Web音遊人(みゅーじん)

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase31)コダーイ「カーライの民俗舞踊」、中・東欧のダンス文化がデュア・リパに変身する日

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase31)コダーイ「カーライの民俗舞踊」、中・東欧のダンス文化がデュア・リパに変身する日

ハンガリーの作曲家コダーイ・ゾルターン(1882~1967年)はバルトークとともに中・東欧の民謡収集・研究で知られる。代表作は歌劇「ハーリ・ヤーノシュ」や「無伴奏チェロソナタ」だが、 舞曲も聴き逃せない。「カーライの民俗舞踊」(1950年)は日本での認知度こそ低いが、民謡4曲を使って合唱と管弦楽、舞踊が一体となった作品で、親しまれている。両親がコソボ出身のアルバニア系英国人デュア・リパはダンスミュージックの最先端を行く。中・東欧の多様な民俗舞踊はダンス・ポップに変身するか。

本物の民俗音楽を発掘

チェコやハンガリーから、バルカン地域のセルビアやコソボ、ブルガリアまで、中・東欧の民俗音楽は奥が深い。ブラームスの「ハンガリー舞曲集」、ドヴォルザークの「スラブ舞曲集」、リストの「ハンガリー狂詩曲集」だけではない。むしろそれらはウィーンをはじめ大都市で一般向けにアレンジされた異国情緒の音楽であり、生の民俗音楽とは異なる。地域に根差した本物の民俗音楽を発掘するには、20世紀前半のコダーイやバルトークの収集・録音活動を待たなければならなかった。

コダーイはハンガリーの国民的作曲家。抽象的な芸術性の高みを追求したバルトークとは異なり、より大衆性を持つ作曲家であり、音楽教育者でもあった。児童向け合唱曲も作曲するなど、歌唱や演奏の技術に応じて多くの人々が参加できる音楽づくりにも努めた。合唱曲や民謡編曲、舞曲が多いのも教育的観点によるところが大きい。みんなで歌い踊る音楽は一般に支持されやすい。ダンス・ポップにつながる性格も備えていると言えないだろうか。

イシュトヴァン・ケルテス指揮ロンドン交響楽団「コダーイ: 組曲《ハーリ・ヤーノシュ》、ガランタ舞曲、ハンガリー民謡<孔雀>による変奏曲、他」(1964、69年録音、ユニバーサル

イシュトヴァン・ケルテス指揮ロンドン交響楽団「コダーイ: 組曲《ハーリ・ヤーノシュ》、ガランタ舞曲、ハンガリー民謡<孔雀>による変奏曲、他」(1964、69年録音、ユニバーサル)

コダーイは「舞曲」と名の付く曲をいくつも書いたが、演奏頻度が高いのは管弦楽曲「ガランタ舞曲」。ガランタは現スロヴァキア西部の町。ガランタ近辺に暮らすロマ民族の民俗舞踊を集めて構成した。暗い情念を湛えるチェロの旋律から始まり、後半では高速のダンス音楽を繰り広げる。管弦楽の響きは色彩豊かで、民族色と情熱をみなぎらせる。

ダーク・ポップなコダーイとデュア・リパ

「カーライの民俗舞踊」はさらに親しみやすく分かりやすい。演奏時間は7分足らずだが、ハンガリーの民族楽器ツィンバロンを含むオーケストラと合唱団という大編成を要するせいか、日本での演奏機会はほとんどない。しかし歌の旋律はキャッチーで、曲調はエキゾチックでダンサブル。人気が出てもおかしくない。4つの民謡をつないで構成しているため、実際はコダーイによる管弦楽と合唱への編曲である。


Kodály – Doubledance of Kálló (Kállai kettős) – Balázs Bánfi

冒頭ではツィンバロンの分散和音が不気味なほど濃厚な民族色を出す。続いて日本の演歌のような暗い情熱を湛えた遅いテンポの合唱が始まる。ダンサーは男女一組でダブルダンスを踊る態勢を整えていく。恋人たちの喧嘩と和解を皮肉に描くのだ。やがてテンポが速くなり、短調の下行音型によるスリリングな合唱へと移る。高速のダブルダンスの熱狂の中で全曲を終える。民謡に基づくクラシック音楽なのにポップだ。「ダーク・ポップ」という言葉が思い浮かぶ。

皮肉と諧謔を効かせた歌詞で「ダーク・ポップ」と呼ばれるのがデュア・リパ。ほとんどの作詞・作曲は複数メンバーとの共作となっているが、短調のダークなノリでポップな曲が多い。マイケル・ジャクソンやマドンナ、カイリー・ミノーグからレディー・ガガを経て、今やデュア・リパはダンス・ポップの世界最先端にいる。コダーイとリパは無関係に思えるが、ハンガリーとコソボを含む非西欧(=中・東欧)とダンスという点でつながる。

独特の民族的背景を持つダンス・ポップ

1995年ロンドン生まれのデュア・リパは、両親がコソボ系アルバニア人で、英語とアルバニア語のバイリンガル。英国を含む欧州統合が進む一方で、民族浄化という名の虐殺を伴うユーゴスラビア紛争が続いた時代に育った。2008年にコソボがセルビアからの独立を宣言した後、コソボ共和国に家族で移住した。その後、単身ロンドンに戻り、音楽活動を始めたという。現在は英国とアルバニアの二重国籍者だ。

独特の民族的背景を持ちながら、世界標準の普遍性を体現するダンス・ポップを手掛けるところがデュア・リパの魅力の一つだ。世界中で支持されるポップスであっても、例えば、米国のテイラー・スウィフトとは根本的に異なる。明と暗、メジャーとマイナーの違いか。デュア・リパの曲には、狭い音程で動く旋律、下行する音型による旋律、時おり交える呪文めいた低い声など、中・東欧の民俗音楽を彷彿させる要素が薄っすらと滲み出る。

デュア・リパ「ラジカル・オプティミズム」(2024年、ワーナー)

デュア・リパ「ラジカル・オプティミズム」(2024年、ワーナー)

2024年5月リリースの通算3枚目のオリジナルアルバム「ラジカル・オプティミズム」を聴こう。短調の曲が大半だが、タイトル通り、これまでのアルバムよりも楽観的で爽快な雰囲気が強い。印象深いのは2曲目「フーディーニ」。稀代の奇術師ハリー・フーディーニ(1874~1926年)のことだろう。オーストリア=ハンガリー二重帝国出身のユダヤ人で、米国に渡って不死身の脱出王として成功した。

脱出王フーディーニのように自由

デュア・リパの歌詞は、私を捕まえていないとフーディーニみたいに逃げちゃうよ、という内容。「ユー・ニード・ミー」と「フーディーニ」の音を掛けているが、自分とフーディーニの境遇も掛け合わせたか。私はやって来て去っていく、という歌詞は、何ものにも囚われない自由な生き方を示すとともに、アルバニア系移民が置かれてきた立場も暗示する。自由を求める世界中の人々を励ます誇り高いプロテストソングともいえる。


Dua Lipa – Houdini (London Sessions)

「フーディーニ」は曲も興味深い。驚くほどシンプルだ。「Dm→Gm→Csus2→C」と「B♭→Am→C」のコード進行2セットで基本は成り立っている。ヤマハのシンセサイザー「MODX」が大都市の夜景のようなエレクトリックな音色で「Dm→Gm→Csus2→C」のコード進行を繰り返す中、下行音型を中心にした歌の旋律が進む。ところが、Gマイナーコードが絡むにもかかわらず、歌の旋律にはその構成音のB♭の音が一度も出てこない。歌自体はエスニックな感じを醸し出すD音からのドリア旋法風に一貫して進むのだ。

一方、シンセサイザーが刻むコードはB♭音を含むため、D音からのエオリア旋法(ニ短調の自然短音階と同じ)で一貫しているように聴こえる。そして後半の間奏部で初めて、シンセが「B♭→Am→C」のコード進行に乗せてB♭音を含む下行音型の新たな旋律を鳴らす。このB♭音を含む哀愁の旋律が効果的に響く。しかも同じ歌の旋律が再開してからもコード進行を「Dm→Gm→Csus2→C」から「B♭→Am→C」に読み替えてそのまま伴奏し続ける。単純な曲のようでいて、実は民族調(ドリア旋法)と哀愁の短調(エオリア旋法)を並走させながら、西欧の大都市のサウンドに非西欧の歌謡的風味を盛り込んでいる。

コダーイの編曲が伝える民俗舞踊は、現代の都市空間の中で新鮮に響く。デュア・リパは、遠い異国のダンスを初めて見たときのようにシンに新しい。

「クラシック名曲 ポップにシン・発見」全編 >

池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介

特集

今月の音遊人

今月の音遊人:下野竜也さん「自分を楽しく表現できれば、誰でも『音で遊ぶ人』になれると思います」

3765views

音楽ライターの眼

スペース・ジャズ神サン・ラー主演SF映画『スペース・イズ・ザ・プレイス』2021年1月公開

3295views

トランスアコースティックピアノ™

楽器探訪 Anothertake

音量の問題を解決し、ピアノの楽しみを広げる「トランスアコースティックピアノ」

4630views

エレキギター

楽器のあれこれQ&A

エレキギターのサウンドメイクについて教えて!

1549views

大人の楽器練習機

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:世界的ピアニスト上原彩子がチェロ1日体験レッスン

17959views

オトノ仕事人

コンサートの音の責任者/サウンドデザイナーの仕事

13092views

水戸市民会館

ホール自慢を聞きましょう

茨城県最大の2,000席を有するホールを備えた、人と文化の交流拠点が誕生/水戸市民会館 グロービスホール(大ホール)

7483views

ズーラシアン・フィル・ハーモニー

こどもと楽しむMusicナビ

スーパープレイヤーの動物たちが繰り広げるステージに親子で夢中!/ズーラシアンブラス

14860views

上野学園大学 楽器展示室

楽器博物館探訪

日本に一台しかない初期のピアノ、タンゲンテンフリューゲルを所有する「上野学園 楽器展示室」

20485views

横浜レンタル倉庫(YRS)

われら音遊人

われら音遊人:目指すはフェス! 楽しみ、楽しませ、さらなる高みへ

2103views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

もしもあのとき、バイオリンを習っていたら

5934views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

10637views

コハーン・イシュトヴァーンさん Web音遊人

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ハンガリー出身のクラリネット奏者コハーン・イシュトヴァーンがバイオリンを体験レッスン!

10709views

民音音楽博物館

楽器博物館探訪

16~19世紀を代表する名器の音色が生演奏で聴ける!

12324views

映画『It Came From Aquarius Records』

音楽ライターの眼

伝説の米レコード店“アクエリアス・レコーズ”の軌跡を辿るドキュメンタリー映画が完成

500views

オトノ仕事人

オーダーメイドで楽譜を作り、作・編曲家から奏者に楽譜を届ける/プロミュージシャン用の楽譜を制作する仕事

18777views

われら音遊人

われら音遊人:大学時代の仲間と再結成大人が楽しむカントリー・ポップ

4729views

ヤマハギター50周年を機にアコースティックギターのFG/FSシリーズがフルモデルチェンジ

楽器探訪 Anothertake

アコースティックギターFG/FSシリーズがフルモデルチェンジ

20000views

荘銀タクト鶴岡

ホール自慢を聞きましょう

ステージと客席の一体感と、自然で明快な音が味わえるホール/荘銀タクト鶴岡(鶴岡市文化会館)

12475views

山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

すべては、あの日の「無料体験レッスン」から始まった

5584views

ピアノやエレクトーンを本番で演奏する時の靴選び

楽器のあれこれQ&A

ピアノやエレクトーンを本番で演奏する時の靴選び

47777views

こどもと楽しむMusicナビ

1DAYフェスであなたもオルガン博士に/サントリーホールでオルガンZANMAI!

3442views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

31633views