今月の音遊人
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トリオでなくてカルテット ホールと共に奏でるベテランの三重奏/徳永二男、堤剛、練木繁夫による珠玉のピアノトリオ・コンサートVol.7
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2020.12.28
初めて新生ヤマハホールにきたときの驚きを振り返る。こぢんまりとしていて舞台が近い。演奏者はすぐそばにいる。ただ天井が高い分、空間の容積が大きい。だから、懐の深い響きがする。そのためここは、演奏の隅々まで克明に鳴らし切る一方、大会場のような豊かな余韻も持っている。
そんなホール・サウンドを思い出させてくれたのが、徳永二男(バイオリン)、堤剛(チェロ)、練木繁夫(ピアノ)のトリオだ。2020年12月3日、ベートーヴェンとチャイコフスキーのピアノ三重奏曲を聴きに、歳末の銀座へと向かった。
銀座通りは少し寂しかった。例年なら往来に、讃美歌を奏でながら献金を募る「社会鍋」(救世軍)が出るが、今年は自粛しているようだ。心なしか人出も少ない。年の瀬の賑わいにはほど遠い印象を受ける。それでも演奏会という目的があるので、足取りはそう重くない。
この日のコンサートは先述の通り、日本の演奏シーンを支えてきたベテラン奏者3人によるピアノ・トリオの夕べ。このピアノ三重奏というのは、“聴こえかた”の点で少し変わった編成だ。バイオリンの音は舞台から直接、聴き手の耳に届く。チェロの音は会場の両翼を回り込んで、ハグするかのように客席を包む。ピアノの音はステージから放物線を描くように放たれ、少し上のほうから降ってくるように聴こえてくる。空間の使いかたが三者三様なのだ。
これが音楽的にとても面白い効果を生む。たとえば前半、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲第7番『大公』の演奏。3つの楽器でテーマを受け渡していく場面がしばしば見られる。それが単なる音形の手渡しでは終わらない。楽句が移動すると同時に、響きかたも移り変わる。空間の質そのものが変化したように感じられるのだ。
3人のベテラン奏者は舞台中央に集まっているはずなのに、さまざまなところから音が聴こえてくる。しかも、それが頻繁に移ろっていく。こういう演奏には立体的という比喩がふさわしい。3人がその飛び交う音を楽しんでいるようにも見える。
後半の演目は、チャイコフスキーのピアノ三重奏曲『偉大な芸術家の思い出に』。こちらでもその空間性がものを言う。たとえば第2楽章第6変奏のワルツ。3つの楽器が違う方向から現れては、次々にダンスに参加していく。フーガの第8変奏では、それぞれの楽器の聴こえてくるところがちがうので、ポリフォニーの交通整理が自然と行き届く。
こうした性質を逆手に取る場面もあった。全曲を締めくくる葬送行進曲では、3人の奏者が音色と方向性とを不意に一致させて、足並みを揃える。それまでの音の飛び交う立体性とは正反対だが、最後の葬列にはふさわしい表現だ。
当夜の奏者は3人。演目もピアノ三重奏曲だった。しかし振り返れば、ホールもその演奏の欠くべからざる登場人物のひとりだったように思われる。もしかすると聴いたのは、トリオでなくカルテットだったのかもしれない。
澤谷夏樹〔さわたに・なつき〕
慶應義塾大学大学院文学研究科哲学専攻修士課程修了。2003年より音楽評論活動を開始。2007年度柴田南雄音楽評論賞奨励賞受賞。2011年度柴田南雄音楽評論賞本賞受賞。著書に『バッハ大解剖!』(監修・著)、『バッハおもしろ雑学事典』(共著)、『「バッハの素顔」展』(共著)。日本音楽学会会員、 国際ジャーナリスト連盟(IFJ)会員。