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今月の音遊人:小沼ようすけさん「本気で挑まなければ音楽の快感と至福は得られない」
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【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#014 無制限というジャズの特性を逆手に取ったカバーのお手本~シェリー・マン『マイ・フェア・レディ』編
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2023.6.5
tagged: 音楽ライターの眼, ジャズの“名盤”ってナンだ?
オードリー・ヘプバーン主演の映画『マイ・フェア・レディ』は、映画マニアじゃなくても知っている名作中の名作ではないでしょうか。
観たことがあるかないかを別にして、挿入歌の『I Could Have Danced All Night』(邦題『踊り明かそう』または『一晩中踊れたら』)を聴けば、「あぁ、あの歌の……」と、日本のみならず世界の人々になじみのある作品であると言っても過言ではないでしょう。
それもそのはず、1964年のアカデミー賞8部門を制したオードリーの代表作のひとつで、日本においても公開された1964年と65年の2年連続で洋画興行収入第2位という記録を打ち立てている映画なのですから。
もともとは1913年に上演された、イギリス近代文学にその名を刻むジョージ・バーナード・ショーによる戯曲『ピグマリオン』が原作のミュージカルで、これを1956年にブロードウェイで上演したところトニー賞6部門受賞という高評価を得る大ヒット作となり、再演に次ぐ再演を経て映画化されました。
本作の制作はその映画化のかなり前ですが、ブロードウェイ初演(1956年3月15日)のすぐあと(1956年4月2日)にリリースされたブロードウェイ・オリジナル・キャストが歌ったアルバムが大ヒットしていることもあり、急遽、“2匹目のドジョウ”を狙った“企画もの”だったと思われます。
つまり、大ヒットのブロードウェイ・ミュージカルを意識しながらジャズ・ファンにもアピールするという、一挙両得を狙っていたわけで、それが成功してしまった“名盤”なのです。
アンドレ・プレヴィンのピアノ、リロイ・ヴィネガーのベース、シェリー・マンのドラムスという、トリオ編成によるスタジオ収録。
リーダーのシェリー・マンは、1920年生まれで米ニューヨーク出身。10代後半からビッグバンドのドラマーとして頭角を現わし、1940年代になると台頭するビバップにいち早く適応。ウディ・ハーマン楽団やスタン・ケントン楽団などスウィングとは一線を画したビッグバンドの中核をなす存在となり、シーンの注目を集めました。
1950年代初頭にロサンゼルス郊外へ移り住むと、モダンジャズの一翼を担ったウエストコースト・ジャズに欠かせない人材となり、精力的にアルバム制作にも取り組みます。本作は、そんな脂の乗ったシェリー・マンの1950年代半ばの代表作でもあります。
シェリー・マンの代表作ながら、実際の聴きどころは、アンドレ・プレヴィンの軽妙洒脱にして超絶技巧が冴えるピアノ。
アンドレ・プレヴィンは、1929年生まれで独ベルリン出身。9歳でパリ音楽院に入学する天才ぶりを発揮するも、時は第二次世界大戦勃発直前、ナチスが支配を強めていたこともあって、ユダヤ系であった彼の一家はアメリカへ亡命します。
10代の多感な時期とビバップ隆盛が重なったことでジャズに傾倒。天才少年としてシーンでも知られる存在となり、ウエストコーストの花形ビッグバンドだったショーティ・ロジャース楽団に招かれてレギュラーに。また、ロサンゼルスではハリウッドを代表する映画会社MGMの専属として、数々のヒット作の音楽を手がけることになります。
そのころに参加したのが本作となるわけですが、アンドレ・プレヴィンの天才ぶりは実はこのあとに加速するので、書き足しておきましょう。
1960年代初頭にMGMの専属を離れると、映画音楽やジャズの世界から少しずつ距離をとり、自身の表現の場として幼少期から研鑚を積んでいたクラシック音楽へと近づいていきました。そして、1967年に音楽監督に就任したヒューストン交響楽団を皮切りに、数々の交響楽団をコンダクトします。2009年にはNHK交響楽団の首席客演指揮者にも任命されています。
つまり、(ジャズや映画音楽の界隈ではなく)クラシック音楽界のマエストロと呼ぶにふさわしい業績を重ねた──というのが、アンドレ・プレヴィンに対する最も適切な評価なのです。
さて、この経歴からも読み取れるように、アンドレ・プレヴィンは決してジャズを体現しようとした音楽家ではなく、ジャズという方法論をこれ以上ないくらいに習得して、素材すなわち原曲やメロディを、その時代の大衆が欲したスタイル(=1950~60年代のウエストコースト・ジャズ)に仕立て上げてしまえる能力を備えた“ピアノ・マシーン”だったと考察できるのではないでしょうか。
そして、まるで機械のように、あるべき場所にピッタリとしたタイムスケールで音楽を収めることができたからこそ、クールだ、モードだ、フリーだと理論の先行していた当時のジャズ・シーンにあって、ジャズをイメージさせるわかりやすいサウンドを送り出すことができた──。
そんなアンドレ・プレヴィンの資質があったからこそ生まれた“名盤”なのだと思います。
ということは、この『マイ・フェア・レディ』は“ジャズもどき”なのではないか、と思われるかもしれないですね。
しかし、だったら“もどき”じゃないのはどういうジャズなのかと問われると、「これです!」と言い切れないのがジャズというものなのだと思っています。
要するに、ウエストコーストで活躍していたシェリー・マン、リロイ・ヴィネガー、そしてアンドレ・プレヴィンが、ジャズならなんでもできるという“無制限な特性”を逆手に取って、「制限がないのなら制限有りもアリだよね」とばかりに、大ヒットしているミュージカルのカバーという制限のなかで思う存分、暴れ回っているという解釈ができるのではないでしょうか。
もうひとつ付け足すと、そうした制限有りのジャズの源泉はウエストコーストのビッグバンドにあって、そこからさらに構築性を重視するジャズ寄りのフュージョンへとつながっていったと考えられますが、この論考はまた改めましょう。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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文/ 富澤えいち
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