Web音遊人(みゅーじん)

ヒプノシス レコードジャケットの美学

伝説のロック・デザイナー・チームを描いた映画『ヒプノシス レコードジャケットの美学』が公開

1960年代から1970年代の洋楽ロックを愛聴するリスナーのレコード棚には、ヒプノシスがジャケット・アートワークを手がけた作品がきっと何枚もあるだろう。ストーム・トーガスンとオーブリー・パウエル(通称ポー)の2人によるグラフィック・デザインは数々の名盤の“顔”となってきた。ピンク・フロイド『狂気』(1973)、レッド・ツェッペリン『聖なる館』(1973)、ウィングス『ヴィーナス・アンド・マース』(1975)などはロックの歴史に冠たるクラシック・アルバムだが、一度見たら忘れ得ないジャケットもそんな評価に貢献している。

ピンク・フロイド『狂気』© Pink Floyd

ピンク・フロイド『狂気』© Pink Floyd

レッド・ツェッペリン『聖なる館』© Mythgem Ltd

レッド・ツェッペリン『聖なる館』© Mythgem Ltd

そして、ヒプノシスの軌跡を辿った映画が『ヒプノシス レコードジャケットの美学』だ。この作品は彼らが手がけたレコードや作業時の写真と動画、ストームとポーからスタッフの面々、ミュージシャン達の証言などを交えながら、そのキャリアと影響を深く掘り下げていく。
本作の監督はアントン・コービン。デペッシュ・モードやU2を筆頭に数多くのミュージシャンを撮影してきたことで知られるロック・フォトグラファーであり、ジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスの生と死を描いた劇映画『コントロール』(2007)の監督もしている。決して我を出し過ぎることなく、事実を追っていく作りだが、1960年代の白黒写真の数々は“コービン的”だったりもする。

豪華アーティスト達の証言

『ヒプノシス レコードジャケットの美学』を見た人が圧倒されるのは、ヒプノシスと関わってきたミュージシャン達の証言だろう。元々このチームが結成されたのは1968年、彼らが住んでいた英国ケンブリッジの友人だったピンク・フロイドのアルバム『神秘』のジャケットをデザインしたときだったが、そのときの思い出話をピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズとデヴィッド・ギルモアがしている。この2人はもはや修復不能といわれる犬猿の仲ながら、同じ映画に出演、しかも同じシーンに並んで登場する(もちろん別撮りしたショットを並べたものだが)というのは奇跡とすらいえる。
さらにポール・マッカートニー、ジミー・ペイジ、ロバート・プラント、ピーター・ゲイブリエル、ニック・メイスンらトップ・アーティスト達が語っている。
もちろんそんなアーティスト達の人気に依存するのでなく、ヒプノシスを代表するアルバム・アートの数々が紹介される。彼らにとって“転換点”になったというザ・ナイスの『エレジー』(1971)もそうだし、ウィッシュボーン・アッシュの『百眼の巨人アーガス』(1972)、10ccの『オリジナル・サウンドトラック』(1975)、ピーター・ゲイブリエルの『II』(1978)などのジャケット・コンセプトやエピソードも知ることができる。ピンク・フロイドの『原子心母』(1970)『狂気』(1972)『炎(あなたがここにいてほしい)』(1975)『アニマルズ』(1977)などに関する描写も興味深い。それらのアルバムの音楽もふんだんに使われており、音楽面でも豪華極まりない作品だといえる。

ザ・ナイス『エレジー』©Hipgnosis Ltd

ザ・ナイス『エレジー』©Hipgnosis Ltd

ストームとポーに加えて“第3のメンバー”として途中加入したピーター・クリストファースン(後にスロッビング・グリッスルを結成)やフォトグラファーとして関わっていたジル・ファーマノフスキーらにもスポットライトが当てられ、全101分の映画に情報が詰め込まれている。
面白いのは、直接関係のないノエル・ギャラガーが出演、ヒプノシス愛を語っていること。確かにオアシスの一連のアルバムの“意味がありそうで、なさそう”なアートワークはヒプノシスのイズムを感じさせる気もする。
(余談だが『アニマルズ』のバタシー発電所と『モーニング・グローリー』(1995)のベリック・ストリートはどちらも世界中のファンが訪れるロンドンのロック名所だ)
ちなみにジル・ファーマノフスキーは元々ピンク・フロイドの大ファンで「いつか彼らのライヴを撮る!」とロンドン“レインボー・シアター”のフォトグラファーとして働くようになった彼女だが、その1週間後に彼らのライヴが行われ、夢が叶ってしまった。筆者(山﨑)とのインタビューで、「もし彼らを撮る機会がなかったら、何年も同じところで足踏みしていた。でも最初の1週間でそれがクリアされたことで、次のステップに進むことができた」と述懐している。
後にフリーのロック・フォトグラファーとして成功を収めた彼女はオアシスのツアーに同行するなどしているが、本作にノエル・ギャラガーが出演したのはそんな繋がりがあったのかも知れない。

ヒプノシス解体と現在

アーティスト肌のストームとより実践的なポーの異なった個性がケミストリーを生み出し、ヒプノシスは1970年代に全盛期を迎える。ただ、そんな強すぎるキャラクターがトラブルの種になることもあった。本作でもストームの人柄は「頑固で無礼」と描写されているが、そのせいで『アニマルズ』のころにロジャー・ウォーターズと袂を分かつことになる。
また、ヒプノシスは理不尽なまでの経費を要することがあった。『狂気』に封入するポストカードのためにエジプトのギザまでピラミッドを撮影に行ったり、『百眼の巨人アーガス』のジャケット撮影で南仏に滞在、「UFOを写真に撮るまで待機する」と主張したりするなど、巨額の費用がかかった。
(ウィッシュボーン・アッシュのアンディ・パウエルは「確かに費用はかかったけど、彼らはそれに見合った最高のジャケットを提供してくれた」と筆者とのインタビューで話していた)
ヒプノシスは1980年代に入ってミュージック・ビデオ制作にも乗り出すが、それから間もなくストームとポーは別々の道を歩むことになる。その理由としてストームの金銭感覚のなさが挙げられているが、2人はその後も活動を続けた。ストームは新生ピンク・フロイド、サンダー、キャサリン・ホィール、ジ・オールマイティ、オーディオスレイヴ、マーズ・ヴォルタ、クランベリーズなどのジャケット・アートを手がけ、ドキュメンタリー映画『Taken By Storm』(2011)も作られたが2013年、69歳で亡くなっている。
ポーはポール・マッカートニーのツアーのプロダクションやさまざまなアーティストの音楽映像作品などを手がけてきたが、近年ではピンク・フロイドの『永遠 The Endless River』(2014)やデヴィッド・ギルモアのソロ・アルバムのアート・ディレクションを務めている。
ヒプノシスが1980年前半に活動を止めてから、時代は変わった。ジャケットは30cm四方のLPサイズから12cm四方のCDサイズ、そしてストリーミング時代の到来によって、単なるPCのサムネイルになってしまった。『ヒプノシス レコードジャケットの美学』ははるか昔、ジャケットが新鮮なショックと感動を伴っていた時代のドキュメントである。

■映画『ヒプノシス レコードジャケットの美学』

映画『ヒプノシス レコードジャケットの美学』
2025年2月7日(金)から全国順次公開
詳細はこちら

山崎智之〔やまざき・ともゆき〕
1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,300以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検第1級、TOEIC 945点取得
ブログインタビューリスト

特集

藤原さくら

今月の音遊人

今月の音遊人:藤原さくらさん「音楽をやっていてよかったと思うのは、自分の曲が知らぬ間に誰かのものになっていること」

1488views

マーク・ノップラー

音楽ライターの眼

マーク・ノップラーが新作『One Deep River』を発表。ギターにテレビにチャリティに大忙しの74歳

2948views

楽器探訪 Anothertake

【モニター募集】37鍵ピアニカに30年ぶりの新モデルが登場!メロウな音色×おしゃれなデザインの「大人のピアニカ」

28316views

バイオリンを始める時に知っておきたいこと

楽器のあれこれQ&A

バイオリンを始める時に知っておきたいこと

10204views

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:注目の若手サクソフォン奏者 住谷美帆がバイオリンに挑戦!

10865views

オトノ仕事人

芸術をとおして社会にイノベーションを起こす/インクルーシブアーツ研究の仕事

7976views

サントリーホール(Web音遊人)

ホール自慢を聞きましょう

クラシック音楽の殿堂として憧れのホールであり続ける/サントリーホール 大ホール

26877views

こどもと楽しむMusicナビ

“アートなイキモノ”に触れるオーケストラ・コンサート&ワークショップ/子どもたちと芸術家の出あう街

8116views

ギター文化館

楽器博物館探訪

19世紀スペインの至宝級ギターを所蔵する「ギター文化館」

17051views

if~

われら音遊人

われら音遊人:まだまだ現在進行形!多くの人に曲を届けたい

2316views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

贅沢な、サクソフォン初期設定講習会

6283views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

35431views

世界各地で活躍するギタリスト朴葵姫がフルートのレッスンを体験!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】世界各地で活躍するギタリスト朴葵姫がフルートのレッスンを体験!

9185views

小泉文夫記念資料室

楽器博物館探訪

世界の民族楽器を触って鳴らせる「小泉文夫記念資料室」

26821views

音楽ライターの眼

【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#73 型破りのジャズ・フルートを確立させた繊細でモダンなピアノ・マジック~ビル・エヴァンス・ウィズ・ジェレミー・スタイグ『ホワッツ・ニュー』編

359views

弦楽器の調整や修理をする職人インタビュー(前編)

オトノ仕事人

弦楽器の“健康診断”から“治療”、健康アドバイスまで/弦楽器の調整や修理をする職人(前編)

16021views

われら音遊人:年齢も職業も超えた仲間が集う 結成30年のビッグバンド

われら音遊人

われら音遊人:年齢も職業も超えた仲間が集う、結成30年のビッグバンド

11730views

音楽を楽しむ気持ちに届ける「ELC-02」のデザインと機能

楽器探訪 Anothertake

【動画】「楽しさ」をまるごと運ぼう!「ELC-02」の分解、組み立て手順

21400views

福岡市民ホール

ホール自慢を聞きましょう

歴史をつなぎ、新しい感動をつくる。音楽・芸術文化の新たな拠点/福岡市民ホール

848views

サクソフォン、そろそろ「テイク・ファイブ」に挑戦しようか、なんて思ってはいるのですが

パイドパイパー・ダイアリー

サクソフォンをはじめて10年、目標の「テイク・ファイブ」は近いか、遠いのか……。

9604views

ヤマハ製アコースティックギター

楽器のあれこれQ&A

目的別に選ぶ、ヤマハ製アコースティックギター

24081views

Kitaraあ・ら・かると

こどもと楽しむMusicナビ

子どもも大人も楽しめるコンサート&イベントが盛りだくさん。ピクニック気分で出かけよう!/Kitaraあ・ら・かると

7515views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

28549views