いい音楽”とは、別世界へ気持ちを運んでくれる翼です」

12691views

ニコライ・ルガンスキー

音楽ライターの眼

ロシアの正統派ピアニストがラフマニノフ生誕150周年に捧げた至高のオマージュ/ニコライ・ルガンスキー ピアノ・リサイタル

2943views

Venova(ヴェノーヴァ)

楽器探訪 Anothertake

スタイリッシュで斬新なデザイン。思わず吹いてみたくなるカジュアル管楽器「Venova(ヴェノーヴァ)」の誕生

11516views

楽器のあれこれQ&A

目的別に選ぼう電子ピアノ「クラビノーバ」3シリーズ

4942views

バイオリニスト石田泰尚が アルトサクソフォンに挑戦!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】バイオリニスト石田泰尚がアルトサクソフォンに挑戦!

14403views

楽器博物館の学芸員の仕事 Web音遊人

オトノ仕事人

楽器のデモンストレーション、解説、管理までをこなすマルチプレイヤー/楽器博物館の学芸員の仕事(前編)

13303views

久留米シティプラザ - Web音遊人

ホール自慢を聞きましょう

世界的なマエストロが音響を絶賛!久留米の新たな文化発信施設/久留米シティプラザ ザ・グランドホール

21748views

こどもと楽しむMusicナビ

オルガンの仕組みを遊びながら学ぶ「それいけ!オルガン探検隊」/サントリーホールでオルガンZANMAI!

10326views

小泉文夫記念資料室

楽器博物館探訪

世界の民族楽器を触って鳴らせる「小泉文夫記念資料室」

26476views

ONLYesterday

われら音遊人

われら音遊人:愛するカーペンターズをプレイヤーとして再現

2252views

山口正介 Web音遊人

パイドパイパー・ダイアリー

マウスピースの抵抗?音切れ?まだまだ知りたいことが出てくる、そこが面白い

6620views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

34996views

ぱんだウインドオーケストラの精鋭たちがバイオリンの体験レッスンに挑戦!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ぱんだウインドオーケストラの精鋭たちがバイオリンの体験レッスンに挑戦!

14825views

浜松市楽器博物館

楽器博物館探訪

見るだけでなく、楽器の音を聴くこともできる!

15547views

音楽ライターの眼

【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#028 “陰のリーダー”の“恩返し”から生まれた“置き土産”!?~キャノンボール・アダレイ&マイルス・デイヴィス『サムシン・エルス』編

1839views

前澤陽さん

オトノ仕事人

テクノロジーで音楽文化や社会に変容をもたらす/音楽技術研究者の仕事

1270views

横浜レンタル倉庫(YRS)

われら音遊人

われら音遊人:目指すはフェス! 楽しみ、楽しませ、さらなる高みへ

2829views

Venova(ヴェノーヴァ)

楽器探訪 Anothertake

すぐに音を出せて、自由に演奏できる。管楽器の楽しみを多くの人に

15587views

ホール自慢を聞きましょう

ウィーンの品格と本格派の音楽を堪能できる大阪の極上空間/いずみホール

8659views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

楽器は、いつ買うのが正解なのだろうか?

9631views

楽器のあれこれQ&A

エレキギター初心者を脱したい!ステップアップ練習法と2本目購入時のアドバイス

7702views

こどもと楽しむMusicナビ

親子で参加!“アートで話そう”をテーマにしたオーケストラコンサート&ワークショップ/第16回 子どもたちと芸術家の出あう街

6492views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

28203views