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今月の音遊人:秋川雅史さん「今は声を磨くことが楽しい。まだまだ成長途中で、人生を上っている段階です」
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録音史上トップ・ピアニスト50名の一人が描いた繊細かつ絢爛豪華な音楽絵巻/ベンジャミン・グローヴナー ピアノ・リサイタル
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2025.9.18
tagged: ヤマハホール, ベンジャミン・グローヴナー, 音楽ライターの眼
弱冠10歳でピアノとチェロの両方を弾きこなして初リサイタルを開催。その後もBBCプロムスで史上最年少ソリストを務めたり、2011年にはこちらも史上最年少、しかもイギリス人ピアニストとしては60年ぶりに名門デッカと録音契約を結んだりしたベンジャミン・グローヴナー。
「グラモフォン」誌が選ぶ録音史上トップ・ピアニスト50名の一人にも選出され、「芸術的能力の頂点に達し、そこに留まろうとする天才」と賞される彼の注目公演が4月23日にヤマハホールで行われた。
「本日は静かな響きの公演なので物音にご注意ください」というアナウンスに続いて幕を開けた前半は、シューマンの『花の曲』と『幻想曲』を演奏。
19世紀前半の独墺圏で生まれたビーダーマイヤー(身近で日常的なものに目を向けようとする市民文化)の象徴と言われる静謐な情緒が特長の前者を、グローヴナーはやや大きめの大粒でゆったりと優美に彫琢。
続く3楽章構成の後者は、ドイツのボンに建立が計画されたベートーヴェン記念碑の寄付金を集めるために書かれたことから、その作風を随所に受け継ぎ、また当時は婚約者の父から猛反対を受けていたこともあってか、特に第1楽章は転調を繰り返して調性が不安定になる難曲だ。

この日の彼は、そうした複雑な音と心の揺らぎに寄り添い過ぎたのだろうか。次第に作曲者の魂が憑依したかのように運指の不安定さが増してゆき、第2楽章で演奏停止。楽譜なしで演奏をしていたため、どうやら暗譜が頭から飛んでしまったらしく、一度舞台裏に退いてから弾き直す珍しい一幕があった。その後はみごとに立て直し、第3楽章では時折即興的な要素が織り込まれていたのも興味深かった。
そして後半は、ロシア5人組の一人、ムソルグスキーが友人の建築家の死を悼み、その遺作展を訪れた際に観た10枚の絵と、それらを巡る散歩(プロムナード)の印象を音に託した大作『展覧会の絵』。
「曲ごとにストーリーを語り、感情を伝える。音楽とは常に、小さな瞬間とより大きな瞬間とのバランスです。細部のすばらしさと巨大なキャンバスのバランスをどう取るか。音色について言えば、異なる音の種類や質をピアノでどう最大限に表現できるか、常に探っています」とは、本公演に向けた抱負を朝日新聞紙上で語ったグローヴナーの言葉だが、当夜の演奏はまさにそれを余すところなく体現。

10枚の絵の前後に前奏曲や間奏曲として配置された5つのプロムナードには、大仰ではなく、実に緻密で知的な変化がつけられており、それぞれの絵の優雅さや、ユーモアや、おどろおどろしさが、自然な形で鮮やかさが浮かび上がる。細部まで完璧なバランス感覚で緻密に悠々と描かれた『展覧会の絵』は、本当に立派で、立派すぎて、言うことがなかった。2024年12月にも彼が来日公演で披露した同曲を聴いて、これも大変な名演だったが、この日はさらに集中力と精度が増していたと思う。
完売公演だった当夜の聴き手からの大喝采に応えたアンコールはなんと、J.S.バッハ(ジロティ編)の前奏曲(BWV855a)、プロコフィエフのソナタ 第7番『戦争ソナタ』より第3楽章、ラヴェル『水の戯れ』、シューマン(グローヴナー編)『夕べの歌』の4曲。演奏が終わるたびにスタンディングオベーションが巻き起こる秀演だったが、とりわけ『戦争ソナタ』は、次回の来日公演でぜひとも全楽章で聴きたくなる燃焼と洗練の極みに恍惚となった。

渡辺謙太郎〔わたなべ・けんたろう〕
音楽ジャーナリスト。慶應義塾大学卒業。音楽雑誌の編集を経て、2006年からフリー。『intoxicate』『シンフォニア』『ぴあ』などに執筆。また、世界最大級の音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」のクラシックソムリエ、書籍&CDのプロデュース、テレビ&ラジオ番組のアナリストなどとしても活動中。
文/ 渡辺謙太郎
photo/ Koki Nagahama
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