Web音遊人(みゅーじん)

連載22[ジャズ事始め]上海というアジアの拠点を失った“日本のジャズ”が次に求めたスタイル

日本において、穐吉敏子や渡辺貞夫がアメリカをめざした1950年代と、本稿でも触れた「上海帰りは箔が付く」と言われた1920年代では、なにがどう違っていたのだろうか。

前者と後者では求めるものが違っていて、それゆえに後者は商業音楽の世界に埋没したため名を残すことがなく、前者は“日本のジャズ”を築いたオリジネイターとして名を残すことになった──というところから論考を進めてみたい。

大前提として挙げておかなければならないのは、その地に赴いて得ようとした目標物、すなわち“ジャズの種類”に違いがあったことだろう。

1920年代に最先端と言われたジャズは、ニューオーリンズ・スタイルから発展したスウィングと呼ばれるものだった。ニューオーリンズ・ジャズやスウィングこそが“ジャズ”であり、そのニュアンスを我がものとするための海外渡航だった。

そして、そのニュアンスを持ち帰ることができれば、ショー・ビジネスの世界で高く評価され、それに見合った対価を得る機会に恵まれたというわけだ。

一方の1950年代は、アメリカにおいてビバップを発展させた“モダン・ジャズ”が頭角を現わし、次代の主流としてスウィング・スタイルを凌駕する準備を整えているところだった。

1950年代でも、「箔を付ける」ためならアメリカへ赴いてスウィングを体得すればよかったわけだが、穐吉敏子や渡辺貞夫が得ようと思っていた“ジャズ”は、それではなかった。

最先端という括りでいえば、1920年代にスウィングを求めて上海へ赴いたことと、1950年代に“モダン・ジャズ”を求めてアメリカへ赴いたことは、同じように見えるかもしれない。

しかしこの両者には、時代の隔たりという理由だけではない、根本的な違いが存在していた。

「秋吉さんはジャズしかやらないのでよくクラブを首になった。仕事があまりなく、あっちこっちで演奏したが、結局仕事がなくなり、解散したり、また一緒に演奏したりのくり返しだった」「秋吉さんが渡米して、自分でバンドをもった時は、みんなに給料を払うと、月に千五百円くらいしか残らなかった。バンド・リーダーのつらいところだが、それでもポピュラーはやらないで、ジャズだけをやっていた。それでよくクラブを首になった。流行歌は絶対やらないし、お客がリクエストしても演奏しないから、首になるのが当然だった」(引用:渡辺貞夫『ぼく自身のためのジャズ』徳間文庫)

1950年代の大卒初任給はだいたい1万円だったというから、華やかなイメージのバンドマン稼業とはおよそかけ離れた経済状態だったことがうかがえる。

ここで渡辺貞夫が言っている“ジャズ”とは、彼が最初に耳にしたベニー・グッドマンの演奏スタイル(=スウィング)ではなく、東京へ出るモチヴェーションを与えてくれたチャーリー・パーカーの演奏スタイル(=ビバップ)のことだ。

そしてそのビバップは、当時の日本のエンタテインメント業界ではまだ受け容れられていなかったことが、引用部分からも伝わると思う。

つまり、1920年代に上海へと向かった日本のジャズ・ミュージシャンたちが追い風に乗っていたのに対し、1950年代の穐吉敏子や渡辺貞夫は逆風のなかをあえて飛び立った──と言ってもいいだろう。

しかし、1960年代になると、日本でもジャズの風向きが変わってくる。次回は、渡辺貞夫が米・ボストンのバークリー音楽大学へ留学する1962年へと駒を進めてみたい。

「ジャズ事始め」全編 >

富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
富澤えいちのジャズブログ富澤えいちのジャズ・ブログ道場Facebook

特集

今月の音遊人:姿月あさとさん「自分が救われたり癒やされたりするのは、やはり音楽の力だと思います」

今月の音遊人

今月の音遊人:姿月あさとさん「自分が救われたり癒やされたりするのは、やはり音楽の力だと思います」

15729views

音楽ライターの眼

ホールの空間を広げるピリオド楽器の“怪”と“快”/珠玉のリサイタル&室内楽 ベートーヴェン初期の室内楽 ~鈴木・小倉・岡本が創る新時代の幕開け~

6326views

トランスアコースティックピアノ™

楽器探訪 Anothertake

音量の問題を解決し、ピアノの楽しみを広げる「トランスアコースティックピアノ」

6012views

楽器のあれこれQ&A

ドラムの初心者におすすめの練習方法や手が疲れないコツ

12715views

今、注目の若き才能 ピアニスト實川風が ドラム体験レッスン!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】今、注目の若き才能 ピアニスト實川風が ドラム体験レッスン!

9946views

オトノ仕事人 サウンドデザイナー/フォーリーアーティスト 滝野ますみさん 映像作品の登場人物に合わせて効果音を吹き込む/フォーリーアーティストの仕事

オトノ仕事人

映像作品の登場人物に合わせて効果音を吹き込む/フォーリーアーティストの仕事

1797views

荘銀タクト鶴岡

ホール自慢を聞きましょう

ステージと客席の一体感と、自然で明快な音が味わえるホール/荘銀タクト鶴岡(鶴岡市文化会館)

14290views

ズーラシアン・フィル・ハーモニー

こどもと楽しむMusicナビ

スーパープレイヤーの動物たちが繰り広げるステージに親子で夢中!/ズーラシアンブラス

17007views

ギター文化館

楽器博物館探訪

19世紀スペインの至宝級ギターを所蔵する「ギター文化館」

16846views

ONLYesterday

われら音遊人

われら音遊人:愛するカーペンターズをプレイヤーとして再現

2264views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

もしもあのとき、バイオリンを習っていたら

6441views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

11820views

桑原あい

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:注目の若きジャズピアニスト桑原あいがバイオリンの体験レッスンに挑戦!

17063views

上野学園大学 楽器展示室

楽器博物館探訪

日本に一台しかない初期のピアノ、タンゲンテンフリューゲルを所有する「上野学園 楽器展示室」

21788views

ふたりの演奏が美しくも激しく響あう/塩谷哲&沖仁“TETSU-JIN”LIVE 2025

音楽ライターの眼

ふたりの演奏が美しくも激しく響きあう/塩谷哲&沖仁“TETSU-JIN”LIVE 2025

538views

オトノ仕事人

音楽をやりたい子どもたちの力になりたい/地域音楽コーディネーターの仕事

11727views

横浜レンタル倉庫(YRS)

われら音遊人

われら音遊人:目指すはフェス! 楽しみ、楽しませ、さらなる高みへ

2836views

CLP-800シリーズ

楽器探訪 Anothertake

グランドピアノの演奏体験を全身で感じられる電子ピアノ── クラビノーバ「CLP-800シリーズ」

3631views

ザ・シンフォニーホール

ホール自慢を聞きましょう

歴史と伝統、風格を受け継ぐクラシック音楽専用ホール/ザ・シンフォニーホール

30367views

パイドパイパー・ダイアリー Vol.3

パイドパイパー・ダイアリー

人生の最大の謎について、わたしも教室で考えた

6074views

ヤマハ製アコースティックギター

楽器のあれこれQ&A

目的別に選ぶ、ヤマハ製アコースティックギター

23290views

こどもと楽しむMusicナビ

サービス精神いっぱいの手作りフェスティバル/日本フィル 春休みオーケストラ探検「みる・きく・さわる オーケストラ!」

11229views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

35022views