今月の音遊人
今月の音遊人:横山剣さん「音楽には、癒やしよりも刺激や興奮を求めているのかも」
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その夜のピアノは、聴衆を“別世界”へといざなった/マルク=アンドレ・アムラン ピアノ・リサイタル
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2018.8.30
tagged: ピアノ, ヤマハホール, マルク=アンドレ・アムラン
銀座にいながら、特別仕様車で音楽の旅を楽しんでいるかのような気分。エンジンたるピアノはいたって快調、ハイウェーをどんなに高速で飛ばしても安定走行で、さほど高速に思えない。揺れのないシートにもたれて流れる景色を楽しめる。そんな痛快なひとときを堪能できるのは、スーパードライバーのなせる技だ。この日のピアニスト、マルク=アンドレ・アムランは、それほどの超人であった。
総じて抑揚の効いた演奏。音量、強弱、剛柔、濃淡、速度などの変化の幅が広いにもかかわらず、驚くべき操作性でムラや力みがない。また、余剰なパフォーマンスも一切ない。客席を丸ごと、静かに「別世界」へ連れて行くのだった。
ハイドンの「ピアノ・ソナタ第48番(第58番)」はチェンバロ風の音色を醸し、妖精の楽しげなおしゃべりのごとく、音の粒が鍵盤で楽しげに歌ったり踊ったりして、気分は春。超高速アルペジオやオクターブでのアップダウンも、ごく自然な速さに聴こえるから不思議。加えて、低音も明瞭で新鮮な響きだった。
サムイル・フェインベルクの「ピアノ・ソナタ第2番」は、スクリャービンやシューマンを連想する幻想的な曲。柔らかなキータッチで、何か起きそうな予兆を思わせつつ、混沌とした世界を紡ぎ出していく。続く「ピアノ・ソナタ第1番」も、まるでショパンやスクリャービンの幻影をコラージュしたかのような曲だが、アムランのピアノの響きは常にクリアで、暖かさや明るさを放ちながらも凛としている。そのせいか、フレーズ感が希薄でおぼろな夢を見ているような曲調でも、聴き手の意識は途切れることなく、無に近い心持ちでじっと耳を傾けているように思えた。
ベートーヴェンの「熱情ソナタ」では、神業のような速度チェンジや究極の強弱で、ピアノがうなるように鳴り響いた。音の強弱を大小で表現してしまう人が多い中、アムランの“強”は音の芯に頭突きするような打鍵で、感服するばかり。高飛び込みのノースプラッシュの入水を思わせる鋭さがある。しかも、第1楽章や第3楽章は遊園地のジェットコースターを連想するハイスピード。だが決して急いでいるわけではない。お決まりのことで堂々たるものだ。同時に、リストの難曲超絶技巧を聴いている気分もした。対して第2楽章では聴き手がゆったり呼吸でき、左右の手が優しく語り合うフレーズは幸福感をまとう。
休憩をはさんで、最後はシューマンの「幻想曲」。人間らしい昂揚感や雄々しさを押し出すように始まり、後半は対照的に静かな叙情や内省をペダルの残響もたっぷり使って表現していた。よくある曖昧なテイストのシューマン演奏とは一味違い、抑揚をはっきりつけて粛々と吟じるようでもあった。
ドビュッシーやシューマンの小品を含め4曲のアンコールの中では、アムランのオリジナル曲「武装した人によるトッカータ」(Toccata on l’homme armé)が印象的だった。両手を駆使した繊細なアルペジオやスケールが即興のように続く、昨年の「ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール」の委嘱作品。派手なパフォーマンスはなくとも、彼の特技の結晶のように思えた。
原納暢子〔はらのう・のぶこ〕
音楽ジャーナリスト・評論家。奈良女子大学卒業後、新聞社の音楽記者、放送記者をふりだしに「人の心が豊かになる音楽情報」や「文化の底上げにつながる評論」を企画取材、執筆編集し、新聞、雑誌、Web、放送などで発信。近年は演奏会やレクチャーコンサート、音楽旅行のプロデュースも。書籍『200DVD 映像で聴くクラシック』『200CD クラシック音楽の聴き方上手』、佐藤しのぶアートグラビア「OPERA ALBUM」ほか。
Lucie 原納暢子
文/ 原納暢子
photo/ Ayumi Kakamu
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