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早熟の天才ギタリスト、ティボー・ガルシアのアランフェス協奏曲

数年前、ギター界に才能豊かな新星が現れた。1994年、スペイン系フランス人としてフランス南西部のトゥールーズに生まれ、7歳からギターを始めたティボー・ガルシアである。21歳までに6つの国際コンクールを受け、すべて優勝という輝かしい実績を挙げた逸材だ。

2015年にアメリカで開催された、ギター界でもっとも権威あるコンクールと称されるGFA国際コンクールで優勝し、翌年ワーナークラシックス/エラートと契約を結び、『レイエンダ』と題したCDでデビューを果たした。ガルシアの演奏は繊細かつ情熱的で豊かな歌心に富むもので、特有のリズム、哀愁と情熱に彩られた旋律が聴き手の心にまっすぐに届けられ、深い印象をもたらす。ギター好き、スペイン好きの私は、大きな拍手をもって新星の登場を喜んでいる。

2019年に行われた日本デビュー公演は、デビューCDのなかからアルベニス『アストゥーリアス』、タレガ『アルハンブラの思い出』などが選ばれ、さらにセカンドアルバム『バッハに捧げる』で取り上げたJ・S・バッハの『シャコンヌ』では自身の編曲版を披露。どんな難曲も彼にかかると清涼な水が湧き出てくるような美しく純粋な響きとなる。そこには努力の痕跡はまったく感じられない。まさに、早熟の天才がすい星のごとく現れたという感じだ。ピアソラの『ブエノスアイレスの四季』でリサイタルを締めくくったが、アンコールには『愛の讃歌』『ラ・クンパルシータ』を聴かせ、レパートリーの幅広さを示した。

インタビューでは、「コンクールは若いときに受けたかったのです。21歳でもっとも権威のあるアメリカの国際ギター・コンクールで優勝でき、ここからキャリアが一気に開きました」と語っている。

ガルシアは会う人をみな幸せにしてしまうようなナイスガイ。初来日公演には日本のギター界の重鎮が集結。「早熟の天才」「恐るべき精度と均質で美しい音色」と絶賛していた。

そんなティボー・ガルシアの新譜は、ギタリスト必須のロドリーゴの『アランフェス協奏曲』。人気の高い名曲に真っ向勝負を挑み、みずみずしい弦の響きを聴かせている。

1939年に完成した『アランフェス協奏曲』によって、ホアキン・ロドリーゴの名は一躍世界的に知られるようになった。当時はスペイン市民戦争の真っただ中。ロドリーゴは1938年に避難先のドイツ、フライブルクで作曲の構想を練り、翌年マドリードに戻って最後の仕上げにかかった。初演は1940年。曲の完成に助言を与えてくれたスペイン屈指のギタリストで、マドリード音楽院の教授を長く務めたレヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサのギターで行われ、作品も彼に献呈されている。

ロドリーゴはスペインを代表する作曲家で、1901年11月22日スペイン東部、地中海沿岸の町サグントに生まれた。幼くして病気のために失明したが、豊かな楽才を示し、パリのエコール・ノルマルに留学。ここで和声と管弦楽法の大家として知られ、パリ国立音楽院の教授を務め、のちの作曲家に多大な影響を与えたポール・デュカスと出会い、彼から多くの影響を受けた。最高傑作といわれる『アランフェス協奏曲』は近代ギター協奏曲の先駆けとなった曲で、内乱で疲れきったスペインの人々に大きな夢とやすらぎを与えた。

ロドリーゴはアランフェスの美しい風景を曲に託し、スペインの栄光への想いを歌い上げた。「憂愁に包まれたゴヤの影、貴族的なものと民衆的なものがひとつに融合していた18世紀の宮廷の姿を描き出した」と語っている。

第1楽章は花々が咲き乱れ、鳥のさえずりや噴水から落ちる水の音、小川のせせらぎなどアランフェスの美しい自然が表現され、それらをギターが和音をかき鳴らし、生き生きとしたスペインのリズムを用いて表現、軽快さが全編を貫いている。
続く第2楽章のアダージョは、新婚時代のロドリーゴ夫妻が連れだって歩くロマンスを描いた楽章。弱音器をつけた弦楽器をバックにイングリッシュホルンとギターが哀愁に満ちた旋律を奏で、際立った美しさを醸し出す。ただし、これは最初の子どもを流産で失ったヴィクトリア夫人を慰める意味が込められ、その心情が情感豊かな旋律で綴られている。
第3楽章は華麗なロンド。当時の王や民衆の様子が、ギターとオーケストラのかけあいでリズミカルに表現され、最後は華やかなクライマックスで幕を閉じる。

この第2楽章はとりわけ大きな人気を誇り、ジャンルを超えてさまざまな楽器で演奏され、編曲も行われている。20世紀前半フランスで活躍した「6人組」のひとり、フランシス・プーランクは、こんな讃辞を寄せている。
「この作品には、初めから終わりまで、無駄な音符がひとつもない」

なお、アルバムには、『アランフェス協奏曲』を献呈されたレヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ、アレクサンドル・タンスマン、ロベール・ド・ヴィゼーの作品も収録されている。

■インフォメーション

アルバム『Aranjuez/アランフェス』

発売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2020年10月2日
価格:2,600円(税抜)
演奏:ティボー・ガルシア(ギター)、ベン・グラスバーグ(指揮)トゥールーズ・カピトール国立管弦楽団
詳細はこちら

伊熊 よし子〔いくま・よしこ〕
音楽ジャーナリスト、音楽評論家。東京音楽大学卒業。レコード会社、ピアノ専門誌「ショパン」編集長を経て、フリーに。クラシック音楽をより幅広い人々に聴いてほしいとの考えから、音楽専門誌だけでなく、新聞、一般誌、情報誌、WEBなどにも記事を執筆。著書に「クラシック貴人変人」(エー・ジー出版)、「ヴェンゲーロフの奇跡 百年にひとりのヴァイオリニスト」(共同通信社)、「ショパンに愛されたピアニスト ダン・タイ・ソン物語」(ヤマハミュージックメディア)、「魂のチェリスト ミッシャ・マイスキー《わが真実》」(小学館)、「イラストオペラブック トゥーランドット」(ショパン)、「北欧の音の詩人 グリーグを愛す」(ショパン)など。2010年のショパン生誕200年を記念し、2月に「図説 ショパン」(河出書房新社)を出版。近著「伊熊よし子のおいしい音楽案内 パリに魅せられ、グラナダに酔う」(PHP新書 電子書籍有り)、「リトル・ピアニスト 牛田智大」(扶桑社)、「クラシックはおいしい アーティスト・レシピ」(芸術新聞社)、「たどりつく力 フジコ・ヘミング」(幻冬舎)。共著多数。
伊熊よし子の ークラシックはおいしいー

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