今月の音遊人
今月の音遊人:大石昌良さん「僕がアニソンと出会ったのは必然だったんだと思います」
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ジャズはもともと、演奏者がそのハードルを上げることによって確立したとも言える音楽ジャンルだ。
ということは、ジャズのハードルを下げるという行為は、ジャズがジャズであるアイデンティティを放棄するに等しいと言っても過言ではない。
――ということを“まとめ”の冒頭に書いてしまうと、7回分もの文字を費やして論じてきた努力が水泡に帰すどころか、「考えてから始めろよ!」との誹りを受けるのもやむなしな雰囲気になりかねない。
それは困る。
いや、いま少しお待ちいただきたい。
なぜこのような錯誤を招きかねない状況に陥るのかというところこそが、ジャズのハードル問題の解決に関係しているので、まずはそこから解いていこう。
ハードルを下げることがジャズのアイデンティティに触れる問題だと感じるのは、そもそも“下げる対象のジャズ”には違いがあるのに、それを混同して論じようとするからである。
ここでまた、ジャズの成立から大衆化までの歴史をおさらいすると回り道になってしまうので、省略する。
ものすごく端折って関係する部分のみ取り上げると、1920~30年代に大衆音楽としての役割を担った系譜と、そのアンチテーゼとして先鋭化した系譜が並立し、どちらも同じ名前を名乗っているという“ややこしい存在”が、ジャズなのだ。
後者のジャズは前者のハードルを“上げる”ことで生まれたわけだから、ハードル問題の当事者は後者のジャズであり、前者とは分けて論じなければならない。
それなのに、ニューオーリンズ・ジャズやスウィングは前者で、ビバップ以降は後者というような単純な線引きもできないことが、この問題の複雑化に拍車をかけることになっているのは否めない。
相反する要素を内包していることは、ジャズに“多様性”というきわめて有力な“武器”を与えた功績がある半面、前者と後者という乖離した存在が並立するややこしい状況も生んでしまったわけだ。
こうした状況が生まれた背景には、それまで音楽と大衆を結ぶ重要なアイテムであった舞台芸術(主にオペラやバレエ)のフォーマットが、クラシック音楽からジャズへと変わったことがある。20世紀になってからのブロードウェイのミュージカルと(前者の)ジャズの関係が代表的な例だろう。
前者のジャズがこうして確固たる地位を築くに従って、そのリバウンド的な事象も顕著になる。それがビバップを生んで、後者のジャズを育んでいくことになるわけだ。
ここで重要なのは、前者と後者という2つの異質なジャズは乖離したままにはならず、揺り戻しのようにお互いの足りない部分を模索して取り入れようとするタフさが備わっていたということ。
そう考えると、異質な要素を振れ幅マックスまで放置しながら、ちゃっかり内包して変容してきたジャズの“生い立ち”そのものが、ハードルを上げたり下げたりしていたのだという結論に行き着く。
つまり、ジャズのハードルを下げるということは、ジャズのアイデンティティを放棄することでもないし、大衆化に迎合することでもない。
次なるジャズの振れ幅を生み出すための“大いなる助走”ではないか、ということだ。
だからこそ、ハードルを意識させるようなアルバムやライヴがジャズから離れたものにはならず、さらに“ジャズとはなにか”といった刺激的なテーマをもたらしてくれたのだろう。
ジャズのハードル問題への興味は尽きないが、さらなる探求をお約束して、ここでとりあえず“打ち止め”とします。
<了>
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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