Web音遊人(みゅーじん)

マリア・カラス

『マリア・カラス 伝説の東京コンサート1974』が映像アップコンバート&最新リマスター音源で登場

マリア・カラスの人気は没後40年を経た現在でも、いっこうに衰えることがない。不世出のディーヴァは世界中の人々に愛され、いまなおその個性的で表現力豊かな歌声は人々の記憶に強い刻印を記している。

特に、得意としたベッリーニの「ノルマ」、ドニゼッティの「ランメルモールのルチア」、ヴェルディの「椿姫」、プッチーニの「トスカ」などのオペラ・アリアは、他の追随を許さないほどだ。

加えてカラスの劇的な人生が私たちをひきつけ、過酷なまでの人生との戦いが全面的に反映されたその歌声に、ひとりの人間の生きざまを見る思いがし、歌から離れられなくなってしまうのである。

私がマリア・カラスのナマの歌声を聴いたのは唯一の来日公演が行われた1974年10月のこと。カラスは美しい真紅のドレスを身にまとい、共演者のテノール、ジュゼッペ・ディ・ステファノにエスコートされて優雅な笑みを浮かべながらステージに現われた。気性がはげしく、喧嘩っ早く、「雌虎」とあだ名されていたのが嘘のように楚々とした感じだったため、不思議な感覚にとらわれた。もっと情熱的な人を想像していたからである。

だが、その思いは歌が始まった途端、一掃された。カラスは「カルメン」「カヴァレリア・ルスティカーナ」「ジャンニ・スキッキ」などのアリアを次々にうたったが、完全にひとつの役になりきり、オペラの舞台を思わせる迫真の演技を見せたからである。

確かに、もう声は往年の輝きを失ってはいたが、胸の奥に深い感動をもたらす印象深い歌声だった。

終演後の楽屋での様子も忘れることができない。近くで見るカラスは長身でエレガント。真っ赤な口紅とネイルカラーがよく似合っていた。楽屋を訪れた関係者や友人のひとりひとりに「ありがとう」「うれしいわ、ありがとう」といってていねいに握手をし、おだやかな笑みを見せていた。

晩年、カラスは声が衰え、恋にも破れ、孤独だったといわれているが、私にはこのときの幸せそうな姿が深く焼き付いている。

これまでカラスの録音は数多くリリースされているが、この来日公演のDVDがリリースされることになった。1974年10月19日のNHKホールにおけるライヴ映像である。ピアノは、ロバート・サザーランドが担当し、カラスとディ・ステファノを好サポート、各オペラの名アリアをたっぷりと堪能することができる。

カラスはひとつの役を徹底的に研究し、掘り下げ、楽譜の裏側に潜むものに肉薄し、完全に自分のものになるまで練習し、舞台に臨んだ。彼女は母親に愛されず、友人も少なく、恋も成就せず、ひたすら音楽に命を賭けた人生を送った。子どものころから過食症で太り気味だった自分を変えたいと、あるとき極端なダイエットを行って体重を落とし、美しい歌姫へと変貌を遂げた。
しかし、絶頂期は短く、1965年には41歳でオペラの舞台から引退している。ここに聴く数々のアリアは、いずれの曲もドラマチックで情熱的で役になりきった演技力が歌声から伝わってくる。不滅のディーヴァの貴重な記録である。

伊熊 よし子〔いくま・よしこ〕
音楽ジャーナリスト、音楽評論家。東京音楽大学卒業。レコード会社、ピアノ専門誌「ショパン」編集長を経て、フリーに。クラシック音楽をより幅広い人々に聴いてほしいとの考えから、音楽専門誌だけでなく、新聞、一般誌、情報誌、WEBなどにも記事を執筆。著書に「クラシック貴人変人」(エー・ジー出版)、「ヴェンゲーロフの奇跡 百年にひとりのヴァイオリニスト」(共同通信社)、「ショパンに愛されたピアニスト ダン・タイ・ソン物語」(ヤマハミュージックメディア)、「魂のチェリスト ミッシャ・マイスキー《わが真実》」(小学館)、「イラストオペラブック トゥーランドット」(ショパン)、「北欧の音の詩人 グリーグを愛す」(ショパン)など。2010年のショパン生誕200年を記念し、2月に「図説 ショパン」(河出書房新社)を出版。近著「伊熊よし子のおいしい音楽案内 パリに魅せられ、グラナダに酔う」(PHP新書 電子書籍有り)、「リトル・ピアニスト 牛田智大」(扶桑社)、「クラシックはおいしい アーティスト・レシピ」(芸術新聞社)、「たどりつく力 フジコ・ヘミング」(幻冬舎)。共著多数。
伊熊よし子の ークラシックはおいしいー

■アルバムインフォメーション

没後40年記念企画『マリア・カラス 伝説の東京コンサート1974』
没後40年記念企画『マリア・カラス 伝説の東京コンサート1974』
発売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2017年10月25日
価格:6,500円(税抜)
詳細はこちら

 

特集

今月の音遊人

今月の音遊人:松居慶子さん「音楽は生きとし生けるものにとって栄養のようなもの」

5704views

マルク=アンドレ・アムラン

音楽ライターの眼

その夜のピアノは、聴衆を“別世界”へといざなった/マルク=アンドレ・アムラン ピアノ・リサイタル

4692views

マーチングドラムの必須条件とは?

楽器探訪 Anothertake

マーチングドラムの必須条件とは?

10799views

楽器のあれこれQ&A

講師がアドバイス!フルート初心者が知っておきたい5つのポイント

17394views

脱力系(?)リコーダーグループ栗コーダーカルテットがクラリネットの体験レッスンに挑戦!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】脱力系(?)リコーダーグループ栗コーダーカルテットがクラリネットの体験レッスンに挑戦!

10295views

オトノ仕事人

最適な音響システムを提案し、理想的な音空間を創る/音響施工プロジェクト・リーダーの仕事

1767views

秋田ミルハス

ホール自慢を聞きましょう

“秋田”の魅力が満載/あきた芸術劇場ミルハス

4295views

こどもと楽しむMusicナビ

サービス精神いっぱいの手作りフェスティバル/日本フィル 春休みオーケストラ探検「みる・きく・さわる オーケストラ!」

8912views

小泉文夫記念資料室

楽器博物館探訪

世界の民族楽器を触って鳴らせる「小泉文夫記念資料室」

21754views

われら音遊人

われら音遊人:みんなの灯をひとつに集め、大きく照らす

5338views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

もしもあのとき、バイオリンを習っていたら

5454views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

24718views

大人の楽器練習機

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:世界的ピアニスト上原彩子がチェロ1日体験レッスン

16815views

武蔵野音楽大学楽器博物館

楽器博物館探訪

世界に一台しかない貴重なピアノを所蔵「武蔵野音楽大学楽器博物館」

21904views

音楽ライターの眼

連載16[ジャズ事始め]“上海リヴァイヴァル”を象徴する「上海バンスキング」とアジア・ジャズの序章

3842views

アカネキカク akaneさん

オトノ仕事人

楽曲のイメージをもとに、ダンスの振りを考え、演出をする/振付師の仕事

1860views

われら音遊人

われら音遊人

われら音遊人:仕事もバンドも、常に真剣勝負!

9408views

reface

楽器探訪 Anothertake

個性が異なる4機種の特徴、その楽しみ方とは?

7261views

紀尾井ホール

ホール自慢を聞きましょう

専属の室内オーケストラをもつ日本屈指の音楽ホール/紀尾井ホール

13680views

『チュニジアの夜』は相当に難しいが、次回のレッスンが待ち遠しい 山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

『チュニジアの夜』は相当に難しいが、次回のレッスンが待ち遠しい

5304views

初心者必見!バンドで使うシンセサイザーの選び方

楽器のあれこれQ&A

初心者必見!バンドで使うシンセサイザーの選び方

23084views

東京文化会館

こどもと楽しむMusicナビ

はじめの一歩。大人気の体験型プログラムで子どもと音楽を楽しもう/東京文化会館『ミュージック・ワークショップ』

7187views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

9600views