Web音遊人(みゅーじん)

ジョン・コルトレーン編 vol.6|なぜジャズには“踏み絵”が必要だったのか?

ジョン・コルトレーン編 vol.6|なぜジャズには“踏み絵”が必要だったのか?

それでは、ジョン・コルトレーンの『ジャイアント・ステップス』のどんなところが“踏み絵”たりうるのかを考えていきたい。

まず最初に押さえておかなければならないことがある。1950年代のアメリカ合衆国においては、アフリカ系アメリカ人を中心とするジャズの担い手たちには(担い手としての)特権が与えられていたのだが、その地位をさらに高めようとした彼らのあいだで、自分たちの音楽がアートとしても認められるような方法論を模索する動きが強まっていたことだ。

1930年代に始まったブラック・ムスリム・ムーヴメントと呼ばれる社会運動は、1950年代に入ると公民権運動に連動して勢力を拡大。ジャズ・ミュージシャンのなかにもイスラム教への改宗や改名をする者が出るなど、その影響は決して小さくなかった。

コルトレーンも例外ではなく、おそらく“アフリカ系アメリカ人としてどう主張すべきか”といった人生の指針に関するサジェスチョンを、こうした宗教(=思想や哲学)から得ようとしていたに違いない。

しかし、彼がこうした宗教(=思想や哲学)に興味をもったのは、必ずしもその教義への信仰からではなく、薬物やアルコールに依存した自分の精神的な問題を解決したいという面が強かったのではないだろうか(事実、彼は改宗・改名をしていない)。というのも、彼の心には“自分の音楽の創造”という、その死に様を考えれば“命を犠牲にしてまでも果たしたかった”と言えるほどの大きな目的があったのだから--。

一方で宗教(=思想や哲学)からインスパイアされたアイデアを活かしながら、自己実現としての音楽的独自性の実現と、その業績がアフリカ系アメリカ人の地位向上にも寄与することを意識しつつ、活動を進めていったに違いない。そうしたモチヴェーションがあればこそ、1960年代に凝縮感を増していったジャズをアートとして認めさせるという結果を残すことができたのだ。

とはいえ、ジャズが“モダン”になりえたのは、社会事象に敏感に連動したからだけでないことは言うまでもない。アートとしての絶対的な根拠を築くことができなければ叶わないはずである。そして、コルトレーンが“踏み絵”たりうるのも、それを彼が示しえたからなのだ。

では、コルトレーンが示しえた“アートとしての絶対的な根拠”とはなにか--。これをひもとく前に、社会事象とは別の、もうひとつの重要な前提を確認しておかなければならない。それは、ポピュラー音楽を構成する3大要素、メロディ、リズム、ハーモニーについての当時の認識だ。

20世紀になって急速にフォーマットやアプローチを確立していったジャズにとって、コルトレーンが独り立ちしようとしていた1950年代後半はすでに半世紀の“熟成”を経ていて、その構成要素のバランスは“完璧”と呼ぶにふさわしい域に達していた。しかし、ジャズが“旧弊”を打ち破る宿命を背負っている以上、それをそのまま受け継ぐわけにはいかない。

当時のジャズの最前線で活動していたミュージシャンたちは、完璧である音楽を完璧に演奏できる技量を磨きながら、新たに“完璧ではない音楽”を探さなければならないというジレンマを抱えていたと言える。

そうしたなかで、自分たちが熟知しているはずの音楽の基本要素を再考する気運が高まっていったのは、自然なことだったのかもしれない。

次回は、コルトレーンが『ジャイアント・ステップス』のなかでどんな“再考”をしようとしていたのかを考えてみたい。

<続>

ジョン・コルトレーン編vol.5|なぜジャズには“踏み絵”が必要だったのか?
ジョン・コルトレーン編vol.1~vol.4|なぜジャズには“踏み絵”が必要だったのか?

富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
富澤えいちのジャズブログ富澤えいちのジャズ・ブログ道場Facebook

 

特集

辻󠄀井伸行

今月の音遊人

今月の音遊人:辻󠄀井伸行さん「ピアノは身体の一部、大切な友だちのようなものです」

2679views

音楽ライターの眼

ベートーヴェンの苦闘からシューマンの夢幻へ。仲道郁代 スペシャル・コンサート~フォルクハルト・シュトイデ(バイオリン)を迎えて~

3585views

楽器探訪 Anothertake

目指したのは大編成のなかで際立つ音と響き「チャイム YCHシリーズ」

10004views

ヤマハ製アコースティックギター

楽器のあれこれQ&A

目的別に選ぶ、ヤマハ製アコースティックギター

5834views

おとなの楽器練習記

【動画公開中】注目の若手ピアニスト小林愛実がチェロのレッスンに挑戦!

9404views

仁宮裕さん

オトノ仕事人

アーティストの音楽観を映像で表現するミュージックビデオを作る/映像作家の仕事

13674views

ザ・シンフォニーホール

ホール自慢を聞きましょう

歴史と伝統、風格を受け継ぐクラシック音楽専用ホール/ザ・シンフォニーホール

23070views

こどもと楽しむMusicナビ

“アートなイキモノ”に触れるオーケストラ・コンサート&ワークショップ/子どもたちと芸術家の出あう街

6686views

武蔵野音楽大学楽器博物館

楽器博物館探訪

世界に一台しかない貴重なピアノを所蔵「武蔵野音楽大学楽器博物館」

22010views

われら音遊人

われら音遊人:みんなの灯をひとつに集め、大きく照らす

5375views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

もしもあのとき、バイオリンを習っていたら

5475views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

9661views

バイオリニスト石田泰尚が アルトサクソフォンに挑戦!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】バイオリニスト石田泰尚がアルトサクソフォンに挑戦!

12087views

武蔵野音楽大学楽器博物館

楽器博物館探訪

専門家の解説と楽器の音色が楽しめるガイドツアー

8217views

音楽ライターの眼

バッハからショパンへ、大人のロマンティシズム/牛田智大 ピアノ・リサイタル

15218views

オトノ仕事人

テレビ番組の映像にBGMや効果音をつけて演出をする音の専門家/音響効果の仕事

1752views

われら音遊人:クラノワ・カルーク・ オーケストラ

われら音遊人

われら音遊人:同一楽器でハーモニーを奏でる クラリネット合奏団

7985views

楽器探訪 Anothertake

奏者の思いどおりに音色が変化する、豊かな表現力を持ったグランドピアノ「C3X espressivo(エスプレッシーヴォ)」

8638views

ザ・シンフォニーホール

ホール自慢を聞きましょう

歴史と伝統、風格を受け継ぐクラシック音楽専用ホール/ザ・シンフォニーホール

23070views

山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

クラス分けもまた楽しみ、レッスン通いスタート

4648views

楽器のあれこれQ&A

いつも清潔にしておきたい!ピアニカのお手入れ、お掃除方法

278223views

東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

こどもと楽しむMusicナビ

子ども向けだからといって音楽に妥協は一切しません!/東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

10482views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

9661views