Web音遊人(みゅーじん)

そのピアニシズムは、人生に光を与える/ジャン=マルク・ルイサダ ピアノ・リサイタル

「幸せを運ぶピアニスト」と呼びたくなる、ジャン=マルク・ルイサダ。人の心に寄り添うように、歌い、語りかける演奏で、聴き手をいつも幸せな気分にしてくれる。

この日もそう。ルイサダが楽譜を小脇に抱えてにこやかに登場するや、聴衆はリラックスモードに。彼の発するオーラが、居心地のいいサロンの雰囲気を醸し、客席を包み込む。たまらない安堵感のなかで、演奏が始まるのだった。

前半はルイサダの十八番、ショパン(1810~49)から、マズルカと幻想曲。

マズルカは、ショパンが故郷ポーランドの舞曲を基に生涯にわたって作曲・演奏し続けた。彼の心の寄る辺であり、愛国心の代名詞的な作品だ。今回は初期の17曲、つまりショパンが故郷ポーランドを後にし、ウィーン滞在を経てパリで頭角を現していく、20~25歳頃に作った第1番から第17番までを奏破する趣向である。

ハ長調とイ短調、ホ長調と嬰ハ短調といった平行調をはじめ、調性による音色変化を生かした作品の並びに、青年ショパンの喜怒哀楽やメッセージが感じ取れる。祖国の情勢悪化、家族への思い、移ろう季節の陰影などが入り交じって伝わってくる心地がするが、ルイサダならではの情感のお陰で、短調にも救いがある。例えば、先行き不安なイ短調には慈しみの言葉のような、ストレスを感じるト短調には一条の光のような音色が溶けているのだ。どんな深刻な事態に見舞われても、明日への希望を見失わずにいられるのが、ルイサダのピアニシズムの素晴らしさだ。

ジャン=マルク・ルイサダ

続く「幻想曲ヘ短調」は、ショパンが年上の恋人サンドとの幸福期に作った傑作のひとつ。葬送行進のような短調で始まるが、陰陽の山谷を経て華やかに昂揚し、未来を感じる長調で気分よく終わる。この曲ではルイサダのペダル奏法に見とれてしまった。

そもそも「指先に、何か特殊な重りが埋まっているのではないか?」と思うほど、強弱やアクセント、スタッカートなどを、ムダのない小さな動きで繰り出す奏者である。とってつけたようなオーバーアクションはしない。その人が、響きがより効果的に歌うようにペダルを操っているのだ。もはや「踏んでいる」のではない。ペダルで「弾いている」のである。しかも、歌でありながら香りのように広がり、朝食の美味しい味噌汁やコーヒーと同様に、ホールに幸福感を充満させて「ブラボー」となるのだった。

ジャン=マルク・ルイサダ

後半のシューベルト(1797~1828)の遺作「ピアノ・ソナタ第21番」は、まさに人生そのもの。重い荷物を背負って長い道を歩き続け、やがて解き放たれて、明るい光の射す場所=天国にたどり着く展開だ。作品の深遠さはもとより、奏者の左右の手が双方の音域を行き来する交差奏法もふんだんに盛り込まれている。見応えあるパフォーマンスからも人生の数多を感じてしまう。

ルイサダにとって、祖国に帰れなかったショパンと晩年のシューベルトは「さすらい人」のキーワードでつながるそうだ。誰しもが、転んでは起き上がり、迷いながらも前を向いて歩くしかない人生。緩急つけながら黙々と弾き進み、ルイサダがフィナーレを飾ると、惜しみない拍手が沸き起こり、スタンディングオベーションとなった。「辛いことも多いけど、ルイサダのピアノを聴けて元気になれた、明日も頑張ろう……」、客席はそんな笑顔でいっぱいだった。

ジャン=マルク・ルイサダ

原納暢子〔はらのう・のぶこ〕
音楽ジャーナリスト・評論家。奈良女子大学卒業後、新聞社の音楽記者、放送記者をふりだしに「人の心が豊かになる音楽情報」や「文化の底上げにつながる評論」を企画取材、執筆編集し、新聞、雑誌、Web、放送などで発信。近年は演奏会やレクチャーコンサート、音楽旅行のプロデュースも。書籍『200DVD 映像で聴くクラシック』『200CD クラシック音楽の聴き方上手』、佐藤しのぶアートグラビア「OPERA ALBUM」ほか。
Lucie 原納暢子

 

特集

五条院凌

今月の音遊人

今月の音遊人:五条院凌さん「言葉で表現するのが苦手な私でも、ピアノなら自分の感情を、音を通して表現できる」

11522views

ブラック・サバス

音楽ライターの眼

ブラック・サバスのトニー・マーティン期作品を収録したボックスが発売

3882views

楽器探訪 Anothertake

26年ぶりにラインアップを一新!「長く持っても疲れにくい」を実現し、フラッグシップモデルが加わったバリトンサクソフォン

4812views

バイオリンを始める時に知っておきたいこと

楽器のあれこれQ&A

バイオリンを始める時に知っておきたいこと

10560views

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:和洋折衷のユニット竜馬四重奏がアルトヴェノーヴァのレッスンを初体験!

6395views

オトノ仕事人 サウンドデザイナー/フォーリーアーティスト 滝野ますみさん 映像作品の登場人物に合わせて効果音を吹き込む/フォーリーアーティストの仕事

オトノ仕事人

映像作品の登場人物に合わせて効果音を吹き込む/フォーリーアーティストの仕事

3437views

ザ・シンフォニーホール

ホール自慢を聞きましょう

歴史と伝統、風格を受け継ぐクラシック音楽専用ホール/ザ・シンフォニーホール

31246views

ズーラシアン・フィル・ハーモニー

こどもと楽しむMusicナビ

スーパープレイヤーの動物たちが繰り広げるステージに親子で夢中!/ズーラシアンブラス

17849views

小泉文夫記念資料室

楽器博物館探訪

民族音楽学者・小泉文夫の息づかいを感じるコレクション

11955views

われら音遊人:1年がかりでビッグバンドを結成、河内からラテンの楽しさを発信!

われら音遊人

われら音遊人:1年がかりでビッグバンドを結成、河内からラテンの楽しさを発信!

13508views

山口正介 - Web音遊人

パイドパイパー・ダイアリー

この感覚を体験すると「音楽がやみつきになる」

9954views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

12319views

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ギタリスト木村大とピアニスト榊原大がトランペットに挑戦!

8775views

浜松市楽器博物館

楽器博物館探訪

見るだけでなく、楽器の音を聴くこともできる!

16028views

音楽ライターの眼

すでにAIの音楽は小説の世界を飛び出しているという現実

3858views

楽器博物館の学芸員の仕事 Web音遊人

オトノ仕事人

楽器のデモンストレーション、解説、管理までをこなすマルチプレイヤー/楽器博物館の学芸員の仕事(前編)

13623views

われら音遊人

われら音遊人

われら音遊人:仕事もバンドも、常に真剣勝負!

10804views

楽器探訪 Anothertake

目指したのは大編成のなかで際立つ音と響き「チャイム YCHシリーズ」

13843views

グランツたけた

ホール自慢を聞きましょう

美しい歌声の響くホールで、瀧廉太郎愛にあふれる街が新しい時代を創造/グランツたけた(竹田市総合文化ホール)

8886views

山口正介さん Web音遊人

パイドパイパー・ダイアリー

サクソフォン教室の新しいクラスメイト、勝手に募集中!

5545views

楽器のあれこれQ&A

エレキギター初心者を脱したい!ステップアップ練習法と2本目購入時のアドバイス

8312views

東京文化会館

こどもと楽しむMusicナビ

はじめの一歩。大人気の体験型プログラムで子どもと音楽を楽しもう/東京文化会館『ミュージック・ワークショップ』

8980views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

12319views