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今月の音遊人:ケイコ・リーさん「意識的に止めなければ、自然に耳に入ってくるすべての音楽が楽譜として浮かんでくるんです」
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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase56)スメタナは「モルダウ」だけではない、連作交響詩「我が祖国」、国民楽派の真髄は「ターボル」「ブラニーク」
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2025.9.26
tagged: クラシック名曲 ポップにシン・発見, スメタナ, 音楽ライターの眼
チェコ国民楽派の開祖ベドルジハ・スメタナ(1824~84年)といえば、交響詩「モルダウ(ヴルタヴァ)」が人気だ。6つの連作交響詩「我が祖国」の第2曲に当たる。だが国民楽派の真髄は全6曲を通じてこそ聴ける。特に第5曲「ターボル」と第6曲「ブラニーク」は必聴。2曲ともフス派の讃美歌が高らかと鳴り、ターボルを拠点にしたフス派の戦い、国家存亡の危機に際し、ブラニーク山に眠る聖ヴァーツラフの戦士たちが復活する伝説を描く。
「我が祖国」は、ボヘミア国王の居城だったヴルタヴァ河畔のヴィシェフラド城を描く第1曲「高い城」から始まる。第2曲が哀愁の美旋律を持つクラシック音楽屈指の人気曲「モルダウ」。第3曲「シャールカ」はチェコの伝説「乙女戦争」に登場する女性戦士を題材にした劇的交響詩。第4曲「ボヘミアの森と草原から」は鬱蒼とした森や農民の舞踊などチェコの田園風景を描く。そしてフス戦争や聖ヴァーツラフの伝説による「ターボル」「ブラニーク」に至り、第1曲「高い城」の主題が回帰して輝かしく全6曲を閉じる。
その名の通り「我が祖国」は、チェコ民族が国家を形成する上で共有する歴史、自然、伝説、領土、伝統文化、神話などを題材にしている。ところが、スメタナが生きた19世紀にチェコという国はなかった。現代のチェコ共和国の前身となったボヘミア王国は1526年、ハプスブルク家の支配下に入った。以後、1918年にチェコスロバキア共和国として独立するまで、ボヘミアはオーストリア・ハプスブルク帝国の領邦にすぎなかった。
ボヘミア王国とは名ばかりで、主権国家ではなかったのに、「国民楽派」とはどうしたことか。スメタナがチェコ民族主義に目覚めるきっかけの一つが1848年革命だった。ハプスブルク家の専制支配からの脱却を目指し、民族的な楽曲を作曲。市民兵の一人としてプラハ市のカレル橋のバリケード蜂起にも参加した。革命運動に加わったにもかかわらず、スメタナはその後、プラハ城の常任宮廷ピアニストに就任。しかし家族の不幸と宮廷職への幻滅からスウェーデンに移住して音楽活動を続けた。プラハに戻ってからは「ボヘミアのブランデンブルク人」「売られた花嫁」といったチェコ語による民族主義的オペラを発表した。
スメタナが創始したチェコ国民楽派の拠り所は、14世紀のカレル1世によるボヘミア王国の黄金時代、それに1415年、チェコの宗教改革の先駆者ヤン・フスの火刑にまで遡る。フスはルターよりも1世紀前にカトリック教会の腐敗を批判し、コンスタンツ公会議で異端とされ焚刑に処せられた。フスはラテン語中心のカトリック教会において聖書をチェコ語に翻訳し、庶民への説教に取り組んだ。そうしたフスの殉教がチェコ語を話すボヘミアの人々の民族精神を呼び覚ました。スメタナが交響詩「ターボル」でフス派の讃美歌「汝ら神の戦士」の主題をもって英雄的に描くフス戦争(1419~34年)の始まりである。
フスが生まれたボヘミア王国は当時、神聖ローマ帝国を構成する領邦国家の一つであり、教会と社会が一体化した秩序の中で、フス自身もチェコ民族としての自覚は強くなかったはずだ。しかしフス戦争という共通の苦難の歴史を通じて人々の民族意識は高まっていく。その後のハプスブルク家支配下でもチェコ人の「祖国」への思いは生き続け、スメタナの国民楽派の音楽へと結実する。「我が祖国」は「高い城」でかつての栄光に思いを馳せ、「ターボル」で民族の歴史を示し、「ブラニーク」で伝説を呼び起こして近代国家の建国を夢見る。
スメタナが夢見た「我が祖国」は20世紀に本当に実現する。佐藤優著「宗教改革の物語 近代、民族、国家の起源」(角川ソフィア文庫)は、1918年のチェコスロバキア建国の理念がフス派の宗教改革に基づくことを指摘。この国が「復古維新のイメージ」によって創られたと説明している。同書によると、チェコスロバキア建国の父で初代大統領のトマーシュ・マサリクは「フス宗教改革に自由と民主主義を発見した」という(現在のチェコは無宗教者が多数を占め、次いでカトリック信者が多いといわれる)。スメタナの「我が祖国」を聴くうえでも示唆に富む指摘である。
スメタナが「我が祖国」を成す6つの交響詩を作曲したのは1874~79年。50~55歳の頃であり、60歳で亡くなったことを考えると人生の終盤に近い。交響詩への傾倒は、私淑したフランツ・リストからの影響による。リストは交響詩の創始者であり、「前奏曲」「マゼッパ」「フン族の戦い」「ハンガリー」など13曲の交響詩を通じて管弦楽による物語や歴史絵巻の音楽表現に成功していた。リストはドイツ系だが、ハンガリーを祖国と意識し、民族色のある交響詩も作曲した。チェコ人のスメタナはリストの交響詩の路線を強化し、国民楽派にまで発展させたといえる。
「我が祖国」の作曲を通じて晩年のスメタナ自身が伝説となっていく。それは楽聖ベートーヴェンと同様、音楽家にとって致命的な聴覚障害に見舞われるという悲劇の物語から来ている。「高い城」「モルダウ」を作曲した頃はまだ少しは聴こえていただろう。「ターボル」「ブラニーク」の作曲時にはほぼ失聴していた。自ら記した音符を聴けない作曲家の作品であることを考えると、同音反復が多用される「ターボル」「ブラニーク」は勇壮でヒロイックだが、痛ましくもある。この2曲が連続して演奏されることをスメタナは望んだ。病魔が襲う中で、戦闘と勝利の2曲に懸けたスメタナの情熱は涙ぐましい。
音楽的な聴き方ではないかもしれないが、あえて言おう。「我が祖国」を聴くと、スメタナの純粋で気高い郷土愛、祖国愛に心を揺さぶられ、感動してしまうのだ。それがチェコ人でなくても、世界中の人々が共感する人気の連作交響詩である理由だと思う。故郷(ふるさと)を持たない人はいない。「我が祖国」は家路をたどるすべての人々に郷愁とロマンを呼び起こす。普遍性を持つ芸術音楽、人類共通の音楽遺産である。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ライター。日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー兼日経広告研究所研究員。早稲田大学商学部卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。日経文化事業情報サイト「art NIKKEI」にて「聴きたくなる音楽いい話」を連載中。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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