今月の音遊人
今月の音遊人:世良公則さん「僕にとって音楽は、ロックに魅了された中学生時代から“引き続けている1本の線”なんです」
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もう10年以上も前の話になるのだが、サクソフォンの教室に通うにあたり、最初に体験レッスンというものを受講した。
10人ばかりが集まり、レッスン室で、もっとも初歩的なサクソフォンの基礎を教えてもらった。サクソフォンは音を出すだけならば、すぐに出来るので、その日のうちに極々簡単な曲を皆で合奏した。
その10人が一つのクラスになるのかと思ったら、翌月から海外赴任になったという方もいて、ご夫妻だったので、2人は現れなかった。それから残ったメンバーでレッスンがはじまった。
この初期の仲間でレッスンを受けていた時代は長い。5~6年はご一緒しただろうか。そののち、何人かがご自身の都合でレッスンを辞めなければならなくなった。僕以外は会社勤めの方々だったので、辞めた理由は主に勤務状況の変化によるものだった。かなり離れた場所への転勤というのでは、これはいたしかたない。また、ちょうどレッスンの時間と勤務の時間がぶつかるということもあった。
我々のレッスンは、主にスモールコンボというのか、3人から5人程度の合奏、あるいはデュエットやソロの演奏である。
ビッグコンボ、フルオーケストラでの演奏を希望する人は、そちらのレッスンに移動した。同じ音楽教室の中での転勤のようなものだった。
一方、新しい仲間が途中から加わることも何回かあった。先の転勤と逆のケースだ。なかには、僕たちの通うレッスン会場の近くに転勤してきたので、同じヤマハの仙台の教室から、こちらに移動するというケースもあった。
新しい仲間が増えるのは大歓迎だ。同じ顔ぶれだと、だいたいどんな音を出すか、出したいかがわかってくる。それはそれなりに、息が合ってくるので快適なのだが、新しい楽曲にチャレンジしたくなるのと同じような理由で、新しい仲間とも演奏してみたくなる。ジャズのほうでいうジャムセッションのような感覚だろうか。
そこで、誰かを誘ってみようかなどと同級生とも話しているのだが、僕たちと演奏の習熟度がほぼ同じ新人の方、いらっしゃいませんかね?
最近、都心から地元・国立への帰り道、よく吉祥寺で途中下車するようになりました。気がついたらそうなっていたのですが、吉祥寺が「住みたい街NO.1」の座を恵比寿から奪還したからという理由でないことだけは確か。一流のジャズミュージシャンが出演するライブハウスもあったりして、ついふらっと電車を降りてしまう感じです。
ゴールデンウィークには「吉祥寺音楽祭」が開催され、その時期にふらっと寄ると、たまたま街角ライブに出くわしたりします。同じ中央線沿線の音楽イベントでは、秋の「阿佐谷ジャズストリート」とともに知られています。「阿佐谷」のほうはジャズに特化したイベントですが、「吉祥寺」はロックから昭和歌謡まで何でもあり?これも吉祥寺っぽいところなのでしょうか。(写真は吉祥寺駅南口の井の頭公園につづく小路。)
作家。映画評論家。1950年生まれ。桐朋学園芸術科演劇コース卒業。劇団の舞台演出を経て、小説、エッセイなどの文筆の分野へ。主な著書に『正太郎の粋 瞳の洒脱』『ぼくの父はこうして死んだ』『江分利満家の崩壊』など。現在、『山口瞳 電子全集』(小学館)の解説を執筆中。2006年からヤマハ大人の音楽レッスンに通いはじめ、サクソフォンのレッスンに励んでいる。
文/ 山口正介
tagged: 大人の音楽レッスン, サクソフォン, 山口正介, パイドパイパー・ダイアリー
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