今月の音遊人
今月の音遊人:村松崇継さん「音・音楽は親友、そしてピアノは人生をともに歩む相棒なのかもしれません」
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今回は、2017年7月15日に東京・小金井の宮地楽器ホールで行なわれた塩谷哲と小沼ようすけのコンサートのもようを振り返りながら、デュオについて考えてみたい。
塩谷哲は、東京藝術大学在学中からオルケスタ・デ・ラ・ルスのメンバーとして世界から注目を浴び、ソロ活動を始めた1990年代以降は、コンテンポラリー・ジャズのみならず、Jポップの世界でも引っ張りだこの人気を誇る、日本のトップ・ピアニストのひとりだ。ちなみに、1966年生まれである。
1974年生まれの小沼ようすけは、1999年のジャズ・ギター・コンテストでの優勝で注目を浴び、2001年にメジャーデビュー。ジャズ・ギターの伝統をしっかりと受け継ぎながらも、常に同時代性を失わないサウンドメイクによって、時代をリードする作品を生み続けている逸材。
その2人がデュオによる活動を開始したのは3年ほど前。“即興以上作品未満”というレヴェルでのパフォーマンスを繰り広げてくれるというのが、このコンサートの“見どころ”と感じて出掛けていった。
“即興以上”というのは、デュオにありがちな“一期一会”的な方法論で終わらせないという意味だ。
もちろん、“一期一会”の緊張感はジャズの醍醐味のひとつであり、否定するものではない。
しかし、出たとこ勝負の“結果オーライ”なスタンスは、完成度が犠牲になるリスクも高めてしまう。
その点この2人は、1980年代以降のコンテンポラリー・ジャズという、ある意味で構築美と非マンネリズム(あるいは使い古しではない即興性)のバランスをどのようにとるかに焦点が当てられた時代に、アイデアとセンスを突出させて名を残してきた演奏家たちだ。
つまり、“結果オーライ”を最初から考えようとしていないということになる。
ところがそれは、「ノープランで共演しても常に新たなインプロヴァイズが可能である」か「高い構築性を維持したパフォーマンスを提供できる」かでなければモチヴェーションが続かないという、二次的な、しかし継続性に大きな影響をもたらす問題を引き起こしてしまう。
前者を極めようとすれば“慢性疲労症候群”、後者を極めようとすれば“燃え尽き症候群”に襲われるというリスクを避けられない、という類いの問題だ。
しかし彼らは、「その2つのバランスをとる」という“抜け道”を見つけてしまったようだった。
というのも、彼らの演奏はどの部分でも“主従”の関係に陥らず、相づちで誤魔化すことなく、語り合うことで成り立たせていることを、そのパフォーマンスから感じることができたからだ。
言葉にするとすれば、“デュアル・ストーリーを具現する異次元のデュオ”ということになるだろうか。
演奏の合間に塩谷が、「ピアノとギターはどちらもコードを発することができるから、デュオでもそれなりの演奏が成り立ってしまうけれど、楽器構造の違いで厳密にはピッチも倍音も違うので、実は一緒に演奏するのって難しいんです」と語っていたのが印象的だった。
“それなり”に甘んじることなく、わずかな“違和感”に対してもこだわり抜くからこそ、次元を超えるデュオ・サウンドを生み出すことができたに違いない。
<続>
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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文/ 富澤えいち
tagged: ジャズ, デュオ, ジャズとデュオの新たな関係性を考える
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