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【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#036 起死回生のチャンスに理想を詰め込んだハード・バップの宝石箱~ジョン・コルトレーン『ブルー・トレイン』編
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2024.5.13
tagged: ジョン・コルトレーン, 音楽ライターの眼, ジャズの“名盤”ってナンだ?, ブルー・トレイン
ボクがジャズを聴き始めた1970年代後半、すでにジャズを代表する“名盤”として紹介されていた本作ではあったのですが、当時は素直に手に取ることができませんでした。
「ヘソが曲がっているからだろ?」と言われればそのとおりかもしれませんが、そもそも個人の嗜好とはそのようなもので、曲がったヘソにシックリとフィットする対象を求めればよいだけの話だと思っているから気にしていません。
それはともかく、何故、本作が当時のボクの嗜好にシックリとフィットしなかったのかを分析してみると、おそらく3管フロントの6人編成というハード・バップの象徴的なフォーマットと、そこから発せられる厚みのあるハーモニーを堪能するには、まだ耳が熟していなかったからなんじゃないかと思います。
というわけで、耳が熟した(かどうかは定かではありませんが)いま、本作の聴きどころを改めて探ってみたいと思います。
1957年にスタジオで収録されたアルバムです。
オリジナルはLP盤でリリースされ、A面2曲、B面3曲の合計5曲を収録。CD化でも同曲順同曲数でリリースされたほか、別テイク7曲を追加した“65周年記念完全盤”が発売されています。
メンバーは、テナー・サックスがジョン・コルトレーン、トランペットがリー・モーガン、トロンボーンがカーティス・フラー、ピアノがケニー・ドリュー、ベースがポール・チェンバース、ドラムスがフィリー・ジョー・ジョーンズの6人編成です。
オリジナルLP盤の5曲中4曲がジョン・コルトレーンのオリジナル曲で、『アイム・オールド・ファッションド』のみジェローム・カーン作曲のカヴァー曲、いわゆる“ジャズ・スタンダード”です。
ジョン・コルトレーンがジャズ・シーンで注目され始めたのは1955年。マイルス・デイヴィスの“黄金の”と称されるクインテットの一員に迎えられたときでした。
それから2年のあいだに、無名の新人だったテナー奏者は目覚ましい活躍でシーンの最前線へ躍り出て、自分の名前でアルバムを発表できる契約をレコード会社と交わせるまでになります。
それが本作のことだったら“名盤”の解説はラクなのですが、実は違うから世の中はややこしい……。
1957年にジョン・コルトレーンと契約を交わしたレーベルは、以後2年間ほど彼のディスコグラフィを飾る作品を生み出したプレスティッジ・レコードで、本作のブルーノート・レコードではありませんでした。
アルフレッド・ライオン(ブルーノート・レコードの創設者)は彼と専属契約を結ぶためにいろいろと援助もしていたようですが、結果的にブルーノート・レコードとの契約は単発で、ジョン・コルトレーンのリーダー作は本作のみとなってしまいます。
そうした希少性もまた、本作を“名盤”に押し上げる要因になったのではないかと勘ぐっているのですが、唯一の機会だったからこそ、自身のオリジナル曲を中心に気心の知れたメンバーで臨むレコーディングが実現したことは無視できません。
というのも、1957年当時のジャズ・シーンにおけるジョン・コルトレーンの立ち位置を考えると、その道は決して順風満帆ではなかったから……。
シーンの注目を浴びて気鋭のテナー奏者として期待されたとはいうものの、ジョン・コルトレーンは薬禍でマイルス・デイヴィスのバンドを一時的に離脱し、セロニアス・モンクのバンドで出直しを図らざるをえないという、追い詰められた状況でもありました。
邪念を払い、改めて自らが追求するサウンドに邁進するため、まずは自己名義の作品をつくり続けることができるプレスティッジ・レコードと契約。その一方で、より自由に自分の希望が反映できそうなブルーノート・レコードとの関係はサブ・プランとして残していた──というのが、本作誕生の経緯に関するボクの推測です。
プレスティッジ・レコードでの諸作は、マイルス・デイヴィス・クインテットを踏襲する印象が強く、それはそれで彼が自らのポジションを維持するために必要だと考えていたからこその(プレスティッジ・レコードとの契約という)決断で、ブルーノート・レコードについては、“踏襲”ではなく“凌駕”することを目的とした、実験的なレコーディングの機会を与えてくれる相手だと位置づけていた、というわけです。
そうした“環境の違い”が、本作を“名盤”として歴史に刻む大きな誘因になったのではないか──。
要するに、本作は当時のコルトレーンが自分の考える究極のハード・バップのイメージを詰め込めるだけ詰め込んだ、まるで「宝石箱やぁ〜!」的な作品であるからこその“名盤”であり、その“詰め込みすぎな重さ”がジャズ初心者だった半世紀ほど前のボクでは受け止めきれなかったことに関係している、ということなんじゃないかなぁ、と……。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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文/ 富澤えいち
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