今月の音遊人
今月の音遊人:仲道郁代さん「多様性こそが音楽の素晴らしさ、私自身もまだまだ変化していきます」
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古典派と初期ロマン派の演奏を得意としたピアニスト、クララ・ハスキル。その名を冠した国際ピアノ・コンクールで、モーツァルトのピアノ協奏曲を含む難曲を見事に弾ききって、2017年の優勝者に選ばれた藤田真央が、今回、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトのプログラムで本領を発揮する。古典派の作品をしっかりと弾くことを意識しているという本人が、このホールのために選曲したというプログラム。たしかに、その演奏は、音の渦で圧倒していくというより、この空間の隅々までをのびやかに響いていくものだった。
1曲目はモーツァルトの「幻想曲ニ短調」。モーツァルトにしては憂いに満ちた旋律をシンプルに、ひたむきに奏でていく。暗い舞台で一人スポットライトを浴びた俳優が、そこに観客などいないかのように感傷的に語り続ける独白劇。しかし、中間部で長調に転じるや、突然、その演奏は聴衆に微笑みかけてくる。この瞬間、モーツァルトらしい明るさと優しさを取り戻すのである。
この一瞬にあらわれた優美な響きは、2曲目の「デュポールのメヌエットの主題による9つの変奏曲」で、いよいよ輝きを増す。藤田の明るく軽やかな、そしてどこまでも美しさを追求した音色は、ほとんど重力を感じさせない。低音は柔らかく、フォルテは音量ではなく音の華やかさで。そして、この軽やかさの中でも耳に残って惹きつけるもの、それが旋律である。主として高音部で担われる旋律を大事に響かせ、それを絶え間なく紡ぎ続けて中心を形成していくのである。
ベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ第31番」でもこれは引き継がれる。尖りすぎず、主張しすぎず、優しく柔らかに。苛烈さはどこにもなく、重々しささえ抑えられている。第3楽章のフーガ部分では、高音部から低音部から、交互にテーマとなる旋律を引き出す。古典派作品らしく、音楽の形式をしっかりと捉えて、それに則って音楽を紡いでいく。
後半の2曲はシューベルトの「3つのピアノ曲」と「さすらい人幻想曲」。ここにきて抑制されてきたものがようやく解放される。「さすらい人幻想曲」では、旋律を豊かな和音で包み、波のように激しさを繰り出す。それでも随所で、すっかり藤田の音色として耳に馴染んだ、あのモーツァルトの柔らかな美しい響きを木霊(こだま)させる。テクニックは完璧である。完璧なあまり、作品自体が素晴らしいのか、それとも、その卓越した技量が作品を高めているのか、もはやわからないほどである。
こうして、冒頭のモーツァルトで聴かせた語りは歌になり、歌はハーモニーになり、その響きは厚く、豊かになっていった。だが、モーツァルトの1曲が、幻想曲の名のもと、より自由で即興的な演奏を許すものだとするならば、あの一人語りこそ、奏者自身を表すものだったのではないだろうか。華麗に爽やかに最後を飾った20歳の青年の、剥き出しの一面がそこにあったように思えてならない。
永野純子〔ながの・じゅんこ〕
音楽学者。東京藝術大学大学院博士課程満期退学。ストラヴィンスキーのオペラをテーマに論文を執筆。コンサートの曲目解説のほか、東京オペラシティで毎年開催される〈コンポージアム〉の解説の翻訳なども手がける。