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今月の音遊人:小西遼さん「音楽は繊細な気持ちを伝えられる、すばらしいものです」
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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase51)デュカス「アリアーヌと青ひげ」、傑作のみ残した完璧主義の寡作家、唯一のオペラはフランスの金字塔
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2025.7.8
tagged: 音楽ライターの眼, クラシック名曲 ポップにシン・発見, ポール・デュカス, アリアーヌと青ひげ
寡作の作曲家といえばフランスのポール・デュカス(1865~1935年)。生前未出版だった曲も含め30作品ほどしかない。作曲数が少なかったわけではなく、完璧主義で自己批判が強すぎて、気に入らない作品を悉く破棄したのだ。よって残ったのは傑作ぞろい。唯一のオペラ「アリアーヌと青ひげ」はドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」に匹敵するフランス近代音楽の金字塔だ。めったに上演されないオペラは夢幻の魅力を湛える。
デュカスの作品では交響的スケルツォ「魔法使いの弟子」が有名だ。ディズニー映画や日本のテレビドラマにも使われ、聴けばすぐ分かる。間抜けなほうきの主題が登場し、オスティナートとクレッシェンドで色彩豊かな管弦楽を聴かせる。そこにはベルリオーズ「幻想交響曲」、ムソルグスキー「禿山の一夜」、リヒャルト・シュトラウス「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、マーラーの交響曲のスケルツォ楽章に通じる諧謔味がある。
「魔法使いの弟子」は傑作だが、この1曲だけではデュカスをドビュッシーの陰に隠れがちな群小作曲家の一人と誤解してしまう。デュカスが厳選して世に残した全作品はCD4~5枚に収まるほど少ないが、ほかの作品を聴くと、時代の分岐点にまたがるマーラーのような大作曲家であることが分かる。ワーグナーやドビュッシーの達成を取り込み、シェーンベルクやベルクを予感する集大成の趣がある。その最たる大作が「アリアーヌと青ひげ」だ。
デュカスはパリの銀行家のユダヤ人家庭に生まれた。パリ音楽院に入学し、3歳年上の学生ドビュッシーが生涯の友人となった。1902年、ドビュッシー畢生のオペラ「ペレアスとメリザンド」がパリのオペラ・コミック座で初演された。欧州を席巻していたワーグナーのドイツ・オペラの影響から脱し、全音音階や教会旋法を取り入れた独自の技法で透明感の高い明晰な音楽を発明した。だがデュカスも1899年からオペラの作曲に着手していた。
台本は「ペレアスとメリザンド」と同じベルギー象徴主義の劇作家メーテルランクによる「アリアーヌと青ひげ」。ノルウェーのグリーグがこの台本によるオペラの作曲を断念したため、デュカスが作曲権を得た。メーテルランクは17世紀フランスの詩人ペローの童話「青ひげ」をもとに台本を書いたが、物語は異なる。ペローの童話では青ひげの妻たちは殺されたが、メーテルランクの台本では居城に幽閉されながらも生きている。
デュカスは7年がかりで「アリアーヌと青ひげ」を作曲し、1907年にオペラ・コミック座で初演された。妻たちが生きている設定は、ハンガリーのバルトークの1幕オペラ「青ひげ公の城」(1918年初演)も同じだ。しかしデュカスのオペラはテーマも音楽も唯一無二の魅力を放つ。バルトークの民俗性、ドビュッシーの「ペレアス」の前衛性とは異なり、伝統と前衛にまたがる折衷性が親しみやすい響きを生み出している。
第1幕前奏曲は調号が嬰ヘ短調(イ長調)だが、嬰ハ音と嬰ニ音がそれぞれ1オクターブ下行した後に特徴的なリズムで反復する動機は嬰イ音上のフリギア旋法風だ。従来の長短調にはない斬新な響きはドビュッシーを思わせるが、冒頭の動機が循環し変奏され、全曲の統一感をもたらす点が独特だ。前奏曲は徐々に高揚し、殺人鬼であるはずの青ひげを退治しようと城に迫る群衆の合唱が続く。オラトリオや声楽付き交響曲と呼べるシンフォニックな展開である。
声楽面での特徴は女声偏重にもある。アリアーヌは青ひげの6番目の妻として城に入るが、前妻5人も生存しており、黙役1人を除き4人のソプラノとメゾソプラノが歌う。アリアーヌの乳母もアルトで登場し、計6人の女声が大部分を覆う。息の長い高揚感に満ちたフレーズも多くある。アリアーヌは前妻5人を自由な世界へ救出しようとするが、彼女らは解放を望まず、瀕死の青ひげと城に残る。副題は「無益な解放」。自由思想への皮肉を込めている。
デュカスのオペラはドビュッシーの影響を受けながらも、旋律や和声はロマン派の伝統を踏まえて明快さを残している。全曲の構成は番号オペラでもなければ、ワーグナーのような無限旋律による楽劇でもない。筋書きがなくても純粋音楽として聴ける長大な交響曲のような構成感を実現しており、むしろマーラーに近い。シェーンベルクら新ウィーン楽派にも影響を与えたデュカスの音楽は全作品がもっとポピュラーになっていい。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー兼日経広告研究所研究員。早稲田大学商学部卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。日経文化事業情報サイト「art NIKKEI」にて「聴きたくなる音楽いい話」を連載中。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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