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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase59)バッハ「7つのトッカータ」、バロックよりもロックな情熱、粗削りの若書きが映す衝動
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2025.11.13
tagged: 音楽ライターの眼, バッハ, クラシック名曲 ポップにシン・発見, 甲斐バンド
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685~1750年)の鍵盤作品には「平均律クラヴィーア曲集」「ゴルトベルク変奏曲」など多くの名曲がある。楽器指定がない晩年の「フーガの技法」は最高傑作といわれる。だが評価が高くない初期の「7つのトッカータ」に魅了される人もいるだろう。粗削りで若書きのフーガからは、バロックというよりもロックな情熱がほとばしる。バッハ青年の作品は感情と衝動を映す。ロックでも甲斐バンドの前半期がそうだ。
バッハは「7つのトッカータBWV910~916」を1707~13年頃に作曲したと推定されている(BWVは作品番号に付ける「バッハ作品目録=Bach-Werke-Verzeichnis」の頭文字)。バッハが22~28歳の頃とみられ、アルンシュタット(現ドイツ中部テューリンゲン州)の新教会オルガニストからミュールハウゼン(同)のブラジウス教会オルガニストを経てヴァイマル(同)のヴィルヘルム・エルンスト公の宮廷オルガニスト兼宮廷楽師を務めるまでの期間に当たる。作曲に着手したのはもっと前との説もあるが、バッハが若かった初期の作品群であることは間違いない。
「7つのトッカータ」はバッハの生前に作品集としてまとめて出版されたわけではない。「ニ長調BWV912」「ニ短調 BWV913」が比較的初期で、「ホ短調BWV914」「ト短調BWV915」が続き、「嬰ヘ短調BWV910」「ハ短調BWV911」「ト長調BWV916」と断続的に書かれて7曲が出そろう。自筆譜はなく、18世紀初期から前半の弟子たちの筆写譜による。知人や弟子らが伝承し、「アンドレアス・バッハ本」や「メラー手稿譜集」に所収されて残った。
若書きの作品群であるため、「7つのトッカータ」の作曲の経緯には不明な点が多い。まだピアノがなかったバッハの時代には、鍵盤(クラヴィーア)音楽はクラヴィコードやチェンバロで演奏された。今はもちろんピアノでも演奏され、作曲当時の楽器ではないにしても、現代ピアノは表現の幅が広く、様々な解釈による演奏に適していると思える。そうしたバッハの鍵盤作品で世評が高いのは「平均律クラヴィーア曲集」「ゴルトベルク変奏曲」「イギリス組曲」「フランス風序曲ロ短調」など。それに「フーガの技法」といったところ。だが「7つのトッカータ」には密かに人気を呼ぶ魅力があるのではなかろうか。
そもそもトッカータとは何か。トッカータ(Toccata)はイタリア語の「触れる(toccare)」から派生した言葉のようだ。鍵盤楽器に触れて、調律や音程の具合を点検するという意味合いがある。試し弾きとなると、即興的であり、遊びも効いているだろう。例えば、「トッカータハ短調BWV911」。冒頭から12小節まで技巧的で即興風のまさにトッカータを弾きまくる。協奏曲のカデンツァ(即興的な独奏)に似た雰囲気だ。ところがトッカータは導入部にすぎない。演奏時間約12分の「トッカータハ短調」の構成は①トッカータ導入部②アダージョ③フーガ④アダージョとプレストの短い終結部となっている。
緩急の部分を組み合わせて変遷する構成は聴き手を飽きさせない。その中で最も長大なのは速いフーガの部分であり、全曲で175小節あるうちの第33~170小節を占める。小節数で見れば曲のほとんどがフーガであると思えるが、アダージョ部分が非常に遅いので、演奏時間ではフーガは全曲の半分程度となる。中間部の第85小節でカデンツ(終止形)を入れた後、再び延々とフーガを続ける。
フーガを形成する最小単位は6小節の主題。コード進行で分析すれば、Cm→A♭→Cm→Fm→Cm→G7→Cm(Ⅰ→Ⅵ→Ⅰ→Ⅳ→Ⅰ→Ⅴ7→Ⅰ)。トニック(Ⅰ)から始まり、サブドミナント(Ⅳ)やドミナント(Ⅴ)を経て再びトニック(Ⅰ)に戻るシンプルな循環コード進行だ。この主題は1回提示されてすぐにト短調(Gm)に転調する。その後も転調を重ねて、模続進行や同じリズム型による変奏で反復していく。どこまでも続くようなフーガはドライブ感やグルーヴ感を呼び起こし、聴き手を高揚させる。それはロックに似ている。リズムの反復が機械的に精緻ならばユーロビートのようなダンスミュージックにも似る。
ロックが好きな人は「7つのトッカータ」を好きになるかもしれない。フーガには疾走感があり、主題はキャッチ―だ。6小節の主題を魅力的な旋律にするバッハはメロディー・メーカーではないか。「7つのトッカータ」には隠れファンがいると思うのはこうした理由からだ。名盤は何と言ってもグレン・グールドのピアノによる全7曲入りの「トッカータ集」(1963、76、79年録音、ソニー)。自在な緩急と静動のトッカータ、アクセル全開で疾走するフーガを一生繰り返し聴き続けよう。
ところがグールドは名盤を残したにもかかわらず、「7つのトッカータ」に手厳しい。「グレン・グールド著作集」(ティム・ペイジ編、宮澤淳一訳、みすず書房)を読むと、彼はバッハの初期のフーガを冗長だと指摘している。のちに「フーガの技法」で実現した高度なフーガの水準に達していないという。「フーガの技法」は対位法によるポリフォニー(多声音楽)の極致であるのに対し、初期の「7つのトッカータ」のフーガの部分はポリフォニーを徹底しておらず、和声進行に容易に屈服しているということだろう。しかし「トッカータハ短調」を複数の声部が和声を構築し旋律を支えるホモフォニー(和声音楽)として捉えればどうか。グールドは繰り返される主題を最初の単旋律から深い情緒をもって歌い上げている。
そもそも「7つのトッカータ」はフーガの部分だけではない。吉田秀和は著書「グレン・グールド」(河出文庫)の中で、グールドのピアノによるバッハ「トッカータ嬰ヘ短調BWV910」のレコードについて触れている。冒頭4分の4拍子の即興的で速いトッカータ導入部に続き、2分の3拍子の「ゆっくりした部分」(吉田)が速度標語無しで登場する。この部分のグールドの演奏について吉田は「超絶的な遅さ」と書いた。グールドはフーガの主題を美旋律のように歌わせるとともに、緩急の各部分のメリハリを付け、内省的な響きと情熱的な疾走のコントラストを浮き彫りにし、若書きの粗削りな側面も魅力に変えているのだ。
初期の作品にはアーティストの個性と情熱、衝動が詰まっている。ロックでもそう言えそうだ。ザ・ローリング・ストーンズ「アフターマス」やデヴィッド・ボウイ「ジギー・スターダスト」といった初期のアルバムは人気も評価も高い傑作だ。ここで挙げたいのは甲斐バンド。デビュー2年目のアルバム第2作「英雄と悪漢」(1975年)には「ポップコーンをほおばって」「裏切りの街角」「かりそめのスウィング」といった名曲が詰まっている。「氷のくちびる」「翼あるもの」などを含め、クラシックとして残るに違いない甲斐バンドの名曲は前半期の1970年代に集中している。
甲斐バンドの前半期の名曲はロックとしては独特だ。シンプルなトライアド(三和音)の循環コードを中心とした短調の曲が多い。例えば、嬰ハ短調の「裏切りの街角」は、C♯m→A→C♯m→F♯m→C♯m→B→C♯m→G♯7 →C♯m (Ⅰ→Ⅵ→Ⅰ→Ⅳ→Ⅰ→Ⅶ→Ⅰ→Ⅴ7→Ⅰ)。先に見たバッハの「トッカータハ短調」のフーガの主題と近似した和声の進行だ。サビ以外はほぼすべてこのコード進行の反復。単純な循環コードによる哀愁の旋律は一度聴いたら忘れられない。唱歌や童謡に通じる素朴な親しみやすさを持つ。
甲斐バンドの短調の名曲群は単なるロックとも思えない。甲斐よしひろの音楽的教養は非常に深そうだ。フォークやレゲエ、シャンソン、クレズマー、タンゴ、歌謡曲といったロック以外の様々な音楽も混然一体となり、日本語の歌に昇華している。甲斐バンドの後半期はボブ・クリアマウンテンのミックスによるニューヨーク三部作「虜-TORIKO-」「GOLD/黄金」「ラヴ・マイナス・ゼロ」を中心に1980年代風の洗練された巧緻なサウンドのアルバムとなり、長調の曲が増えていった。音楽的には高度で最先端になったのだろうが、好みは人それぞれ。音楽は権威的評論家による格付けに基づいて聴くものではない。バッハや甲斐バンドの若書きの作品群を生涯聴いて楽しんでもいいのである。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ライター。日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー兼日経広告研究所研究員。早稲田大学商学部卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。日経文化事業情報サイト「art NIKKEI」にて「聴きたくなる音楽いい話」を連載中。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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