Web音遊人(みゅーじん)

ドイツの正攻法のデュオで、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの神髄を味わう

ベートーヴェンの生誕250年のメモリアルイヤーに当たる2020年、ヴァイオリニストのフランク・ペーター・ツィンマーマンとピアニストのマルティン・ヘルムヒェンがベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲録音の第2弾を録音した。

今回は第5番『春』、第6番、第7番の登場。ドイツを代表する実力派であるふたりのデュオは、虚飾を配した正攻法。ベートーヴェンのソナタの内奥にひたすら迫っていく圧倒的な説得力に満ちた演奏で、ツィンマーマンの柔軟性あふれる歌謡的な旋律のうたわせ方に、ヘルムヒェンの知的で内省的で繊細なニュアンスに富むピアノが自然に和していく。ここでは各曲の内容を紹介してみたい。

まず、CDは人気の高い第5番『春』で開幕する。『春』という副題は作曲者の命名ではないが、この作品のもっている明るく浮き立つような気分にふさわしい。その理由としては、当時ジュリエッタ・グイッチャルディという女性に恋をしていて、その気分が反映しているからだといわれている。

第1楽章は通常の気難し屋のベートーヴェンではなく、上機嫌で陽気な青年の健康的な顔が見えてくる。
第2楽章は主題が次々に転調されて気分を変えていく様子が春のうつろいを連想させる。
第3楽章は短く洒脱な楽章で、愛らしさとロマンをただよわせる。
第4楽章は3つの主題が組み合わされたロンド・フィナーレ。明るく幕を閉じる。

次いで第6番。作品30の3曲(第6番、第7番、第8番)のヴァイオリン・ソナタは、ロシア皇帝アレクサンドル1世に献呈された。この3曲のなかでは第6番がもっとも演奏される機会に恵まれず、ヴァイオリン・ソナタの全曲演奏会以外にはほとんど登場してこない。

しかし、第1楽章のリリカルで落ち着いた情緒をもつ第1主題、シンコペーションが特徴的な第2主題など、ベートーヴェンらしさが横溢している。特にピアノに華やかなフレーズが多用されているのが目立つ。

第2楽章の小さなロンドは、叙情的な旋律が両楽器によって奏でられ、第3楽章では、当初ベートーヴェンはタランテラを用いたフィナーレを構想していたが、それは『クロイツェル』ソナタの第3楽章へと移され、ここでは簡潔な主題と6つの変奏曲が書かれた。

ベートーヴェンのソナタのなかで、『クロイツェル』『春』に次いで人気の高い第7番は、作品30のなかでも傑出した作品となっている。「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれたのは1802年の秋であり、やがて「傑作の森」といわれる名作を生み出すことにつながっていく時期に作曲されている。

各楽章の主題は非常に明確で、親しみやすい。第1楽章はピアノの重々しい響きで始まる主題は緊迫感を備え、劇的な音楽を形作っていく。第2楽章はヴァイオリンの流麗な響きと、装飾性に彩られたピアノが闊達な動きを見せる。第3楽章は付点リズムがメヌエット風の舞踏を表現し、ヴァイオリンとピアノが快活な表情を織成していくスケルツォ楽章。第4楽章は再び緊張した響きが全編を覆い、ふたつの主題とふたつのエピソードが交錯しながらブレストのコーダへと突き進む。

こうした内容を踏まえ、ツィンマーマンとヘルムヒェンの濃密なデュオを堪能したい。

■インフォメーション

『ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ集Vol.2』

発売元:キングインターナショナル
発売日:2021年5月11日
詳細はこちら

伊熊 よし子〔いくま・よしこ〕
音楽ジャーナリスト、音楽評論家。東京音楽大学卒業。レコード会社、ピアノ専門誌「ショパン」編集長を経て、フリーに。クラシック音楽をより幅広い人々に聴いてほしいとの考えから、音楽専門誌だけでなく、新聞、一般誌、情報誌、WEBなどにも記事を執筆。著書に「クラシック貴人変人」(エー・ジー出版)、「ヴェンゲーロフの奇跡 百年にひとりのヴァイオリニスト」(共同通信社)、「ショパンに愛されたピアニスト ダン・タイ・ソン物語」(ヤマハミュージックメディア)、「魂のチェリスト ミッシャ・マイスキー《わが真実》」(小学館)、「イラストオペラブック トゥーランドット」(ショパン)、「北欧の音の詩人 グリーグを愛す」(ショパン)など。2010年のショパン生誕200年を記念し、2月に「図説 ショパン」(河出書房新社)を出版。近著「伊熊よし子のおいしい音楽案内 パリに魅せられ、グラナダに酔う」(PHP新書 電子書籍有り)、「リトル・ピアニスト 牛田智大」(扶桑社)、「クラシックはおいしい アーティスト・レシピ」(芸術新聞社)、「たどりつく力 フジコ・ヘミング」(幻冬舎)。共著多数。
伊熊よし子の ークラシックはおいしいー

特集

今月の音遊人

今月の音遊人:亀田誠治さん「音楽は『人と人をつなぐ魔法』。いまこそ、その力が発揮されるべきだと思います」

8054views

音楽ライターの眼

憧れが魅力に昇華するまで……その軌跡を辿る音楽旅/飯森範親と辿る芸術 Vol.4 ~ピアノの名手ベートーヴェンが描いた弦楽器の世界~

2508views

【楽器探訪 Another Take】演奏に集中できるストレスフリーのキイメカニズム

楽器探訪 Anothertake

演奏に集中できるストレスフリーのキイメカニズム

6368views

EZ-310

楽器のあれこれQ&A

初めての鍵盤楽器を楽しく演奏して上達する方法

811views

脱力系(?)リコーダーグループ栗コーダーカルテットがクラリネットの体験レッスンに挑戦!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】脱力系(?)リコーダーグループ栗コーダーカルテットがクラリネットの体験レッスンに挑戦!

10877views

オトノ仕事人 ボイストレーナー

オトノ仕事人

歌うときは、体全部が楽器となるように/ボイストレーナーの仕事(前編)

25605views

音の粒までクリアに聴こえる音響空間で、新時代へ発信する刺激的なコンテンツを/東京芸術劇場 コンサートホール

ホール自慢を聞きましょう

音の粒までクリアに聴こえる音響空間で、刺激的なコンテンツを発信/東京芸術劇場 コンサートホール

12693views

こどもと楽しむMusicナビ

サービス精神いっぱいの手作りフェスティバル/日本フィル 春休みオーケストラ探検「みる・きく・さわる オーケストラ!」

10082views

上野学園大学 楽器展示室

楽器博物館探訪

日本に一台しかない初期のピアノ、タンゲンテンフリューゲルを所有する「上野学園 楽器展示室」

20134views

われら音遊人

われら音遊人

われら音遊人:仕事もバンドも、常に真剣勝負!

9822views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

泣いているのはどっちだ!?サクソフォン、それとも自分?

6091views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

26124views

今、注目の若き才能 ピアニスト實川風が ドラム体験レッスン!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】今、注目の若き才能 ピアニスト實川風が ドラム体験レッスン!

8861views

浜松市楽器博物館

楽器博物館探訪

世界中の珍しい楽器が一堂に集まった「浜松市楽器博物館」

31419views

音楽ライターの眼

連載46[ジャズ事始め]ジャズの枢軸を動かさんとするアジアン・チームはどのように膨張していったのか

1548views

テレビや映画の映像を音楽の力で何倍にも輝かせ、人の心を揺さぶる/劇伴作家の仕事

オトノ仕事人

【サインCDプレゼント】テレビや映画の映像を音楽の力で何倍にも輝かせ、人の心を揺さぶる/劇伴作家の仕事

15531views

われら音遊人

われら音遊人:路上イベントで演奏を楽しみ地域活性にも貢献

3512views

豊かで自然な音と響きを再現するサイレントバイオリン「YSV104」

楽器探訪 Anothertake

アコースティックの豊かで自然な音色に極限まで迫る、サイレントバイオリン™「YSV104」

12225views

サラマンカホール(Web音遊人)

ホール自慢を聞きましょう

まるでヨーロッパの教会にいるような雰囲気に包まれるクラシック音楽専用ホール/サラマンカホール

21605views

山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

大人の音楽レッスン、わたし、これでも10年つづけています!

7253views

トロンボーン

楽器のあれこれQ&A

初心者なら知っておきたい、トロンボーンの種類や選び方のポイント

13703views

日生劇場ファミリーフェスティヴァル

こどもと楽しむMusicナビ

夏休みは、ダンス×人形劇やミュージカルなど心躍る舞台にドキドキ、ワクワクしよう!/日生劇場ファミリーフェスティヴァル2022

3219views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

26124views