Web音遊人(みゅーじん)

アレクサンドル・タロー

ピアニストの愛好世界に巻き込まれ、愉快で幸せな時間に浸る/アレクサンドル・タロー ピアノ・リサイタル

カラオケというのは侮れない音楽文化だ。「歌う」というアクションの持つ根源的な喜びに加え、みずからのプレイを「聴く」楽しみもある。曲を「選ぶ」ときの沸き立つ気持ちや、気分よく歌うときに少しリズムを「変える」冒険心も見逃せない。場合によっては新たなメロディーを「作る」ことだってある。
ただでさえ愉快なこの営みを、突き詰めたらいったいどうなるのだろうか。その最高峰はどんな姿をしているのか。それを歳末の銀座でまざまざと見せつけられた。その営みに巻き込まれたと言ったほうがよいのかもしれない。
2024年12月7日、東京・銀座のヤマハホールで、アレクサンドル・タローのピアノ・リサイタルを聴いた。バッハ、サティー、タロー自身の作品がプログラムに並ぶ。そこに、シャンソンの名曲を元にしたピアニストの即興演奏が続く。
このタローのリサイタルが究極の「ひとりカラオケ」だった。それは、きっと本人がいちばん楽しいに違いないのだが、聴き手にとっても愉快で幸せな時間であったことをお知らせしておきたい。

アレクサンドル・タロー

タロー独自の編曲で見せるピアノ・リサイタル

演奏会はバッハの『ヨハネ受難曲』の冒頭合唱(タロー編)から始まる。4声の合唱と6声の器楽の織りなす音楽をピアノ1台で弾くのだから、多少の“交通整理”はあってもおかしくないが、いずれにしてもバッハのポリフォニーを楽しむ趣向に変わりはなかろうと思っていた。
ところが、タローの演奏はどうもそうではない。極端に遅いテンポの中、単旋律だけを強調していくような弾きぶりだ。もちろん、その他のパートも鳴ってはいるが、いささか存在感が薄い。タローは土台となる伴奏部分を固めた上で、自分の「歌いたい」声部にスポットライトを当てている。ピアニストは、指のタッチや足のペダル操作で音の全体的な響きかたもコントロールするわけだから、いわば空間作りまでしていることになる。

アレクサンドル・タロー

同じくバッハの『シチリアーノ』(タロー編)や組曲イ短調では、お気に入りのメロディーや好みのリズムを次々と紹介するように弾き進む。それを結晶化させたのが、タロー自作の小品集『コルプス・ヴォルピリス』の抜粋だ。演奏者の「愛着」を煮詰めて作った曲だけに、「あんな声もこんな声も、あんなリズムやこんなリズムで出せるよ」と言わんばかりの演奏である。

アレクサンドル・タロー

後半に入り、サティの『ジムノペティ』や『グノシエンヌ』などを経て、シャンソンを元にした即興演奏に入るころには、聴き手はみな、ピアニストの愉悦を舞台上から分けてもらって、いくぶんか顔が上気している。ピアフやトレネの名曲を連ねるたびに、愉悦の渦が力強くなっていく。それが『パダン・パダン』で最高潮に達して、会場は丸ごとタローの愛好世界と一体化する。
楽器を撫でるように『枯葉』と『群衆』を弾いたピアニストは、『愛の讃歌』でアンコールを終えた。「愛さえあれば何も気にしない」と歌うシャンソンは、音楽愛の極致たるこのリサイタルにとって最高の締めくくりだった。

アレクサンドル・タロー

 

澤谷夏樹〔さわたに・なつき〕
慶應義塾大学大学院文学研究科哲学専攻修士課程修了(音楽学)。柴田南雄音楽評論賞奨励賞(2007年度)および本賞(2011年度)受賞。著書に『音楽家65人の修行時代』(単著)、『バッハ大解剖!』(監修・著)、『バッハおもしろ雑学事典』(共著)、『やみつき!バッハ』(共著)、『「バッハの素顔」展』(共著)。国際ジャーナリスト連盟(IFJ)会員。

photo/ Ayumi Kakamu

本ウェブサイト上に掲載されている文章・画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。

facebook

twitter

特集

今月の音遊人 岡本真夜さん

今月の音遊人

今月の音遊人:岡本真夜さん「親や友達に言えない思いも、ピアノに聴いてもらっていました」

12268views

マリンバの魔術師2人、幻想的なリメイクと交響劇/Lucid Duo Marimba duo Concert "Marimba Journey" & "Sonic Synergy"

音楽ライターの眼

マリンバの魔術師2人、幻想的なリメイクと交響劇/Lucid Duo Marimba duo Concert “Marimba Journey” & “Sonic Synergy”

515views

CLP-800シリーズ

楽器探訪 Anothertake

グランドピアノの演奏体験を全身で感じられる電子ピアノ── クラビノーバ「CLP-800シリーズ」

4098views

楽器のあれこれQ&A

モチベーションがアップ!ピアノを楽しく効率的に練習するコツ

44439views

コハーン・イシュトヴァーンさん Web音遊人

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ハンガリー出身のクラリネット奏者コハーン・イシュトヴァーンがバイオリンを体験レッスン!

12243views

前澤陽さん

オトノ仕事人

テクノロジーで音楽文化や社会に変容をもたらす/音楽技術研究者の仕事

1529views

札幌コンサートホールKitara - Web音遊人

ホール自慢を聞きましょう

あたたかみのあるデザインと音響を両立した、北海道を代表する音楽の殿堂/札幌コンサートホールKitara 大ホール

21099views

Kitaraあ・ら・かると

こどもと楽しむMusicナビ

子どもも大人も楽しめるコンサート&イベントが盛りだくさん。ピクニック気分で出かけよう!/Kitaraあ・ら・かると

7989views

民音音楽博物館

楽器博物館探訪

16~19世紀を代表する名器の音色が生演奏で聴ける!

14118views

われら音遊人:バンド経験ゼロの主婦が集合 家庭を守り、ステージではじける!

われら音遊人

われら音遊人:バンド経験ゼロの主婦が集合 家庭を守り、ステージではじける!

10515views

パイドパイパー・ダイアリー

こうしてわたしは「演奏が楽しくてしょうがない」 という心境になりました

10272views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

29051views

ホルンの精鋭、福川伸陽が アコースティックギターの 体験レッスンに挑戦! Web音遊人

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ホルンの精鋭、福川伸陽がアコースティックギターの体験レッスンに挑戦!

12762views

民音音楽博物館

楽器博物館探訪

16~19世紀を代表する名器の音色が生演奏で聴ける!

14118views

音楽ライターの眼

【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#045 ジャズ増し増しのオルガンを実現させた映画音楽の巨匠の原点~ジミー・スミス『ザ・キャット』編

1613views

西本龍太朗

オトノ仕事人

アーティスト・聴衆・新聞の交点に立つ/音楽記者の仕事

1420views

われら音遊人:公園から広がる音楽の輪 多幸感×実験精神で拡張中!

われら音遊人

われら音遊人:公園から広がる音楽の輪 多幸感×実験精神で拡張中!

990views

“銘器”のその先へ。次世代のフラグシップ―カスタムユーフォニアム「YEP-843(T)S」

楽器探訪 Anothertake

“銘器”のその先へ。次世代のフラグシップ——カスタムユーフォニアム「YEP-843S/YEP-843TS」

4353views

東広島芸術文化ホール くらら - Web音遊人

ホール自慢を聞きましょう

繊細なピアニシモも隅々まで響く至福の音響空間/東広島芸術文化ホール くらら

15993views

山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

大人の音楽レッスン、わたし、これでも10年つづけています!

8583views

CLP-825WH

楽器のあれこれQ&A

はじめての電子ピアノを選ぶポイントや練習を続けるコツ

5443views

こどもと楽しむMusicナビ

1DAYフェスであなたもオルガン博士に/サントリーホールでオルガンZANMAI!

4616views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

35918views