今月の音遊人
今月の音遊人:宮本笑里さん「あの一音目を聴いただけで、救われた気持ちになりました」
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カプースチンを聴きに行かないか──と家人に誘われたのは、新元号が令和だと発表されたころのことだった。
“カプースチン祭り”と題されたそのコンサートが、ちょうどゴールデンウィークの真っ只中に開催されるというのだが、ヴァカンスの予定も(もちろん?)なかったから、「いいよ」と軽く返事をしたものの、「カプースチンって誰だっけ?」というぐらいの認識だったことをあらかじめ告白しておかなければならない。
名前ぐらいは聞いたことがあった。東側、つまり共産圏を拠点にしていたアーティストだったっけ、というレヴェルだ。
最初にそのあたりからおさらいしておこう。
ニコライ・ギルシェヴィチ・カプースチンは1937年に当時のソヴィエト社会主義共和国連邦のウクライナ東部に位置するホルリフカ(ゴルロフカ)で生まれた作曲家・ピアニスト、81歳でご存命である。
プロフィールは日本カプースチン協会のホームページを参照していただきたい。
http://www.kapustin.jp/p/blog-page.html
ちなみに日本カプースチン協会というのは、カプースチンと親交があるピアニストの川上昌裕氏が設立した団体で、カプースチン作品の普及と演奏による交流を通し音楽文化の発展に寄与することを目的としている。
この目的を具現する一環として協会が行なっているのが「カプースチン祭り」で、今年の開催が4回目となる。
“祭り”と題されるだけあって、当日は13時開始の第1部から18時開始の第3部までの長丁場を、たっぷり“カプースチン三昧”できるプログラムが組まれていた。
実は、家人が「カプースチンを聴きに行かないか」と誘ったのは、この日の第2部に出演したヴィオラ奏者の羽藤尚子の関係者と知り合いで、意欲的な活動で注目を浴びている彼女がどんな演奏を披露するのかを観たかったから。要するに「カプースチンというよりも……」という失礼な動機だった(申し訳ない)。なので、ボクは16時開演の第2部にお邪魔したという次第。
ところがこの第2部がユニークで、帰るころにはすっかりカプースチンの虜になってしまっていたのだから、“祭り”とは恐ろしいイヴェントである。いや、まんまと日本カプースチン協会の罠にはまってしまったと言うべきだろうか……。
そんなユニークなプログラムのひとつが、カプースチンがヴィオラのために書いた2つしかない作品に挑戦してしまおうというものだった。「ヴィオラとピアノのためのソナタ(Op.69)」(1991年)の第3楽章と「ヴィオラとピアノのためのソナチネ(Op.158)」(2015年)というセレクションだ。
カプースチンは1990年代に数学的な現代音楽手法にハマっていて(と川上昌裕氏が演奏前に解説してくれたおかげでとても受け入れやすかった)、そうした幾何学的なアプローチをチェロよりオクターヴ高いヴィオラで“やってみたかった”らしい。とにかく、この作曲家の“一方の”個性が存分に発揮される選曲だったと言えるだろう。
そこで“もう一方”なのだけれど、カプースチンといえば“ジャズへの興味を隠さなかった現代クラシック界の作曲家・演奏家”としても知られていて、彼を取り上げることが、本稿のテーマである“ジャズとクラシックの関係性”を解くためにも有効なのではないか──という本題に入りたかったが、長くなったので次回にしたい。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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