もしもあのとき、バイオリンを習っていたら

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パイドパイパー・ダイアリー
パイドパイパー・ダイアリー
もしもあのとき、バイオリンを習っていたら

はじめて音楽に接したのは幾つぐらいのときだろうか。サクソフォンのレッスンを受ける過程で、そんなことを考えている。普通は、家の内外でオーディオ装置から流れていた音楽やラジオなどの公共的なものから流れてくる音楽。多くは、親が聴いていた音楽ということになるだろう。

僕の場合は少し変わっていたかもしれない。物心がつくかつかないころ、わが家には蓄音機があった。当時の僕の身長とほぼ同じぐらいの据え置き型だった。ご存じのように、蓄音機は針で拾った音をラッパ型の拡声器で増幅するという単純な構造だ。逆に、そのラッパの中に自分の声を吹き込むと、SP盤の上に針がその音声を記録していく。つまり、ダイレクト・カッティングだ。蓄音機は再生機であると同時に録音機でもあった。

ある日、幼い僕に父親か祖父が、唄を歌ってみろといった。その声を録音してやるというのだ。今でも最初の部分だけ憶えているが、「ボート、ボート、速いよボート」という歌詞だった。そのあと、ヨットが沖でどうした、というような歌詞が続くのだが、それは記憶していない。
自作自演のつもりだが、もしかしたら当時、どこかで聴いた楽曲かもしれない。しかし、僕としては今でいうシンガーソングライターだったと思っている。歌うことの他にも、楽器の演奏が好きだった。それが今のサクソフォンのレッスンにつながっている。

僕が吹き込んだ歌が蓄音機から聴こえてきた。それが最初に聴いた音楽だった。その他に特別、好んで音楽を聴いたという記憶はない。数枚の既製のSPもあったはずだが、どんな音楽だったか記憶していない。長唄の出稽古を家中で受けていたから、長唄のSPだったかもしれない。
毎日、自分の吹き込んだ歌を聴くこともなく、むしろ割れたSPの破片で鉛筆の芯を削ることに熱中していたようだ。そのために、わざとSPを割って、こっぴどく叱られたような思い出もある。僕はいたずら好きの困ったガキだった。

同じころ、父の畏友、伊丹十三さんが、僕にバイオリンを習わせろ、といったが、父は「うちの子を、そんな贅沢に育てるつもりはありません」といって断ってしまった。もしも、そのときからバイオリンを習っていたら、僕のサクソフォンの技術も、もう少し早く進歩したことだろう。

パイドパイパー・ダイアリー僕がレッスンに通っているのは、ヤマハ銀座ビルの教室。師走の銀座は、暗くなるとイルミネーションでキラキラの世界となり、また1年が過ぎようとしていることを実感します。その1年の締めくくりともいうべき、恒例のサクソフォンのレッスン生による発表会が迫ってまいりました。会場はいつものレッスン教室です。
演奏するのは、9月の合同クラスコンサートのときと同じ曲でビリー・ジョエルの『ニューヨークの想い』。また同じなの?っていわれそうですが、今回はちょっと変化をつけて、CDから流れる演奏との競演です。なので、同じ曲でも違った雰囲気の演奏になるはずなのですが……。そして発表会が終わったら、これも楽しみな忘年会。銀座のイルミネーション、教室の忘年会とつづき、今年もレッスンによく励んだなあとシミジミする年の暮れです。

■山口正介〔やまぐち・しょうすけ〕

作家。映画評論家。1950年生まれ。桐朋学園芸術科演劇コース卒業。劇団の舞台演出を経て、小説、エッセイなどの文筆の分野へ。主な著書に『正太郎の粋 瞳の洒脱』『ぼくの父はこうして死んだ』『江分利満家の崩壊』など。2006年からヤマハ大人の音楽レッスンに通いはじめ、アルトサクソフォンのレッスンに励んでいる。

 

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文/ 山口正介
photo/ 長坂芳樹(楽器)、阿部雄介(風景)