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【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#015 ヘイトのない世界を考えるための時を超えたメッセージ~ジョー・パス『ヴァーチュオーゾ』編

イタリア語のヴィルトゥオーソは、“巨匠”とか“名手”と呼ぶにふさわしい卓越した技巧や能力を備えた演奏家を指す言葉で、その英語読みがヴァーチュオーゾ。

最初にこの言葉を知ったのがこのアルバムで、なんだか大仰だなぁと思った記憶があります。

その後、クラシック音楽の世界ではよく使われていることを知るようになりましたが、そうなればなるほど、なんでそんな畑違いの形容詞を使おうとしたのか、不思議に思ったものです。

まぁ、ジャズ界でもfabulousとかamazingとかwizardとか、いわゆる「最高!」という形容詞をタイトルにつけたアルバムが多くリリースされているので、その発展形であると考えれば、それほど深い意味はないのかもしれません。


ヴァーチュオーゾ/ジョー・パス

アルバム概要

ギタリストのジョー・パスによるソロ・ギター演奏を収めた、1973年制作のアルバム。

ジョー・パスが44歳のときのもので、1960年代前半に出したアルバムで一時的に脚光を浴びたことはあったものの、実際には本作をもって彼の名を世に知らしめたという、出世作にして“名盤”なのです。

“名盤”の理由

リリース当時も、そしていまでも、このアルバムを初めて耳にした人は、「これ、ギターの人が何人で弾いているの?」とアンサンブルの妙に感心し、アルバムの演奏者クレジットにジョー・パスの名前しかないことを不思議に思う──ということが繰り返されています。

そして、すでに多重録音が一般的になっていた時代にあって、ワン・テイクでこれだけの作品を仕上げてしまったというインパクトと、エレクトリック・ギターによる爆音が席巻しつつあった1970年代のポピュラー音楽界にあって、クリーン・トーンのギター1本という地味な設定のアルバムにしたことも、世界に「ジョー・パス、ここにあり」と示し、その存在を認めさせる後押しとなったと言えるでしょう。

いま聴くべきポイント

父親はイタリア・シチリア出身。アメリカに大恐慌の嵐が吹き荒れる1929年に米ニュージャージー州ニュー・ブランズウィックで生まれたジョー・パスは、その父の仕事のためペンシルベニア州に移ると、ギターを相手に遊ぶようになります。

14歳になるころにはダンス・パーティーに呼ばれるバンドのメンバーに抜擢されるほど腕を上げ、20代でニューヨークへ進出してさらなる研鑚を積み、30代でロサンゼルスへ移ると、スタジオミュージシャンとして売れっ子の日々を送ることに。

ところが、好事魔多しで薬物中毒に陥り、回復支援設施への入所を経て、現場に戻ります。

復帰後の1960年代は、ほぼ毎年というペースでアルバムを制作しますが、そのうちの代表作『サウンド・オブ・シナノン』は当時のウエストコースト・ジャズを意識したきらびやかな大編成サウンド、『フォー・ジャンゴ』は彼のアイドルのひとりであるジャズ・ギターの巨人、ジャンゴ・ラインハルトの名が冠されているようにノスタルジックな雰囲気を醸し出そうとしているなど、正直言ってレコード会社がこのジャズ・ギターの名手をどう売り出してよいのか考えあぐねていたように感じられてしまうのです。

そんなバラバラだった特色や思惑がバチッとひとつにまとまったのが、無修正のギター・ソロでシンプルに仕上げた本作。1曲を除きジャズスタンダードで固めた構成も、ギタリストを引き立たせる効果があったと言えるでしょう。

ここで忘れるわけにはいかないのが、ノーマン・グランツという、本作のレーベル創設者にして希代の名プロデューサーの存在。

ノーマン・グランツは、1940年代半ばから人種差別反対を掲げたイヴェント(=ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック)を立ち上げ、大規模なレコーディングやツアーを企画。1956年にはヴァーヴ・レコード、1973年にはパブロ・レコードを設立し、多くの名演を後世に遺すという重要な役割を果たした人物です。

その彼が、1973年のレコード会社設立のときに、30年来の親交のあるオスカー・ピーターソンやエラ・フィッツジェラルド、コールマン・ホーキンスといったビッグネームとともに強力にプッシュしたのが、ジョー・パスでした。

もちろん、スタジオ仕事で鳴らしたギターの腕前を買っての起用だったことは想像に難くないのですが、ジョー・パスがイタリア・シチリアからの移民の子で、アルバム・タイトルにイタリア語由来の音楽用語をつけたことなどから推測するに、ジョー・パスもまた、ノーマン・グランツが生涯をかけて追い求めた差別のない世界をジャズという差別から生まれた音楽によって具現するのに適役だと白羽の矢を立てられたのではないか、そしてそれが本作を“名盤”へと導く強力な原動力になったのではないか──。

そう考えると、現在における『ヴァーチュオーゾ』の存在意義は、単にジャズのソロ・ギターをマスターするためのエチュード(あるいはコピーのための教材)というだけにとどまらず、差別やヘイトを考えるきっかけを与えてくれるメッセージとして受け取ることができるんじゃないか、と思うのですが、いかがでしょうか。

「ジャズの“名盤”ってナンだ?」全編 >

富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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