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今月の音遊人:向谷実さん「音で遊ぶ人!?それ、まさしく僕でしょ!」
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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase31)コダーイ「カーライの民俗舞踊」、中・東欧のダンス文化がデュア・リパに変身する日
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2024.9.10
tagged: 音楽ライターの眼, クラシック名曲 ポップにシン・発見, コダーイ, デュア・リパ
ハンガリーの作曲家コダーイ・ゾルターン(1882~1967年)はバルトークとともに中・東欧の民謡収集・研究で知られる。代表作は歌劇「ハーリ・ヤーノシュ」や「無伴奏チェロソナタ」だが、 舞曲も聴き逃せない。「カーライの民俗舞踊」(1950年)は日本での認知度こそ低いが、民謡4曲を使って合唱と管弦楽、舞踊が一体となった作品で、親しまれている。両親がコソボ出身のアルバニア系英国人デュア・リパはダンスミュージックの最先端を行く。中・東欧の多様な民俗舞踊はダンス・ポップに変身するか。
チェコやハンガリーから、バルカン地域のセルビアやコソボ、ブルガリアまで、中・東欧の民俗音楽は奥が深い。ブラームスの「ハンガリー舞曲集」、ドヴォルザークの「スラブ舞曲集」、リストの「ハンガリー狂詩曲集」だけではない。むしろそれらはウィーンをはじめ大都市で一般向けにアレンジされた異国情緒の音楽であり、生の民俗音楽とは異なる。地域に根差した本物の民俗音楽を発掘するには、20世紀前半のコダーイやバルトークの収集・録音活動を待たなければならなかった。
コダーイはハンガリーの国民的作曲家。抽象的な芸術性の高みを追求したバルトークとは異なり、より大衆性を持つ作曲家であり、音楽教育者でもあった。児童向け合唱曲も作曲するなど、歌唱や演奏の技術に応じて多くの人々が参加できる音楽づくりにも努めた。合唱曲や民謡編曲、舞曲が多いのも教育的観点によるところが大きい。みんなで歌い踊る音楽は一般に支持されやすい。ダンス・ポップにつながる性格も備えていると言えないだろうか。
コダーイは「舞曲」と名の付く曲をいくつも書いたが、演奏頻度が高いのは管弦楽曲「ガランタ舞曲」。ガランタは現スロヴァキア西部の町。ガランタ近辺に暮らすロマ民族の民俗舞踊を集めて構成した。暗い情念を湛えるチェロの旋律から始まり、後半では高速のダンス音楽を繰り広げる。管弦楽の響きは色彩豊かで、民族色と情熱をみなぎらせる。
「カーライの民俗舞踊」はさらに親しみやすく分かりやすい。演奏時間は7分足らずだが、ハンガリーの民族楽器ツィンバロンを含むオーケストラと合唱団という大編成を要するせいか、日本での演奏機会はほとんどない。しかし歌の旋律はキャッチーで、曲調はエキゾチックでダンサブル。人気が出てもおかしくない。4つの民謡をつないで構成しているため、実際はコダーイによる管弦楽と合唱への編曲である。
冒頭ではツィンバロンの分散和音が不気味なほど濃厚な民族色を出す。続いて日本の演歌のような暗い情熱を湛えた遅いテンポの合唱が始まる。ダンサーは男女一組でダブルダンスを踊る態勢を整えていく。恋人たちの喧嘩と和解を皮肉に描くのだ。やがてテンポが速くなり、短調の下行音型によるスリリングな合唱へと移る。高速のダブルダンスの熱狂の中で全曲を終える。民謡に基づくクラシック音楽なのにポップだ。「ダーク・ポップ」という言葉が思い浮かぶ。
皮肉と諧謔を効かせた歌詞で「ダーク・ポップ」と呼ばれるのがデュア・リパ。ほとんどの作詞・作曲は複数メンバーとの共作となっているが、短調のダークなノリでポップな曲が多い。マイケル・ジャクソンやマドンナ、カイリー・ミノーグからレディー・ガガを経て、今やデュア・リパはダンス・ポップの世界最先端にいる。コダーイとリパは無関係に思えるが、ハンガリーとコソボを含む非西欧(=中・東欧)とダンスという点でつながる。
1995年ロンドン生まれのデュア・リパは、両親がコソボ系アルバニア人で、英語とアルバニア語のバイリンガル。英国を含む欧州統合が進む一方で、民族浄化という名の虐殺を伴うユーゴスラビア紛争が続いた時代に育った。2008年にコソボがセルビアからの独立を宣言した後、コソボ共和国に家族で移住した。その後、単身ロンドンに戻り、音楽活動を始めたという。現在は英国とアルバニアの二重国籍者だ。
独特の民族的背景を持ちながら、世界標準の普遍性を体現するダンス・ポップを手掛けるところがデュア・リパの魅力の一つだ。世界中で支持されるポップスであっても、例えば、米国のテイラー・スウィフトとは根本的に異なる。明と暗、メジャーとマイナーの違いか。デュア・リパの曲には、狭い音程で動く旋律、下行する音型による旋律、時おり交える呪文めいた低い声など、中・東欧の民俗音楽を彷彿させる要素が薄っすらと滲み出る。
2024年5月リリースの通算3枚目のオリジナルアルバム「ラジカル・オプティミズム」を聴こう。短調の曲が大半だが、タイトル通り、これまでのアルバムよりも楽観的で爽快な雰囲気が強い。印象深いのは2曲目「フーディーニ」。稀代の奇術師ハリー・フーディーニ(1874~1926年)のことだろう。オーストリア=ハンガリー二重帝国出身のユダヤ人で、米国に渡って不死身の脱出王として成功した。
デュア・リパの歌詞は、私を捕まえていないとフーディーニみたいに逃げちゃうよ、という内容。「ユー・ニード・ミー」と「フーディーニ」の音を掛けているが、自分とフーディーニの境遇も掛け合わせたか。私はやって来て去っていく、という歌詞は、何ものにも囚われない自由な生き方を示すとともに、アルバニア系移民が置かれてきた立場も暗示する。自由を求める世界中の人々を励ます誇り高いプロテストソングともいえる。
「フーディーニ」は曲も興味深い。驚くほどシンプルだ。「Dm→Gm→Csus2→C」と「B♭→Am→C」のコード進行2セットで基本は成り立っている。ヤマハのシンセサイザー「MODX」が大都市の夜景のようなエレクトリックな音色で「Dm→Gm→Csus2→C」のコード進行を繰り返す中、下行音型を中心にした歌の旋律が進む。ところが、Gマイナーコードが絡むにもかかわらず、歌の旋律にはその構成音のB♭の音が一度も出てこない。歌自体はエスニックな感じを醸し出すD音からのドリア旋法風に一貫して進むのだ。
一方、シンセサイザーが刻むコードはB♭音を含むため、D音からのエオリア旋法(ニ短調の自然短音階と同じ)で一貫しているように聴こえる。そして後半の間奏部で初めて、シンセが「B♭→Am→C」のコード進行に乗せてB♭音を含む下行音型の新たな旋律を鳴らす。このB♭音を含む哀愁の旋律が効果的に響く。しかも同じ歌の旋律が再開してからもコード進行を「Dm→Gm→Csus2→C」から「B♭→Am→C」に読み替えてそのまま伴奏し続ける。単純な曲のようでいて、実は民族調(ドリア旋法)と哀愁の短調(エオリア旋法)を並走させながら、西欧の大都市のサウンドに非西欧の歌謡的風味を盛り込んでいる。
コダーイの編曲が伝える民俗舞踊は、現代の都市空間の中で新鮮に響く。デュア・リパは、遠い異国のダンスを初めて見たときのようにシンに新しい。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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