今月の音遊人
今月の音遊人:小沼ようすけさん「本気で挑まなければ音楽の快感と至福は得られない」
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月に3度のレッスンに通うようになってから何年経つのだろうか。10年を超えているのは間違いない。アルトのサクソフォンをまったくのゼロからはじめ、また50代半ばという年齢もあって、最初のころは音がでるのかどうかも心配だった。
もともと音感が悪い、リズム感が悪い、音程が悪い、とおよそ音楽のなんたるかも分からない状態だった。ただし、音楽を聴くことも、また鼻唄程度だが、歌うことも好きだった。
簡単にいえば、これまで系統だてた音楽の教育を受けてこなかったということなのだ。幼稚園の遊戯、小学校の音楽の授業は、なんだかぼんやりとしたまま経過してしまった。小学校の先生も、大勢の生徒を相手にして、一人一人に的確な教育を与えるのは大変だったのだろう。すでにピアノ教室などに通っている同級生が、自作の小品を弾きこなしたりするのを、呆然として聴いていた。
中高一貫校に通い、高校では美術を選んだので、音楽の授業はなくなったと記憶している。いま思い出したが、中学校の音楽の先生は後にオペラの二期会でソリストを務められたりしていたので、それなりの授業だったと思うが、これはレベルが僕には高すぎたかもしれない。
高校卒業後、入学した短期大学では贅沢な音楽の授業が待っていた。同じ敷地の中にある音楽大学の教授による授業が週に2回あった。授業内容は初歩的な日本の歌曲をピアノ伴奏により歌うというもので、ごく簡単な童謡が主だった。毎回、発声練習と歌曲を歌うだけで、音楽理論には触れなかった。
ということで、音楽の成り立ちを分析的、体系立てて練習し、その一方では実践的に楽曲を練習するという、車の両輪のような統一のとれた音楽教育を受けたのは、このサクソフォンのレッスンが初めてということになる。
最初のころは戸惑うことも多く、また生来のアガリ症なので、緊張の連続だったが、それも有酸素運動のようで、心地よい疲労感があった。
最近では、多少の余裕もでてきたのではないかと、内心では少し自慢している。余裕といっても、間違えても、まあいいかという程度なのだけれども。
サクソフォンのレッスンに通うようになって、元来の音楽好きに拍車がかかったのか、気づいたらCDがびっくりするほど増えてしまいました。増えると、聴きたいアルバムを探し出すのに時間がかかる。できることならば、すぐに見つけ出したい。ということで、ここしばらく、その効率的な仕分け方法に取り組んできました。結果、落ち着いたのは、クラシックは作曲家別に、ジャズは楽器別に、ポップスはアーティスト別にそれぞれABCで分けて整理していくというもの。気合を入れたわりには単純ですが、僕にはこれがいちばんわかりやすみたいです。皆さん、どのように仕分けているのかと思って知人に聞いたら、アルバムのプロデューサー別に整理しているのだとか……。いろいろあるものですね。
作家。映画評論家。1950年生まれ。桐朋学園芸術科演劇コース卒業。劇団の舞台演出を経て、小説、エッセイなどの文筆の分野へ。主な著書に『正太郎の粋 瞳の洒脱』『ぼくの父はこうして死んだ』『江分利満家の崩壊』など。現在、『山口瞳 電子全集』(小学館)の解説を執筆中。2006年からヤマハ大人の音楽レッスンに通いはじめ、サクソフォンのレッスンに励んでいる。
文/ 山口正介
tagged: 山口正介, パイドパイパー・ダイアリー, 大人の音楽レッスン, サクソフォン
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