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今月の音遊人:五嶋みどりさん「私にとって音楽とは、常に真摯に向き合うものです」
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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase14)ブラームス後期ピアノ小品集、博学が精緻に設計したロマン=King Gnu「白日」
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2023.12.21
tagged: シューマン, クララ・シューマン, ブラームス, 音楽ライターの眼, クラシック名曲 ポップにシン・発見, King Gnu, 白日
ドイツの作曲家ヨハネス・ブラームス(1833~97年)の後期ピアノ小品集は名曲ぞろいだ。特に「6つのピアノ小品Op.118」は近年人気を高めている。ブラームスの成功は20歳、ロベルト・シューマンとクララ夫妻の自宅を訪ねた日から始まる。シューマンの紹介で彼は世に出たが、一方でクララへの思いが募る。そしてシューマンの死。学者然とした晩年のブラームスは、白日の下にさらせない罪の意識を真っ白な雪に包み隠しながら、憧憬と諦観が交錯する枯淡の小品を綴ったか。音楽の博学が精緻に設計した追想のロマンチシズムは、ロックバンドKing Gnu(キングヌー)の「白日」からも聴こえてくる。
1853年9月30日、ブラームスはデュッセルドルフのシューマン家を訪問した。夫のロベルトはロマン派音楽の旗手と目される作曲家で批評家。妻のクララは全欧州で名を知られるピアニスト。そこでブラームスは「ピアノソナタ第1番ハ長調Op.1」を自作自演し、夫妻を感動させた。3人の交際の始まりだ。
さっそくシューマンは「新しい道」と題してブラームスを紹介する評論を自身創刊の音楽誌「音楽新報」1853年10月28日号に掲載した。シューマンはブラームスの人生を切り拓いた恩人に違いない。
シューマンは「新しい道」でブラームス青年のビジュアルにも触れた。「召された人(ein Berufener)」を思わせる立派な容姿と指摘している。3人はどうなるか。シューマンはもともと精神的に不調だったが、翌1854年2月27日、ライン川で投身自殺未遂事件を起こす。シューマンが入院中、ブラームスはクララの演奏会に同行するなどして彼女を支えた。
2年後の1856年7月29日、46歳でシューマンは亡くなった。ブラームスはシューマン夫妻を敬愛し、献身的に尽くした。ブラームスが晩年まで罪の意識を抱き続けたとしても、後世の人々が疑ったとしても、それは冤罪かもしれない。ブラームスは生涯独身だった。
初期の大規模ソナタから後期の小品集への変遷
ところでブラームスのピアノ独奏曲は多くない。集中的に作曲した3つの時期が点在するにすぎない。第1期はシューマン家に出入りする前後の1852~54年、19~21歳の頃。ソナタ全3作品をこの時期に作曲したほか、クララに献呈した「シューマンの主題による変奏曲Op.9」、「4つのバラードOp.10」がある。
その後いくつかの変奏曲を断続的に書いたが、第2期の1878~79年(45~46歳)は「8つの小品Op.76」「2つのラプソディOp.79」の2作品が孤島のように浮かぶ。この時点で初期のソナタのような大規模な作風は影を潜め、小品中心となっている。
第3期の1892~93年(59~60歳)はすでに晩年。ブラームスはいよいよ1曲数分の小品しか書かない。「7つの幻想曲Op.116」「3つの間奏曲Op.117」「6つのピアノ小品Op.118」「4つのピアノ小品Op.119」。
ハンブルクの貧民街に生まれ育ったブラームスは、酒場でのピアノ演奏の仕事の傍ら、独学で音楽の教養を身に着けた。青年期、彼はベートーヴェンに匹敵する大規模なソナタでシューマン夫妻を驚かせ、古典音楽の教養を持つ独創的な才能を称賛された。しかし4つの交響曲を完成させた初老の博学は、シューマンが得意としたピアノ小品を書く。
「6つのピアノ小品Op.118」は孤独な心情が音数の少なめな短い曲ににじむ。気紛れなスケッチではない。民謡からバッハ、ベートーヴェン、シューマンに至るまでの博識に基づき、対位法や教会旋法も駆使し、精密な和声と構成のミクスチャー・スタイルで書かれている。
第1曲「間奏曲イ短調」は2分足らずの時間を広音域の分散和音が一筆書きのように駆け巡る。弱起から始まる冒頭はイ短調の下属調平行調(ヘ長調)を思わせる曲調だが、そのさらに属調(ハ長調)の属七和音(C7)が音価の長い倚和音としてすぐ登場する。これは自然短音階第2音を半音下げたフリギア旋法を使い、3音(ドシ♭ラ)の下行音型を基本動機にしているためであり、イ短調の調性感をはっきりさせない。明暗を判じえない曲調は、憧れと諦めが交錯する心境を麗しく描く。戻れない過去への哀惜の扉が開くのだ。
近年人気なのは第2曲「間奏曲イ長調」。基本動機は3音目が跳ねる音型(ド♯シレ)。ショパンの「前奏曲第7番イ長調」の冒頭(ド♯レシ)と似るが、ブラームスのほうがロマンチック。旋律はポップで甘美だ。第3曲「バラードト短調」は情熱がほとばしる。旋律短音階の上行形と下行形を使った3音ずつの音型(ミ♮ファ♯ソ、ファ♮ミ♭レ)が基本動機となり、哀愁を帯びつつも凛とした旋律だ。ロ長調の中間部は憧れに満ちて美しい。
最後の第6曲「間奏曲変ホ短調」は傑作。グレゴリオ聖歌の「怒りの日」に似た冒頭の主題は、短3度音程内の3つの音(ソ♭ファミ♭)だけでできている。裁かれるブラームスを待つのは天国か地獄か。そして最後の力を振り絞って生気をみなぎらせる変ト長調の中間部。この切なくも純情な音楽に出合うために同小品集を通しで聴くようなものだ。情熱的な曲調は変ロ短調の哀歌に変わり、再び現れる変ホ短調の「怒りの日」の混沌へと消えていく。
King Gnuの「白日」が聴こえる。常田大希作詞作曲。知らずに人を傷つけ、失って初めて罪を知るのだと井口理がファルセットで歌う。羨んでも昔には戻れないし、取り返しのつかない過ちは誰にもある──。ブラームスの晩年の心境に通じないか。
多様な音楽の影響を感じさせるKing Gnuのロックは「トーキョー・ニュー・ミクスチャー・スタイル」と呼ばれる。「白日」がブラームスを意識した曲だとは思わないが、東京芸術大学に学んだ常田と井口がブラームスを知らないはずもない。クラシックからジャズ、ロックに至るまでのKing Gnuの博学は、ブラームスと同様、内面のドラマを精緻に設計する。マイナーセブンスフラットファイブやパッシングディミニッシュのコードをはじめ倚和音、経過和音、偶成和音を駆使し、劇的かつ円滑、明暗判定しがたい曲を作る技巧は秀逸だ。
ブラームスの作品をクララとの関係で聴きたくなるのは人情だ。しかし彼は後期の小品集を作曲した当時、ピアノの弟子だったエリーザベト(フォン・ヘルツォーゲンベルク夫人)の病死に落胆していた。彼はシューマンの遺品である「交響曲第4番」の初稿譜を出版し、クララと絶交になっていたことでも心を痛めていた。
ブラームスは習作や気に入らない作品、参考資料、創作メモを廃棄した。証拠隠滅。作品を自身の物語や標題音楽にしない「絶対音楽」の作曲家の面目躍如。書簡が残っていても、真相は白日の下にさらされない。謎さえも精緻に設計する職人技。ブラームスの魅力は音楽自体と言うほかない。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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