あれから40年、おかげさまで「音」をはずさなくなりました

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パイドパイパー・ダイアリー Web音遊人
パイドパイパー・ダイアリー
あれから40年、おかげさまで「音」をはずさなくなりました

人類が言語を使用するようになる前からあったものが、音というか音楽だろう。

密林をつんざく叫び声は、危険を知らせるものだったのか、肉食動物を撃退するものだったのか。とにかく辺りは言語以前の音に満ちていただろう、と僕などが書くまでもないことだが……。

それはやがて整理されて音楽に育っていく。フルオーケストラの大音量をも凌駕するオペラ歌手の独唱。蜜蜂の羽音よりも繊細な恋の唄などなど。
音楽は身近なものであり、日常的にどこでも聴くことができる。にもかかわらず、音楽というものほど捉えどころがないものはない。音楽はそこに歴然とあるかと思えば、時間経過と共に、そこはかとなく、その姿を消してしまう。いつもこの問題で頭を抱えている。

40数年前、演劇に携わっていたころ、私はスタッフだったのだが、人数が足りないので、コーラスに駆り出されたことがある。いまや高名な演出家となった串田和美さんの作詩で、キャストと演奏に「教授」と呼ばれていた坂本龍一さんが参加していた。劇の合間に数人がワンフレーズずつ歌う曲だったが、その中にあって、僕はどうしても音がとれなかった。情けないが、いわゆる音がはずれる、というやつだ。

どなたかが見かねて、前の音の全音低い音を出すだけなんだけどなあ、とおっしゃる。出来ないことのほうが不思議という様子だった。音楽には音の高さと長さしかないんだけどなあ、ということか。
しかし、それが実感を伴って、自分のものとして感じられないのだ。その長さと高さは、どこにあるのか。考えてみれば、子供のころから、きちんとした音楽教育を受けてこなかった。小学校だって中高だって音楽の授業はあったのに、何も身についていなかった。

アルトサクソフォンのレッスンを受けるようになってから10余年が経とうとしている。
このごろ、ようやく音楽というか、音の高さや長さというものを実感できるようになってきた。音の高さを合わせたり、長さでいえば休符を意識したりできるようになってきたようだ。
かつては鼻唄を歌っていても音がとれなかったりしたものだが、最近は自分でも音の高低や長さを意識しながら歌えるようになってきた。これもレッスンの賜物だろう。

パイドパイパー・ダイアリー Web音遊人いま愛用しているアルトサクソフォンは、アンラッカー仕上げの特注モデル。アンラッカーなので、時間がたつと表面が少しずつ変色し、なんともいえない渋さを漂わせてきます。
先日、この愛用モデルをオーバーホールに出すことにしました。リペア担当の方の見立てでは、なかなかいい感じで経年しているらしいです。数年前に購入したのですが、使用後の手いれを欠かしたことがありません。しかも、けっこう念いりです。いい感じになりつつあるとしたら、自分でいうのもナンですが、そのおかげでしょうか。わが分身ともいえる所有物が褒められるなんて、滅多にないことなので、ちょっと自慢させていただきました。

■山口正介〔やまぐち・しょうすけ〕

作家。映画評論家。1950年生まれ。桐朋学園芸術科演劇コース卒業。劇団の舞台演出を経て、小説、エッセイなどの文筆の分野へ。主な著書に『正太郎の粋 瞳の洒脱』『ぼくの父はこうして死んだ』『江分利満家の崩壊』など。2006年からヤマハ大人の音楽レッスンに通いはじめ、アルトサクソフォンのレッスンに励んでいる。

 

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文/ 山口正介
photo/ 長坂芳樹