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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase25)クルターグ「カフカ断章」とディープ・パープル「チャイルド・イン・タイム」、絶叫の現代音楽
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2024.6.5
tagged: 音楽ライターの眼, ディープ・パープル, クラシック名曲 ポップにシン・発見, クルターグ
チェコのユダヤ人作家フランツ・カフカ(1883~1924年)が没後100年を迎えた。「変身」「失踪者」「審判」「城」など中・長編小説が有名だが、短篇集「観察」「田舎医者」のほか、日記や手紙も注目される。現代社会の不条理と個人の実存的不安を捉える迷宮世界の影響は文学に留まらない。ハンガリーの作曲家クルターグ・ジェルジュのソプラノとバイオリンのための「カフカ断章Op.24」はカフカの日常の迷路を切り取る。やがて来る危機への絶叫(シャウト)はディープ・パープルの「チャイルド・イン・タイム」を思い起こさせる。
クルターグが1985~87年に作曲した「カフカ断章」は、最短13秒、最長7分の計40小品から成り、各曲の平均演奏時間は1分20秒程度。ソプラノとバイオリンによるデュオで、歌詞にはカフカの日記や手紙、遺稿からクルターグが選んだ断片を使っている。短歌や俳句のように短い歌詞で、「Ruhelos(不安)」という一単語を1回叫び、2回目に囁くだけの曲もある。4部構成だが、第1部19曲、第2部は約7分と最長のブーレーズへのオマージュ「真実の道」1曲のみ。第3部12曲、第4部8曲。
歌詞が断片なら曲も断片的だ。ソプラノは金切り声やうめき声を上げたり、呟いたり、笑ったり、声楽の表現の限界に挑む。バイオリンにも特殊奏法が次々に登場し、ピツィカートやグリッサンドはもちろんのこと、コル・レーニョやフラジオレットによると思われる奇怪な音色が頻繁に聴こえる。無駄を切り詰めた極小世界は瞬間芸を思わせて演劇的でもある。
全編を通してのストーリー性は無いが、独奏と独唱による世界最小編成のオペラともいえる。バルトークの「青ひげ公の城」やシェーンベルクの「期待」(それぞれ歌手2人と1人に管弦楽)を超えて極限まで削ぎ落した声弦楽劇だ。それでいて各小品は静と動のコントラストを浮き彫りにし、沈鬱や激情、諧謔、ユーモアを織り交ぜて多様なドラマを聴かせる。
ウェーベルンの系譜の新たな可能性
第1部は研ぎ澄まされた無調風の音響空間が続く。第1曲「善人は歩調を合わせて歩く」ではバイオリンが行進曲風にド・レ・ド・レを終始繰り返し、ソプラノが完全5度上のソ・ラ・ソ・ラで歌い出すなどシンプルな始まりだ。第19曲「けしてそうではない」は悲鳴のような絶叫を繰り返す。こうした小品群はシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」におけるシュプレヒシュティンメ(歌と語りの中間の歌唱法)、ウェーベルンの点描主義、それにバルトークの弦楽四重奏曲といった20世紀の前衛音楽の「伝統」を実感させる。
とりわけクルターグの音楽にはウェーベルンの正統な後継者といった趣がある。ブーレーズやシュトックハウゼンのようにウェーベルンの音列技法からガチガチのトータル・セリエリズム(総音列主義)へと駒を進めるのではない。むしろウェーベルンを20世紀の古典と捉え、その様々な型の技法を応用し、誰もが親しめる現代音楽を創り出している。そこに正統な現代音楽の系譜の新たな可能性を見出せないだろうか。
クルターグは1926年、当時ハンガリー王国領だった現ルーマニアのルゴジで生まれた。バルトークを尊敬し、第二次世界大戦後の1946年、ブダペストのフランツ・リスト音楽院に入学した。しかしバルトークは前年、亡命先の米国で亡くなっていた。さらにスターリン主義のハンガリー勤労者党政権下ではバルトークの後期作品やシェーンベルクの音楽が禁じられた。56年のハンガリー動乱後、クルターグはパリに留学し、ミヨーやメシアンの授業を受け、ウェーベルンの音楽に目覚めた。
現代音楽の様々な成果と技巧を映し出す「カフカ断章」は、奇才で鳴らす著名バイオリニストにとって魅力のレパートリーのようだ。パトリシア・コパチンスカヤは来日公演でもクルターグ作品をプログラムに入れ、「カフカ断章」の小品を弾き語りしている。全曲収録のCDではイザベル・ファウストのバイオリン、アンナ・プロハスカのソプラノによる2020年録音盤が秀逸だ。弦と声が独白と対話を織り成し、不安と孤独の切実な心理を繊細かつ壮絶に表現していく。悲鳴や絶叫があっても、全編にわたって奇妙な歌謡性と抒情が漂う。
絶叫(シャウト)はロックでおなじみだが、起源はレッド・ツェッペリンやディープ・パープルのハードロックだろう。ディープ・パープルの「チャイルド・イン・タイム」はシャウトどころか悲鳴(スクリーム)だ。演奏時間10分のこの大作は「ハイウェイ・スター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」などと並ぶディープ・パープル第2期(1969~73年)の傑作。第2期はこのバンドの絶頂期で、イアン・ペイスのドラムス、ジョン・ロードのオルガン、リッチー・ブラックモアのギター、ロジャー・グローバ―のベース、そしてボーカルはイアン・ギラン。ロック史上最強の実力者がそろった。
「チャイルド・イン・タイム」はギランのハイトーン・スクリームが強烈な印象を残す。曲名は「子供も時が経てば」といった意味で、「かわいい子供もやがては善悪の境界線を知るだろう」とギランが呟くように歌い出す。冷戦時代の反戦歌とは異なり、きっと来るはずの戦争への予知的な悲鳴、無垢な子供が恐怖に慄く絶叫者となる衝撃の表現主義ロックだ。
当時はベトナム戦争の最中だった。米国では徴兵制が敷かれる一方で、反戦運動が激しくなり、ドラッグによる幻覚を再現するサイケデリック・ロックやヒッピーサウンドも流行した。「チャイルド・イン・タイム」は米サイケデリックバンド、イッツ・ア・ビューティフル・デイの「ボンベイ・コーリング」を下敷きにしている。パクリとも言われたが、音楽の深みが違う。究極の不条理に直面するのは最前線で銃弾を浴びる兵士である。サイケやヒッピー文化を超えて、善悪の彼岸に立つ人間の実存を直に問うギランの詩。バンドの静と動の戦慄の演奏。この1曲だけでディープ・パープルの芸術性は証明された。
カフカは出征せず、ホロコーストを体験することもなく生涯を終えた。しかしカフカの日記を読むと、将来のカタストロフィーを予知しているかのような不安な心持ちが伺える。「カフカ断章」や「チャイルド・イン・タイム」が聴き手の心を打つのは、現在も不安と孤独と不条理がはびこる社会であるからだ。不安や恐怖を表現しても、癒しや慰め、励ましを聴き手に与える音楽。研ぎ澄まされた感性で日常の根底を抉り出す音楽の効用がそこにある。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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