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今月の音遊人:木嶋真優さん「私は“人”よりも“音楽”を信用しているかもしれません」
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憧れが魅力に昇華するまで……その軌跡を辿る音楽旅/飯森範親と辿る芸術 Vol.4 ~ピアノの名手ベートーヴェンが描いた弦楽器の世界~
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2021.3.26
山形交響楽団の音楽監督や、日本センチュリー交響楽団の首席指揮者としてもおなじみ。知的なタクトと企画性の高いプログラミングで定評が高い人気指揮者・飯森範親がナビゲートするレクチャー・コンサートの第4弾が行われた。
今回は、「ピアノほどの腕前がなかったとされる作曲者は、弦への憧れが人一倍強かったのではないか」というコンセプトの下、弦が活躍する8つの作品にスポットライト。公演は、飯森と、神奈川フィルハーモニー管弦楽団のソロコンサートマスター・﨑谷直人の対談形式で進行した。
前半は、﨑谷と、2019年のブラームス国際コンクール覇者・三原未紗子(ピアノ)が奏でるヴァイオリン・ソナタ第5番「春」の第1楽章から幕開け。少なめのヴィブラートを基調に、右手でのびやかに歌った、端正で麗らかな“春”が秀逸だった。
これに続いたのが、弦楽四重奏曲第11番『セリオーソ』の第1楽章と、ピアノ三重奏曲第7番『大公』の第1楽章。
前者は、城戸かれん、岸本萌乃加(以上ヴァイオリン)、田原綾子(ヴィオラ)、水野優也(チェロ)という旬の若手が一堂に会した豪華カルテットで、﨑谷が本作の魅力と語る「ベートーヴェンならではの厳しさと誠実さ」を、実に見通しよく透明度の高いアンサンブルで織り上げてみせる。
後者は、城戸、水野、三原のトリオだったが、演奏前に、作曲時期が「傑作の森」と呼ばれる実り多き中期だったことや、曲名の「大公」が彼の最大のパトロンかつ理解者だったルドルフ大公を意味することを説明。聴き手はそのおかげで、作品全編に漂う気品や威厳を一歩踏み込んだ深いところで味わえたのではないだろうか。
休憩を挟んだ後半は、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲と、彼の影響を大きく受けた傑作カルテットを交互に取り上げる展開。
冒頭を飾った第16番は、ベートーヴェンが死の5カ月前に完成した最後の弦楽四重奏曲にあたるが、4人の若手はその第3楽章に漂う人生の諦観や余韻を、肩の力を抜いた等身大の表現で穏やかに彫琢。
その歌心は、ルキノ・ヴィスコンティの名画「ベニスに死す」でも使われた、マーラーの弦楽四重奏のためのアダージェット(抜粋)にも受け継がれ、銀座の午後にぴったりな優雅なひとときを現出してみせる。
その後も、『第九』のように自由でシンフォニックな展開をみせるベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番の第1楽章(抜粋)、ショスタコーヴィチが「ファシズムと戦争の犠牲者の想い出に」捧げた弦楽四重奏曲第8番(抜粋)と、聴きごたえのある重厚なナンバーが連続。
そして最後は、﨑谷と三原のデュオによるヴァイオリン・ソナタ第9番『クロイツェル』の第1楽章が、厳しさの中に穏やかさも巧みに織り交ぜた春の嵐のような掛け合いで奏でられてエピローグへ。
飯森が冒頭で語っていたように、作曲者の弦楽器への憧れが、かけがえのない魅力へと昇華してゆく瞬間を存分に堪能できた音楽旅だった。
渡辺謙太郎〔わたなべ・けんたろう〕
音楽ジャーナリスト。慶應義塾大学卒業。音楽雑誌の編集を経て、2006年からフリー。『intoxicate』『シンフォニア』『ぴあ』などに執筆。また、世界最大級の音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」のクラシックソムリエ、書籍&CDのプロデュース、テレビ&ラジオ番組のアナリストなどとしても活動中。
文/ 渡辺謙太郎
photo/ Ayumi Kakamu
tagged: 飯森範親, 音楽ライターの眼, ベートーヴェン
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