今月の音遊人
今月の音遊人:Charさん「いろんな顔を思い出すね、“音で遊んでる”ヤツって。俺は、はみ出すヤツが好きなんだよ」
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アメリカでジャズが発展する要因となった社会情勢との関係性を俯瞰してから次に進みたい。
現在、ボクらが“アメリカ”と呼んでいるアメリカ合衆国(United States of America)は、50の州や連邦区によって構成される国のことだ。
西洋では「クリストファー・コロンブスが1492年に西インド諸島に到達」したことによってアメリカの歴史が動き出すことになっているが、もちろんそれ以前から北アメリカ大陸には人類が生息してコミュニティを形成していた。
アジア系モンゴロイドの、後にネイティヴ・アメリカンと呼ばれるようになる人たちがシベリアからアラスカ経由でこの大陸へと到達したのが、3万年前から1万年前。
残念ながら、10世紀末のノルマン人によるヴィンランド構想は実力行使で排除できたものの、15世紀にやってきた強力な火器を備えた西欧人の前には太刀打ちかなわず、圧倒的に優位だったはずの占有権は無視されたままマイノリティとして扱われることになる。
イタリア人探検家のアメリゴ・ヴェスプッチが“新たな大陸”と呼んだ場所は、ドイツ人マルティン・ヴァルトゼーミュラーによって“アメリカ”と地図に記され、オランダ、スウェーデン、スペインといった大西洋の覇権を争う国々が次々と開拓し、植民地化を進めた。
そのなかでも、18世紀にかけて勢力を増してきたのがグレートブリテン(イギリス)とフランス。この両国はヨーロッパでも衝突を繰り返したが、その余波は北アメリカ大陸にも及び、植民地の陣取り合戦が繰り広げられることになる。
七年戦争(1754〜63年)によってグレートブリテンが北アメリカ大陸の大西洋沿岸をほぼ手中に収め、13の植民地支配の州を建設。
ところが、植民地における自治意識が発達することで、宗主国の意向とは温度差が生じてくるのは世の常。13州は、グレートブリテンによって産業や貿易を制限され、それに加えて重税を課せられることに耐えられず、ついに反乱を起こす。これが有名な「ボストン茶会事件」(1773年)だ。
13州の代表は植民地の自治権を求めて立ち上がり、これがアメリカ独立のための抗戦へ拡大していく。1776年7月4日、代表が集まった会議の席上で発表されたのがアメリカ独立宣言。実際にアメリカが独立状態を勝ち取ったのは、この抗戦を終結させるためのパリ条約が締結され、13州とミシシッピ川以東、五大湖以南をグレートブリテンから割譲された1783年だったけれど、この日をもって現在のアメリカが“成立した”として、記念日に制定されている。
アメリカ独立戦争時の流行歌といえば、「ヤンキードゥードゥル」が有名だ。
もともとヨーロッパ(一説ではオランダ)の農民が作業時に口ずさんでいた労働歌を、敵側を揶揄する替え歌にしたヴァージョンが無数に作られて、広く流布。最終的には愛国歌として認知されるまでになっている。
つまり、当時のアメリカで演奏されていたのはこんなタイプの音楽だったのだろうという想像は、当たらずとも遠からずなのではないかと思う。
ちなみに、黒船で来航したペリー一行が1853年7月14日に神奈川の久里浜に上陸した際、音楽隊によって演奏された行進曲も「ヤンキードゥードゥル」だったとされている。
と、ようやくジャズに辿り着きそうな19世紀半ばまで来たところで紙幅が尽きてしまった。つづきは次回。
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富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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