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今月の音遊人:小沼ようすけさん「本気で挑まなければ音楽の快感と至福は得られない」
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連載40[ジャズ事始め]佐藤允彦が“ランドゥーガ”で試みた“民謡”という手つかずの方法論
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2021.7.20
夏と言えば野外フェス、野外フェスと言えばジャズ──だった時代があった。
1977年から1992年までの主に7月末、“ライブ・アンダー・ザ・スカイ”という大規模な野外フェスがほぼ毎年(1982年のみ中止)、開催されていたからだ。
ボクも発表されるプログラムと出演者を穴が開くほど見比べながら、どの日のチケットを購入するか悩んだものだった。
そのひとつに、1990年の“ランドゥーガ”のステージがあった。
“ランドゥーガ”は、“ライブ・アンダー・ザ・スカイ”出演のオファーを受けた佐藤允彦の呼びかけで結成されたワンタイム・パフォーマンス・バンドだった(実際には2日にわたって2ステージが実施された)。
この2ステージはそのままレコーディングされ、2ヵ月後にはリリースされることが決まっていた。このことは、ジャズフェスにありがちな不確定要素の多いジャムセッションを想定した企画ではなかったことを意味する。
つまり、そのステージをエポックにすることが、佐藤允彦のみならず、出演者たち全員に課せられていたということだ。
出演者は以下のとおり。佐藤允彦(キーボード)、アレックス・アクーニャ(ドラムス)、レイ・アンダーソン(トロンボーン)、ナナ・バスコンセロス(パーカッション)、土方隆行(ギター)、峰厚介(サックス)、岡沢章(ベース)、高田みどり(パーカッション)、梅津和時(サックス)、スペシャルゲスト:ウェイン・ショーター(サックス)。
佐藤允彦は、「(出演オファーに対して)いわゆる普通のジャズをやってもしょうがない。とりあえず野外だし、きめ細かな音楽をやるより、強い音楽をやろうと思った」(アルバム『ランドゥーガ〜セレクト・ライブ・アンダー・ザ・スカイ ’90』添付ブックレットの解説文から引用)と語っている。
その“強い音楽”とは、「民謡をやりたい」という想いとリンクしたものだった。
「ジャズは発生以来さまざまな他分野の音楽から影響を受けたり、表現法をとりいれたりして進化してきた。その範囲は、西ヨーロッパの古典音楽から近代現代音楽、ラテン・アメリカ諸国、ブラジル、インド、アラブ諸国の民族音楽まで、全世界にわたっているのだが、不思議なことに日本(日本の伝統音楽)を発信地とするものがジャズを変革したということをかつて聞いたことがない」(引用:同前)
佐藤允彦はまず、「民族的出自の異なるミュージシャン達が演奏すれば、そこに新たなエネルギー源が生まれるのではないだろうか」(引用:同前)と考え、先述のメンバーを選んでステージに臨むことにした。
そして彼らに渡した譜面は、ジャズにとってほぼ手つかずだった“日本の伝統音楽=民謡”をモチーフにした楽曲だった。
次回は、アルバム『ランドゥーガ〜セレクト・ライブ・アンダー・ザ・スカイ ’90』に収録された7曲について、掘り下げてみたい。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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