Web音遊人(みゅーじん)

児玉桃

シンフォニックな一幅の絵に没入する快感/児玉桃ピアノ・リサイタル

このピアニストの演奏を初めて聴いた。2025年2月7日、東京・銀座のヤマハホールでの「児玉桃ピアノ・リサイタル」。CDやYouTubeでの予習無し。ドビュッシー、ショパン、現代音楽のモンタルベッティからムソルグスキーまで、いずれもシンフォニックな一幅の絵に没入する快感に満たされる。フランス風の色彩感と堅牢なドイツ的構成感。ライン地方からパリにかけての独仏間の雰囲気。大好きな世界。なぜ聴いてこなかったのだろう。

ドビュッシーの鮮明な靄の風景

ドビュッシー『前奏曲集第1巻』からの3曲でいきなり圧倒的な音の絵を体感した。第1曲『デルフォイの舞姫』。くぐもった音色が重層的に万遍なく広がり、澄んだ高音が色彩を添える。第11曲『パックの踊り』はリズミカルで軽妙だが、厚みのある響きで筆太に舞踊を描く。第10曲『沈める寺』は圧巻。静寂から靄のかかった景色が浮かび上がる。鮮やかな靄の風景だ。重低音の広がり、こもった交響が鮮明な絵画になる。これこそドビュッシーが夢見た音の詩ではなかろうか。

児玉桃

児玉桃は欧州で育ち、パリ国立高等音楽院を卒業。史上最年少の19歳でミュンヘン国際コンクールの最上位に輝いた。国際的に高く評価されるピアニストなのは2曲目のショパン『ピアノ・ソナタ第3番ロ短調Op.58』でも実感する。旋律優先の安易な情緒に流されず、左右両手からポリフォニックな響きを生み出し、硬質な構造を築く。第1楽章では左手の低音域からの上行も明確に聴こえる。甘美な第2主題もしっかりした構成感でまとめていた。

古典になる現代音楽の日本初演

後半は1968年生まれのフランスの作曲家E・モンタルベッティの『6つの間奏曲』から始まった。2024年9月に児玉桃がフランスで世界初演し、今回は日本初演。ソルボンヌ大学教授のパリの自宅で開かれる音楽仲間の集いで最初の1曲が児玉桃によって演奏されたという。エリート層と思われる人々のサロンを想像しただけで気後れするが、『6つの間奏曲』は現代音楽にしては調性感があり、親しみやすい。

児玉桃

各間奏曲は旋法を軸にし、様々な分散和音を繰り広げる。メシアンの全音音階旋法も使われているようだが、多様な分散和音を聴くうちになぜかドビュッシーの前奏曲やショパンの練習曲を連想した。「ショパンやドビュッシーの作品も当時は現代音楽だった」と児玉桃は演奏前に説明した。モンタルベッティの作品は意外な親しみやすさが一般に受け入れられる可能性もあり、古典となりうる印象を受けた。

児玉桃

最後はムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』。速めのテンポでプロムナードが元気よく始まった。夭折した友人の画家ハルトマンの回顧展を訪れたムソルグスキー。絵を見るたびに衝撃を受け、プロムナードが変形する。その微妙な感情の変化をプロムナードの変奏が映す。終曲『キーウの大門』でプロムナードが大門の絵の中に没入し、昇華するさまを見事に描き切った秀演だ。ピアノによる驚くべきシンフォニックな絵画。もう児玉桃を聴き逃せない。

児玉桃

池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介

photo/ Ayumi Kakamu

本ウェブサイト上に掲載されている文章・画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。

facebook

twitter

特集

広瀬香美さんインタビュー

今月の音遊人

今月の音遊人:広瀬香美さん「毎日練習したマライア・キャリーの曲が、私を少し上手にしてくれました」

11062views

音楽ライターの眼

連載46[ジャズ事始め]ジャズの枢軸を動かさんとするアジアン・チームはどのように膨張していったのか

2184views

STAGEA(ステージア)ELB-02 - Web音遊人

楽器探訪 Anothertake

見ているだけでわくわくする!弾きたい気持ちにさせるエレクトーン

8554views

楽器のあれこれQ&A

サクソフォン講師がアドバイス!ステップアップのコツ

3057views

【動画公開中】沖縄民謡アーティスト上間綾乃がバイオリンに挑戦!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】沖縄民謡アーティスト上間綾乃がバイオリンに挑戦!

10434views

地代所悠/コントラバスヒーロー

オトノ仕事人

「コントラバスヒーロー」として音楽と三浦半島の魅力を伝える/音楽で活躍するご当地ヒーローの仕事

2670views

人が集まり発信する交流の場として、地域活性化の原動力に/いわき芸術文化交流館アリオス

ホール自慢を聞きましょう

おでかけ?たんけん?ホール独自のプランで人々の厚い信頼を獲得/いわき芸術文化交流館アリオス

10290views

こどもと楽しむMusicナビ

クラシックコンサートにバレエ、人形劇、演劇……好きな演目で劇場デビューする夏休み!/『日生劇場ファミリーフェスティヴァル』

8043views

武蔵野音楽大学楽器博物館

楽器博物館探訪

専門家の解説と楽器の音色が楽しめるガイドツアー

9508views

われら音遊人:「非日常」の充実感が 活動の原動力!

われら音遊人

われら音遊人:「非日常」の充実感が活動の原動力!

8963views

山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

すべては、あの日の「無料体験レッスン」から始まった

6040views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

11750views

大人の楽器練習記:バイオリニスト岡部磨知がエレキギターを体験レッスン

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:バイオリニスト岡部磨知がエレキギターを体験レッスン

21260views

浜松市楽器博物館

楽器博物館探訪

世界中の珍しい楽器が一堂に集まった「浜松市楽器博物館」

36933views

音楽ライターの眼

ショパンのマズルカは、ピアニストにとって特別な意味をもつ魅力的な作品

35778views

カッティング・エンジニア

オトノ仕事人

レコードの生命線である音溝を刻む専門家/カッティング・エンジニアの仕事

8132views

われら音遊人:1年がかりでビッグバンドを結成、河内からラテンの楽しさを発信!

われら音遊人

われら音遊人:1年がかりでビッグバンドを結成、河内からラテンの楽しさを発信!

12840views

reface

楽器探訪 Anothertake

個性が異なる4機種の特徴、その楽しみ方とは?

9266views

しらかわホール

ホール自慢を聞きましょう

豊潤な響きと贅沢な空間が多くの人を魅了する/三井住友海上しらかわホール

16242views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

贅沢な、サクソフォン初期設定講習会

6142views

楽器のあれこれQ&A

モチベーションがアップ!ピアノを楽しく効率的に練習するコツ

43686views

東京文化会館

こどもと楽しむMusicナビ

はじめの一歩。大人気の体験型プログラムで子どもと音楽を楽しもう/東京文化会館『ミュージック・ワークショップ』

8694views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

28120views