Web音遊人(みゅーじん)

録音史上トップ・ピアニスト50の一人が描いた繊細かつ絢爛豪華な音楽絵巻/ベンジャミン・グローヴナー ピアノ・リサイタル

録音史上トップ・ピアニスト50名の一人が描いた繊細かつ絢爛豪華な音楽絵巻/ベンジャミン・グローヴナー ピアノ・リサイタル

弱冠10歳でピアノとチェロの両方を弾きこなして初リサイタルを開催。その後もBBCプロムスで史上最年少ソリストを務めたり、2011年にはこちらも史上最年少、しかもイギリス人ピアニストとしては60年ぶりに名門デッカと録音契約を結んだりしたベンジャミン・グローヴナー。

「グラモフォン」誌が選ぶ録音史上トップ・ピアニスト50名の一人にも選出され、「芸術的能力の頂点に達し、そこに留まろうとする天才」と賞される彼の注目公演が4月23日にヤマハホールで行われた。

ロマンティックなシューマン作品では演奏途中に舞台裏に退く珍しい一幕も

「本日は静かな響きの公演なので物音にご注意ください」というアナウンスに続いて幕を開けた前半は、シューマンの『花の曲』と『幻想曲』を演奏。

19世紀前半の独墺圏で生まれたビーダーマイヤー(身近で日常的なものに目を向けようとする市民文化)の象徴と言われる静謐な情緒が特長の前者を、グローヴナーはやや大きめの大粒でゆったりと優美に彫琢。

続く3楽章構成の後者は、ドイツのボンに建立が計画されたベートーヴェン記念碑の寄付金を集めるために書かれたことから、その作風を随所に受け継ぎ、また当時は婚約者の父から猛反対を受けていたこともあってか、特に第1楽章は転調を繰り返して調性が不安定になる難曲だ。

ベンジャミン・グローヴナー 公演中の写真

この日の彼は、そうした複雑な音と心の揺らぎに寄り添い過ぎたのだろうか。次第に作曲者の魂が憑依したかのように運指の不安定さが増してゆき、第2楽章で演奏停止。楽譜なしで演奏をしていたため、どうやら暗譜が頭から飛んでしまったらしく、一度舞台裏に退いてから弾き直す珍しい一幕があった。その後はみごとに立て直し、第3楽章では時折即興的な要素が織り込まれていたのも興味深かった。

完璧なバランス感覚で緻密に悠々と描かれた「展覧会の絵」

そして後半は、ロシア5人組の一人、ムソルグスキーが友人の建築家の死を悼み、その遺作展を訪れた際に観た10枚の絵と、それらを巡る散歩(プロムナード)の印象を音に託した大作『展覧会の絵』。

「曲ごとにストーリーを語り、感情を伝える。音楽とは常に、小さな瞬間とより大きな瞬間とのバランスです。細部のすばらしさと巨大なキャンバスのバランスをどう取るか。音色について言えば、異なる音の種類や質をピアノでどう最大限に表現できるか、常に探っています」とは、本公演に向けた抱負を朝日新聞紙上で語ったグローヴナーの言葉だが、当夜の演奏はまさにそれを余すところなく体現。

ベンジャミン・グローヴナー 公演中の写真

10枚の絵の前後に前奏曲や間奏曲として配置された5つのプロムナードには、大仰ではなく、実に緻密で知的な変化がつけられており、それぞれの絵の優雅さや、ユーモアや、おどろおどろしさが、自然な形で鮮やかさが浮かび上がる。細部まで完璧なバランス感覚で緻密に悠々と描かれた『展覧会の絵』は、本当に立派で、立派すぎて、言うことがなかった。2024年12月にも彼が来日公演で披露した同曲を聴いて、これも大変な名演だったが、この日はさらに集中力と精度が増していたと思う。

完売公演だった当夜の聴き手からの大喝采に応えたアンコールはなんと、J.S.バッハ(ジロティ編)の前奏曲(BWV855a)、プロコフィエフのソナタ 第7番『戦争ソナタ』より第3楽章、ラヴェル『水の戯れ』、シューマン(グローヴナー編)『夕べの歌』の4曲。演奏が終わるたびにスタンディングオベーションが巻き起こる秀演だったが、とりわけ『戦争ソナタ』は、次回の来日公演でぜひとも全楽章で聴きたくなる燃焼と洗練の極みに恍惚となった。

ベンジャミン・グローヴナー カーテンコールの写真

 

渡辺謙太郎〔わたなべ・けんたろう〕
音楽ジャーナリスト。慶應義塾大学卒業。音楽雑誌の編集を経て、2006年からフリー。『intoxicate』『シンフォニア』『ぴあ』などに執筆。また、世界最大級の音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」のクラシックソムリエ、書籍&CDのプロデュース、テレビ&ラジオ番組のアナリストなどとしても活動中。

photo/ Koki Nagahama

本ウェブサイト上に掲載されている文章・画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。

facebook

twitter

特集

小野リサさん

今月の音遊人

今月の音遊人:小野リサさん「ブラジルの人たちは、まさに『音で遊ぶ人』だと思います」

14693views

音楽ライターの眼

編曲作品や委嘱作品を積極的に演奏し、次世代のマリンバ奏者に受け渡していきたい

2825views

トランスアコースティックピアノ™

楽器探訪 Anothertake

音量の問題を解決し、ピアノの楽しみを広げる「トランスアコースティックピアノ」

6086views

楽器のあれこれQ&A

目指せ上達!アコースティックギター初心者の練習方法とお悩み解決

105388views

世界各地で活躍するギタリスト朴葵姫がフルートのレッスンを体験!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】世界各地で活躍するギタリスト朴葵姫がフルートのレッスンを体験!

9156views

打楽器の即興演奏を楽しむドラムサークルの普及に努める/ドラムサークルファシリテーターの仕事(前編)

オトノ仕事人

一期一会の音楽を生み出すガイド役/ドラムサークルファシリテーターの仕事(前編)

17073views

ザ・シンフォニーホール

ホール自慢を聞きましょう

歴史と伝統、風格を受け継ぐクラシック音楽専用ホール/ザ・シンフォニーホール

30822views

こどもと楽しむMusicナビ

クラシックコンサートにバレエ、人形劇、演劇……好きな演目で劇場デビューする夏休み!/『日生劇場ファミリーフェスティヴァル』

8194views

民音音楽博物館

楽器博物館探訪

歴史的価値の高い鍵盤楽器が並ぶ「民音音楽博物館」

27804views

練馬だいこんず

われら音遊人

われら音遊人:好きな音楽を通じて人のためになることをしたい

6980views

パイドパイパー・ダイアリー Vol.3

パイドパイパー・ダイアリー

人生の最大の謎について、わたしも教室で考えた

6140views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

11975views

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:注目のピアノデュオ鍵盤男子の二人がチェロに挑戦!

9849views

上野学園大学 楽器展示室」- Web音遊人

楽器博物館探訪

伝統を引き継ぐだけでなく、今も進化し続ける古楽器の世界

14729views

音楽ライターの眼

連載35[ジャズ事始め]佐藤允彦に音楽の方向を決めさせた1966年の“現代音楽祭”

2460views

地代所悠/コントラバスヒーロー

オトノ仕事人

「コントラバスヒーロー」として音楽と三浦半島の魅力を伝える/音楽で活躍するご当地ヒーローの仕事

2853views

われら音遊人 リコーダー・アンサンブル

われら音遊人

われら音遊人:お茶を楽しむ主婦仲間が 音楽を愛するリコーダー仲間に

9342views

CLP-800シリーズ

楽器探訪 Anothertake

グランドピアノの演奏体験を全身で感じられる電子ピアノ── クラビノーバ「CLP-800シリーズ」

3701views

ホール自慢を聞きましょう

地域に愛される豊かな音楽体験の場として京葉エリアに誕生した室内楽ホール/浦安音楽ホール

13669views

山口正介さん

パイドパイパー・ダイアリー

「自転車を漕ぐように」。これが長時間の演奏に耐える秘訣らしい

7015views

購入前に知っておきたい!電子ピアノを選ぶときのポイントとおすすめ

楽器のあれこれQ&A

購入前に知っておきたい!電子ピアノを選ぶときのポイントとおすすめ機種

29280views

東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

こどもと楽しむMusicナビ

子ども向けだからといって音楽に妥協は一切しません!/東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

12587views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

11975views